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Posted by namjai at

2013年09月08日

朝のニュースから。

 つい2、3日前の朝だった。

 いつものように、朝食の支度をしている時間帯に、一番先に朝の入浴を済ませた長女がTVをつけて朝のニュースを見始めた。

 私は普段から、あまり興味がないので聞き流しているのだが、その日はふと耳につくニュースで気になり、朝食の準備をしながらも真剣に聞いてしまった。


 大体毎日耳にするタイの朝のニュースと言えば、屋台の豆乳屋が5バーツ負けてくれなかった事に腹を立て、殴り掛かった男だとか、かなり前には、カオマンガイ(鶏炊き込み飯)の店で、掛けダレの大量追加を頼んだところ、店主に断られたことに怒り、一度店を出て、引き返して来て、店主に発砲した…と言うような、まったく人間性とか国民のレベルを疑いたくなるような、実に下らないニュースが多い。

 それでなければ、最近多いのが、3歳や4歳の幼児に対するレイプ事件。
まだ、物心ついたばかりの子供に、いい歳をした大人がいったい何を考えているのか、畜生とでも言いたくなる行動である。 

 まったく、タイ人とは何を考えているのだ…と周囲のタイ人にさえ直面するのが嫌になるような内容ばかりなので、基本的にタイのニュースや新聞は、なるべく見ない、聞かないようにしている。


 ところが、その日のニュースは、ちょうど「先日の学力検査での、タイの学生生徒のASEAN諸国の中での順位」と言う事だったので、多少の興味を持った。
もちろん、ニュースを見ている長女も学力テストの結果と言う話なので、真剣に聞いていた。

 
 ところが…。

 肝心の内容は、「先日の学力テストの結果、タイの子供の学力はASEAN諸国の中で最下位と言う結果となった。」
「そして、ASEAN諸国の中で第一位になったのは、就学中に妊娠する生徒が一番多いと言う、何とも恥ずべき業績である。しかもASEAN諸国中で第一位だと言うだけでなく、この就学中の妊娠率の多さでは、世界で第二位と言う、何とも言えない結果となった。」
と言うニュースであった。



 そう言われてみれば、長女の小学校時代にも、小5で妊娠して休みの間にランシットまで堕胎手術に行ったと言う、クラスメイトがいた。
それに昨年も高校に入った長女のクラスメイトが、出産ぎりぎりまで学校に登校していて、先生も黙認していたが、結局学期が終わらない内に出産の日が来てしまって、結局退学した…と言う話も聞いている。

 
 また、主人の後輩で今は中学校の校長になっている男性が言っていたのだが、彼が教頭時代に勤めた学校は、チャイヤプム県内でもそちらの方面で有名な高校で、校内のトイレで性行為を行っている男女生徒が、毎日のように補導されると言う話だった。


 それを聞いた当初は、そんな話、眉唾ものだと半信半疑だったのだが、こう言うニュースを聞いた今日は、あながち大げさとも言えない事実なのだと納得した。


 ところが、それを遅れて起きて来た主人に話したところ、まあ予想はしていたがやはりこんなことを言い出した。

 「どっちかと言うと、日本の方が上じゃないのか?だって日本はフリーセックスの国だろう?」

 と、日本に12年も住んでいたにも関わらず、相変わらず勝手な偏見により暴言を吐き、私の神経を逆撫でしてくれる。

 いつから、日本がフリーセックスになったのだ?
 
 日本がフリーセックスと言うなら、金さえ出せば、オヤジでも、ファランでも見境なくついて行く、超現実的なタイの女性たちは 、何と呼ぶのだろう?
 

 確かに、日本及び他の国でも、就学中の妊娠と言うのはない訳ではないが、タイの学生生徒ほど、前後を考えずその場の「愛」だの「快楽」だのばかりを求めてしまうことはないのだろう。


 これは、日頃からニュースで見る、老若男女問わない突発的な性的衝動とその結果の事件や、愛という名の下に、「自分の物」と私物化を決め込んだ女子中高生が、一人の男子を巡って殴り合いになる…などと言うよくある出来事からも想像に容易い。


 と、まあそんな事を思ってはみたが、これを主人に言い返して、無駄な言い合いになるのは本当に時間の無駄なので、とりあえず一人で胸に仕舞って置いた。


 主人の「タイの子供は良い。日本で子育てすると、大人に対して礼儀を知らない、悪い子供に育つ。」と言う、今から思えば全くの偏見に満ちた子育て理念から、タイで子育てをする事を選ばざるを得なかった我が家だが、主人が思っている「タイの良い子」と言うのは、主人が子供だった頃の世代なのである…と言う事がタイに住んでみて分かった。

 そう言う意味で、このタイでの子育ては本当に不安ばかりであるが、幸い、我が家の子供たちは今のところ、ニュースになったような事には縁がなく、無事育ってくれている。

 昔の主人の口癖は、「タイの子供のようになって欲しい。」だったが、今の私の気持ちは「タイの子供のようにはならないで欲しい。」である。




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Posted by バットニャオ at 00:40Comments(8)タイの社会

2013年07月20日

本当に、久々の更新です。

 数ヶ月ぶりに、ようやく気持ちが落ち着いて、『イサーンに埋没中』の更新をしました。

 すると、『イサーンに埋没中』以上に、この一月から放置されたままだった、こちらのブログのランキングが、何故か番外から上がって来ていて、おそらくこちらも更新されたのではないか…と思われて、覗いてくださる方がいるのかも知れない…と思いました。


 そこで、忙しさにかまけてこんな堕落した生活を送っていてはいけない!と思い、少しずつでもまた書いてみようと思い、本当に久々ですが、こちらのブログの更新と相成りました。


 前回の更新以降の我が家の子供たちの状況は…と言うと。

 
 まず、大きな出来事と言えば、4月の夏期休暇に入って、4年ぶりの日本旅行(子供たちにとって帰国ではない。)と、おばあちゃん、叔父さんと言う、母方の親戚に会いに行った事です。

 が、この件に関しては、『イサーンに埋没中』の方で書き始めていますので、ここでは省きます。


 
 さて、その約一ヶ月の日本旅行から戻って、すぐに始まったのがそれぞれの新学期。

 今年は、まず長男が晴れて大学生に。
18年も、思い返せばあっという間のように思えました。

 それから、長女は高校2年生、次男は中学3年生になりました。
 

そして、末っ子のミックも今年からいよいよ一年生です。

 一年生と言っても、タイの小学一年生は、日本と違って真新しいランドセルが眩しいと言う事もなく、通う学校も普通は幼稚園からそのまま持ち上がりの場合が多いので、はっきり言って、全く新鮮味などないのです。
 日本の小学一年生のように、まるで人生の節目とでも言うような学習デスクだのランドセルだのと言う大きな買い物もありません。

 変わった所と言えば、今までの紺色の制服の半ズボンが、小学生から高校生まで同一色のカーキ色になっただけのことです。


 しかし、4月1日生まれで、年齢的には昨年からでも小学一年生に進級出来たはずなのですが、上の3人と違ってそれほど勉強熱心ではなく、どちらかと言うと自由奔放な学校生活を送っていたので、「もう一年やりましょう」と言うことになり、クラスの中で最年少ではなく、余裕を持って最年長で進級する事になりました。

 まあ、もともと我が家の方針も、無理して早期教育などをして、飛び級などをさせるより本人に合った速度で育って行って欲しい…と言う方なので、今年ようやく一年生になった事にも、何の戸惑いもありませんでした。


 そのミックの成長と言えば、昨年までいちいち聞かないと書けなかったタイ文字が、だいぶ進歩して来たようで、短い単語ならかなり綴れるようになりました。
 まだ声調記号のマイエーク、マイトーなどは、ちょっと考えてから聞いて来たりしますが、さすが国語の教科書をほぼ毎日のように勉強しているだけあって(当然と言えば当然?)、教科書の内容も把握しているな…などと、一緒に宿題を見てあげていて感心したりします。



 さて、そんな中でも今年一番の変化があったのは、やはり大学進学とともに親元を離れて寮生活を送る事になった長男です。


 親元を離れてと言っても、数多くの大学が集まるバンコクではなく、ここチャイヤプムの隣に位置するコラートことナコンラーチャシーマーのスラナリー工科大学に決めたのですが、今までずっとこの家で暮らして来た長男にとって、やはり寮暮らしは慣れなかったようでした。

 最初の入寮の日に送って行った晩から、「家が恋しい。帰りたい。」との長男の言葉。

 しばらく、LINEを通じてそんなやり取りが続き、一週間目と3日目の土日に帰省。

 それでも、LINEがあったので、毎日毎日、まるで恋人同士のように、朝の挨拶からその日のの予定、先輩の新入生歓迎行事の愚痴まで報告してくれました。


 私自身を振り返ってみると、私も同じく実家から2時間ほどの近県の大学に入学したのですが、入寮してから少し寂しいと思ったかも知れないけれど、それ以上に親元を離れた自由さを満喫していたような気がします。

 そして、あまり積極的には帰省していなかったような気も。

 それは多分、私の事をとても心配してくれる余りに、箱入りで育ててくれた父親に、窮屈な感じを常に感じていたからかも知れません。


 もちろん、タイでも、長男の従兄弟や友達たちは、あまり親元に帰りたがらず、休日はコラートの街に繰り出して、自由な時間を満喫する子も大勢います。
 タイの子供たちがみな、長男のようにマメに実家に帰省すると言うわけではないようです。

 
 その後も、長男は毎週金曜日の授業が終わると、必ず夕方の路線バスに乗って約2時間ちょっとの道程を帰って来ます。

 そして、金土の晩を我が家で過ごした後、月曜日の朝からの授業に備えて、日曜日の午後のバスに乗って再びコラートの寮へと戻ります。


 私は、長男が反って疲れないかと心配なのですが、長男にとっては、我が家にいるのが落ち着くのだそうで、これが毎週毎週の習慣になりました。


 そして、今日は中間試験が終わって、帰って来た長男。
実は今日で19歳の誕生日を迎えました。

 今週末は、月曜日にワン•マカブチャー、火曜日にワン•カオパンサーと言う仏教系の祝日が続くので、合計4日の連休となり、いつもより長男もゆっくり出来ます。


 今も、同じ部屋で眠る長男、次男、三男を見ながら、幸せを感じる今日この頃です。 


   


Posted by バットニャオ at 03:59Comments(2)タイでの子育て

2013年01月24日

明日は風紀検査

 明日24日は、長男次男の通う中学高校に年に数回行われる、校内の風紀検査団が訪れる日だそうだ。

 そのため、昨日の朝ファスナーが壊れて、数カ所破けていた長男の通学カバンを修理に出してたり、次男は頭髪検査に備えて市内の床屋に髪を切りに行ったりと大忙しである。

 何しろ、普段の学校の校則でも、中学生の男子生徒では、髪の毛の長さが大体5ミリ以上、女生徒では耳下3センチ以上伸びていたら、ほぼ毎週の検査の日に規定の長さまで切って来ないと、先生の手であられもない髪型に切られてしまうという罰則があるのだ。


 日本だったら、そこまではまず出来ないだろう。
もし髪型の規則がある学校でも、事前に忠告とか言う形で「規則に従う事を勧められる」だけだと思う。

 先生が勝手に生徒の髪の毛を切ったりしたら、それこそ「人権侵害」などと訴えられそうなものである。


 しかし、タイはそうは行かない。

 学校の先生は社会的なにも絶対的な地位があるし、学校の中にいればそれはもう「先生様」なので、一般の保護者が何か意見でもしようものなら、その生徒の成績や評価に関わるので、保護者も滅多に口出し出来ない。
 まあ、一部の権力者や学校への寄付を沢山している保護者なら話は別だが…。

 
 それに、この校則を守って規律正しい身形をすると言う事や、学校の催しなどに参加すること、そして遅刻や欠席をせず登校すると言うことが、「カネン•プティカム」と言って、学業点つまり教科の成績と共に、進学の際の内申点に記載されるのである。

 そのため、普段から我が子供たちは、バスが遅れそうになると、「ああ、点数が…!」を悲鳴を上げている。


 話は戻るが、こういう訳で我が家の二人は今夜は特に念入りに制服のアイロン掛けをしている。

 いつも長男のアイロン掛けは、私より余程上手いのだが、次男はそのあまり拘らない性格か、制服の前はきちんと掛けるのだが、後ろはそのまま…などと言うことが多く、その日は学校で先生に「お前、アイロン掛けて来てるか?」などと注意されることもあるらしい。

 まさか校則に「制服にはきちんとアイロンを掛ける」などという項目はないと思うが、それも強制されているのが、さすが外見第一のタイ人らしい。

 それに、学生靴もそうである。
我が家の子供たちは、土日になると毎週のようの靴を洗う。

 暑いタイなので、蒸れて臭いが気になると言うのもあるが、やはりこの学制靴に関しても、汚れが目立ったりすると、先生の「靴を洗っているか?」と言うチェックが入るらしい。

 もともと公立学校なので、女子生徒の靴は黒の革靴もどき、男子生徒は茶色のキャンバス地の運動靴なので、よほど雨期の泥道でも歩かない限り、目立った汚れはないと思うのだが、それでも毎週毎週、靴洗いに余念がない。


 さて、その靴洗いグッズだが、我が家ではなんと今から十年以上前に日本から持ち込んだ、日本式の靴洗いのタワシを愛用している。


 確か当時2個持って来たはずだが、最初のはもう、使いに使われて、タワシ部分がすっかり無くなってしまったので、お役目を終えて眠りについた。






 これは、そのうちの2つ目。


 もうだいぶやせ細ってきたが、まだまだ働いてもらわないと困る。
この先、いつ日本に帰れるか分からないのだから…。
 今度行ったときには、10個くらい買って来ようかと思っている。
 タイでもバンコク辺りにはダイソーなどが出来たらしいので、子の手の商品も手に入りそうだが、何しろここはイサーンの田舎町…。

 こんな便利商品は手に入らないのである。
日本にいたら当たり前の商品だが、ここでは貴重品。

 タイ式の木製やプラスティック製の持ち手のついた、靴磨きブラシのような洗濯ブラシ兼足の裏洗い用のブラシは売っているが、靴の外側は洗えても、持ち手が大き過ぎて、靴の中に手を突っ込んで洗う事が出来ない。


 と言う訳で、この年季の入った靴洗いブラシで洗った靴を今週も履いて出掛ける子供たちであった。

 明日の検査が無事通過しますように…。



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Posted by バットニャオ at 00:51Comments(6)タイの学校

2013年01月13日

長男の経験

 今日の夕方の事である。

 我が家の主人は相変わらず、マルチ商法の集会だかパーティーだかにうつつを抜かしていて不在だったため、一日の仕事に疲れた私は、午後5時半くらいという比較的早い時間に店を閉め、毎週土曜日に開かれている、市内の夕市に出掛けた。

 
 久々に、こういう夕市に出掛けた長女は、様々な屋台で売られている、服やお菓子の物色に夢中、ミックはと言えば、この夕市に必ず来ているコピーDVDの屋台で、自分の目当てのDVDを物色するのに余念がなかった。


 そうこうしているうちに、かなりの時間が経ち、長男の帰宅する6時の終バスの到着時間が過ぎてしまった。

 私は、合鍵を店の前に隠してきたので、長男は先に着いてもきっとそれで家に入って、夕食、風呂を済ませているだろうと思っていた。

 
 ところが私たちが帰っても、長男が家に入った様子がない。

 そこで長女が私が心配しているのを察して、長男に電話を掛けてくれた。

 すると、長女は「ね。絶対、○○(長男)には内緒だよ。私が言ったって分ったら、殺されちゃうから。」
と前置きをしながら言った。

 「○○、バイクで転んだんだって。」
私は内心驚いたが、あくまで平静を装って、「で、どこで?」
と聞き返した。



しばらくして、帰って来た長男に事情を聞くと、こういうことだった。

 最初、いつも通り終バスで帰るつもりだったのだが、途中で財布を置き忘れて、それを探して取りに行っている間に、間に合わなくなってしまった。

 そのため、普段から時々オートバイの相乗りをしている友人のオートバイで帰って来る事になった。

 いつものように、身体の大きい長男の方が運転して二人乗りで来たのだが、その途中の路上で、前を走っていたサトウキビを満載したロットイテーンに衝突しそうになり、急ブレーキを掛けたところ、オートバイが滑るように転倒したと言うことだった。


 いったい、何が事故の原因だったのか?

 長男は時速60キロくらいで運転していたと言う事だが、長男は冠っていた友人のヘルメットのせいで、視界が見にくかったため、前方に何か動く物が見える気がしたので、ガラス部分を上げてよく見たら、テールランプが切れて無点灯のロットイテーンが目の前に迫っていた…という状況だったらしい。
 
 そして衝突を避けるため、とっさにブレーキを掛けたところ滑り、転倒したということだった。
 しかも、その転倒したオートバイと長男の目の前で、後ろからこの事故を追い越そうとしたピックアップトラックに轢かれそうになったが、その車が急ブレーキを掛けて停まって、事なきを得た…という、まさに命に関わる事故だった。

 
 私はこの状況を聞いて、数年前にまったく同じような事故で亡くなった、長女の学校の先輩の話を思い出して、背筋が寒くなった。

 その男子生徒は、やはり無点灯で暗闇の中、道路脇に駐車していたサトウキビを積んだ中型トラックにまともに衝突し、頬にサトウキビの幹が突き刺さった状態で亡くなったという、本当に可哀想な事故に遭った。

 
 その事故以来、土日の塾通いなどで、日が暮れてから長男が友人とオートバイで帰宅する日には、本当に心配でならないのだが、今日、実際に事故に遭ってしまった。

 しかし、今回の長男の事故は、痛い思いはしたが、腕と足を擦りむく程度の傷で済んで、本当に不幸中の幸いであった。

 長男の学校の同級生も、つい数ヶ月前に夕方だったのだがオートバイで出掛け、追い越しを掛けた乗用車に接触されて、そのまま帰らぬ人となった…と言う事故があったばかりだった。

 本当にタイの道は、オートバイだろうが、乗用車だろうが、貨物車だろうがお互いの領域を持たずに走っているので、こんな接触事故が多発するのである。

 特に今の時期は、サトウキビの収穫で朝から晩までロットイテーンや大型車やトレーラーまで、猛スピードで我先にと飛ばしている。

 昨日も、チャイヤプムから帰って来る途中のこの道路で、やはりサトウキビをこれでもかと載せたトレーラーの連結した貨物部分が、横転しているのを見かけた。

 こういった、サトウキビの過積載による横転事故も本当に後を絶たないのである。
私も、こういう大型車を追い越すときは、途中で荷台が倒れ掛ってくるのでは?と、追い越し終わるまで、生きた心地がしない。

 
 話は戻るが、長男たちが転倒した際に、当のロットイテーンの運転手は、降りて来て「大丈夫か?」と一応声は掛けたものの、責任から逃れるためか、長男たちが立ち上がるのを見ると、急いで逃げるようにその場を去ったということだった。

 我が家の客にもいるが、こういう酒を飲む金は惜しくないくせに、仕事道具である車の修理や、こういう安全の為の投資には本当にケチる人が多い。

 一個5バーツの小さな電球でもいいから、点灯させていればこういう事故にはならないかも知れない。
  
 まあ、人間の価値観はそれぞれ違うので、こちらの価値観を押し付ける訳にも行かないが、こういう常識のない人間が、未来ある若者の命を奪うのには、本当に憤りを感じずにはいられない。



 

 

 


  


Posted by バットニャオ at 03:11Comments(3)タイの社会

2012年12月16日

ささやかな幸せ

先日の事である。

例のマルチ商法に冒されて、すっかり性格が豹変してしまった主人が、急に

「明日、コラートに映画でも見に行こうか?」などと言い出した。


以前の主人なら、店の仕入れのついでとか、義母の検査の通院日にでも合わせなければ、コラートまで行くこともしなかったのに、最近の主人はどうかしてしまっているので、こんな事を言い出したのである。


まあ、主人がどうかしていようと、せっかくの主人の思いつきに反対でもして機嫌を損ねても面倒なので、まだ日が高いうちから店を閉めて、数年ぶりに一家揃ってコラートに出掛けることになった。



コラート着いたら、まずカーンプラザと言うデパートに入っている、ヤマザキパンの店でパンを買うために立ち寄り、久々の日本風のパンを買い込んだ。

我が家の買い込みぶりに、隣にいたおばさんが目を丸くして、「仕入れでもして売るの?」と聞いてきたくらいだった。


その後、目的地のThe Mallに行って、主人と子供たちが映画を見るために3階に上って行ったが、私と長女は別れて、1階のスーパーで買い物をした。

私たちの目的は、チャイヤプムでは絶対に手に入らないマルコメ味噌だった。
この味噌は、私が味噌汁を作るときに使うより、我が家の子供達が勝手にインスタントラーメンを作るときに使う方が多いので、すぐに無くなるのである。
今回も3kgほど仕入れて来た。


その後、映画が終わるまでには時間があるので、久々にゆっくりとスーパー内の商品を物色した。

すると、長女がこんなものを見つけた。







懐かしの「源氏パイ」と冬季限定「コアラのマーチ」。
どちらも、日本からの輸入品である。


値段的には、150バーツと190バーツ、タイ人の感覚から言えば、決して安くない。

クイッティヤオなどの屋台での一食が30バーツ前後で済むのだから、たかがお菓子に190バーツなどと言うのは、正気の沙汰ではないかも知れない。

長女は最初、値段が見えなかったのか、「これ買っていい?」と嬉しそうにカゴに入れた。
多分、幼い頃に日本で食べた記憶が残っていたのだろう。

でもその後、私の視線の先が、棚の下に貼ってある値段にあることに気がついたのだろう、「やっぱり、いいや…。」と戻そうとした。

私はハッと我に返り、「いいよ。買いなよ、どうせ今のポーはマルチの成功を夢見て、これくらいの金額にはケチケチしないよ。何しろ、サコットチット(催眠術)されて、ピットポカティ(異常)だし、ピーカオ(霊に取り憑かれている)してるから。」

と言って笑っいながら、せっかくの長女の喜びが失われないように、冗談を言った。



しかし実際に買って帰ってきたら、その場では値段のせいか、欲しいとも思わなかった私の方が、結構楽しみにして食べてしまっている。


もうここ数年、いや十年来かも知れない、私も子供の頃からこのお菓子が大好きで、よく買っていた事を思い出した。
昔は薄いセロファン紙で四方から包むようにして包装されていたな…とか、感傷に耽りながら食べている。


つかの間のささやかな幸せの時間である…。


まあ、次はいつ手に入るかわからないが、バンコクの伊勢丹に行くわけではないので、年に一度くらいは手に入るだろう。

あ、そう言えば、来年から長男がコラーとに住むことになるのだった。
それなら、もっと頻繁に行く機会もあるかも知れない。


バンコク住まいなら、当たり前に買える日本のお菓子も、タイの田舎暮らしでは極上の品と化すのである。  


Posted by バットニャオ at 09:35Comments(7)

2012年12月03日

長男の大学受験〜その後

 10月から11月の上旬に掛けて、ほとんどの受験を済ませた長男だったが、いくつか遠征して受けたバンコクの大学の結果は残念だったものの、コンケーン大学とコラートのテクノロジースラナリー、ウボン大学の試験に合格し、後は面接と言う段階になった。


 両校とも、長男は理工学部を受けたのだが、コラートの方は長男の希望する工学部の就職率が国内でもトップだと言う事で、現実的な長男がどっちにしようかと迷う原因になっている。

 コンケーン大学の方は大学自体はイサーンでもトップクラスだし、知名度もあるが、第一希望に主人の勧めで地理学を選んでしまったため、第二希望にした工学部の方に変更出来ないか…と悩んでいる。


 長男の夢…というか将来就きたい仕事と言うのが、二つある。

 その一つは「飛行機の整備士」
もう一つの夢が、「鉄道のレールを磨く仕事」である。


 これを聞いたとき、やはり長男らしいと言うか、我が子の発想に感動した。
私も変わったことが好きだったが、将来の夢などは漠然としていて、人生の岐路に立ってもはっきりとした目標もなく生きて来たことを反省した。


 話は戻るが、その面接のうち、テクノロジースラナリーの面接が、先月の24日に行われた。

 当日は、7時から開始と言うので、主人と長男は早朝5時には家を出たが、友人の中には朝の5時から到着して待っていたという子もいたそうで、7時に受付を済ませた長男の面接の順番は、何とすでに「3,000番台」だったそうだ。
 
 朝の7時から待ち続けて、実際に面接を受けたのは午後2時過ぎ。

 それでも、家で待っていた私と長女は「夜中になっても順番が来ないんじゃない?」などと言っていたので、思ったより早い方だったかもしれない。

 
 しかもその間、長女が今更ながら、「学校の先生が最近の大学受験の面接試験は、みんな英語でするんだってよ。大丈夫かな…。」と心配していたのだが、私は長男の学校はまったくそんな話はしていなかったし、長男も至って冷静だったので、「そんな分けないじゃない、大体、友達を見たって、英語で面接受けられるレベルの子がいると思う?理工系は関係ないでしょ?語学系の学校じゃないんだし。」と高をくくっていたら、なんと長女の学校の先生の話が本当で、長男たちはタイ語ではなく、外国語で面接を受けたそうである。


 ところが、面接時に持って行く履歴書のような用紙の「特技」の欄に、長男は「日本語会話が出来る。」と書いたので、他の友人たちは普通に英語で面接だったのだが、長男だけは「日本語」で面接となった。

 私は、帰って来た長男から話を聞いて、「良かったじゃん!英語で応答するよりはだいぶ有利だったでしょ?」とからかった。
 でも、長男の友人にはもっと強者がいて、英語の面接官からの質問に、「すみません、タイ語で答えてもいいですか?」と聞いて面接官に失笑されたが、全部タイ語で応答した…という子もいたそうである。


 まあ、その日本語の面接の成果か、コラートの方は無事面接も通って、後は、コンケーン大学の面接を受けるかどうかと迷っている長男である。
 

  


Posted by バットニャオ at 00:00Comments(6)タイの学校

2012年10月01日

有終の美を飾る。

 10月に入り、我が家の子供たちの学校も中高生は中間休みに入った。

 正確に言うと、長女の通う女子高だけ、先週の金曜日の期末試験の日に、テストを実施する先生が個人的な都合で休んだため、勝手に延期になって、本日もう一日だけ学校に行かなければならない。

 タイでは、この手の出来事が非常に多い。
 役所などに行っても、朝の遅刻はもちろん、昼間の公務時間を利用して、自家用車の修理やオイル交換に来たりする客もいるし、公務時間にキックと逢瀬を重ねているなどと言う、公務員オヤジも後を絶たない。

 基本的にタイの公務員は、「公務をしてやっている」という態度なので、日本の「公僕」などという謙虚な態度は決して見る事はない。

 
 まあ、話はだいぶ逸れたが、そういうわけで上の3人は少なくとも明日からはひと月弱の中間休みに入るのだが、末っ子のミックはまだ先のようである。

 「ようである」と言うのは、先週月曜日に登園した際に、「明日から4日間休みです。」という連絡だけ受けて来たので、今週は月曜から普段通り登園するのか、後何日で中間休みに入るのか、まだ連絡を受けていないのである。

 そう言えば、先々週に学校からの通知で、「来週の木曜日に、校長先生の退任式を行う」と言う招待状が来ていたのだった。

 そして、ミックが休み始めた翌日、ちょうど学校の通園バスの運転手のおじさんが、うちにバッテリーの交換に来たので聞いてみたところ、4日間の休みと言うのは、その退任式の準備と、退任式のパーティーが2日間執り行われるということで、いかに学校側が力を入れているかが伺えた。

 
 うちの子供たち4人が通った、村立の小さな小学校の校長先生の退任式なのだが、その校長先生は女性で、生涯を教育に捧げたような方だそうで、未だに未婚のまま、いつも学校から届く書類の名前の前には「นางสาว=miss(未婚女性に付ける)」がついていた。


 確かに、我が家の子供たちを、家から30km離れたとなりの市の私立の学校から転校させて、しかも市内にある最短距離の小学校にも通わせず、わざわざ10km離れたその学校を選んだのは、学校見学に行ったとき、この校長先生の教育への熱意と一人一人の子供に注ぐ関心の深さを感じたからだった。


 確かに、貴重な授業時間を潰してこういう個人的な行事に費やすのはどうかとも思うが、人生のほとんどを村の子供たちの教育に捧げて来た校長先生の「有終の美を飾る」と言うに相応しい最後の日になるので、タイ人にとってはそれだけの価値があるのだろうと思った。

 そう、「最後の日」と言うのは、まだ一学期の途中ではあるのだが、タイの公務員の「定年退職」と言うのは「その人の誕生日まで」という、まるで免許の有効期限のようになっているのである。
 たとえ、あと数日で学期や学年が終わるときでも、とりあえず「退職日」は誕生日となり、その日以降に学校に来たとしても、それはもう教員ではなく、教育ボランティアのような扱いになってしまうのである。


 そのため、先週の木曜日に定年退職となった校長先生のポストは、今のところ後任が決まるまで、空きのままになると言うことだ。
 
 その教育への熱意で、これだけ素晴らしい学校を築き上げて来た校長先生の後任は、一体どんな人物が来るのだろうか?
 この学校にこの校長あり、というような校長先生だったので、後任がどうなるのか不安でたまらない。

 まあ、こんな田舎の小さな村立小学校なので、長男の高校の前任の校長のような、寄付金を着服することしか頭にないような校長は来ないと思うが、せっかくの校長先生の足跡を汚さないような後任に来て欲しいものだ。
 



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Posted by バットニャオ at 03:48Comments(4)タイの学校

2012年09月21日

長男の大学受験〜始まり

 今日から、長男の大学受験が始まった。

 いや、正確に言うと来たる23日の日曜日が受験日なのだが、会場がバンコクのムアントーンタニーなので、会場の下見も兼ねて今日から3泊の予定で出掛けたのである。

 今朝7時過ぎに家を出て、9時過ぎにチャイヤプムのバスターミナルから、バンコク行きのバスに乗ったという長男から、宿泊先のホテルに着いたと連絡があったのは、ついさっき、夜の9時過ぎのことだった。


 チャイヤプムからバンコクまでの所要時間は、普通片道5〜6時間程度。普通に考えれば何があったのか?という時間だが、バンコクのモーチットでバスを降りてから、ムアントーンタニー付近のホテルに向かうまでの路線バスで渋滞にハマり、ほとんど動かないようなバスの中で、時間を過ごしたらしい。


 さすがは、バンコク。
何かの統計で、「三大渋滞都市」に名前が挙がって居ただけのことはある。
 長男たちも、初日にしてバンコクの洗礼を受けたようだ。
田舎育ちの長男たちには、かなりのショックだっただろう。


 ところで話は変わるが、この長男が受験に出掛けている間に、今更ではあるが長男がネットから録画して勉強している「フリーネット受験のツボ講座」のようなものを、長男に代わって録画するよう頼まれたのだが、この講師陣たちがすごい!

 チュラローンコーン大学などの有名大学出身の若手講師陣ばかりなのだが、その人たちがそれぞれ、数学、タイ語、物理、英語(会話)、英語(文法)、化学、地学、生物などに別れて受験頻出問題の集中講座をやっているのだが、どの講座を見ても、出て来る講師が皆、「オカマ」もしくは「ゲイ」。
 つまり、性別上は男性ではあるが、一般的な男性がいないのである。

 
 これは主催者の趣味か?と疑いたくなったが、長男曰く、チュラーは「オカマ」と「ゲイ」が非常に多いのだとか。

 主人はこの手の顔立ちのいいオカマやゲイを見ると、「せっかく顔もいい男なのに、女性を相手にしないなんてもったいない…」と、まるで自分に無い物をねだるかのように残念がるのだが、これも彼らの嗜好なのだから仕方がない…、別にゲイだろうがオカマだろうが、人間に変わりはないのだから、構わないではないか…と私は思う。

 話は戻るが、講師の名前も英語の「ティファニー先生」とか、数学の「トゥントゥン先生」とか名前も可愛いので笑ってしまう。

www.clickforclever.com

 ここで、学科を選んでクリックすれば、ティファニー先生たちに会える。

 タイの若き秀才たちは、こうして大金を稼いでいるのだな…と感心してしまう。


 
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Posted by バットニャオ at 01:40Comments(6)タイでの子育て

2012年09月09日

長男の大学受験〜後編〜



  
           日本人なら分かる!かと思いきや…。  


 さて、こうして一日1時間のペースで、長男と私の日本語勉強の時間が始まりました。

 かなりひらがなが多いものの、所々には漢字も出現。
確か小1小2レベルの漢字の本などを買って、勉強したこともあったな…などという感傷に浸っている場合ではなく、その頃は書けたかも知れない、基本的な漢字もほんのいくつかしか読めない状態でした。

 これでも、昨年の4月頃にはこの試験に備えてか、タイ人向けの『漢字辞典』と言う、分厚い辞典を買って来て、夏期休暇中の家の手伝いの合間に、一日5個と決めて覚える練習をしていたのでした。

 まだ覚えていたのは、山や木、田などの基本中の基本。
問題の文章中に、村とか森、林などが出て来るだけで、「う〜ん…」と頭を抱えていました。


 それでも毎日勉強する中で、少しずつは記憶に残る漢字も出て来たらしく、「村田」とか、「山中」などと言う、登場人物くらいは自力で読めるようになりました。


 まあ、これは漢字の書き取りテストでなかったのが幸いでした。
本番で、もし読めない漢字が出て来ても、前後のひらがなをよく読んで、想像力を駆使すれば、かなり正解出来る可能性も高いように感じました。

 長男の利点は、日本語の会話の流れを読んで、助詞や接続語をほぼ正確に答えられる事です。

 この10年、私もそれほど日頃から日本語で話すより、タイ語になってしまう事が増え、そういう、外国人学生などには理解し難く、覚えにくい接続語などを正確に使えるか…という事には不安がありました。

 しかし、長男は兄弟の中でも一番日本生活が長かったので、物心ついてから誰よりも長い期間日本の生活に馴染んでいたし、会話だけでなく学校で字も習う機会があったので、日本語に親しんでいました。

 そのせいか、こちらに来てからも日本のアニメや漫画には特に関心が強く、中学生になってからは、友人からの影響もあり、自分で日本のアニメや漫画を買い漁りよく見ていたらしく、私が驚くような、小学生では使わないような単語も覚えていて、私の想像をはるかに上回る知識でした。

 中でも、今でも大好きな遊戯王カードなどの解説をじっくり読んで理解し、タイ語に訳しているので、「魔法」だとか「融合」、「死者蘇生」などと言う言葉まで知っています。

 
 まあそんな調子で、最初は辿々しかった例題の文章を読むのにも慣れ、とりあえず昨年の試験問題100題を終えた長男。
 続いて一昨年の問題に取り組んでいます。

 
 ところが、仮にも学生時代は日本語学科で日本語教授法などを勉強していた私ですが、このイサーンに埋もれて早10年…。

 私自身の日本語能力があやしくなって来ていることが分かりました。

 日本人なら誰でも出来そうな問題なのに、100題の中で2、3問の答えにどうも自信が持てないものがあり、長男に「どうだろうね…?」と聞き返す始末。
結局二人で、終わりの方の回答と解説のページで確認すると言う、情けない先生でした。


 PATの試験は来月10月に行われるそうで、残すところ後一ヶ月を切っています。
 
 この小さな努力が少しでも実を結んで、長男の大学受験に良い結果をもたらすように、祈るばかりです。

 

 

 
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Posted by バットニャオ at 02:17Comments(7)タイでの子育て

2012年09月08日

長男の大学受験〜前編〜

 前回の更新から、もうすぐひと月が経とうとしています。

 もともと更新頻度が高くないこのブログですが、今年は長男がいよいよ大学受験という事もあり、先月から、私の寝るまでの自由時間に、一つ大事な時間が組み込まれることになったのです。

 長男は理系で物理や化学などが専門なので、もう現役を離れて20年、ただでさえ高校の物理なんてもうチンプンカンプンな私ですが、さらに当然の事ながら全部タイ語なので、もちろん私が教えるなんて出来ません。(長男も期待してませんが…。)

 
 今回、私が担当するのは、何と『日本語』

 当然と言えば当然なのですが、チャイヤプムの高校では、今のところ日本語を第2外国語、第3外国語として開講しているところはなく、長男が「日本語を教えてくれ」と言い出したのは、私にとっては以外でした。

 
 よくよく話を聞いてみると、受験の科目に「PAT」と言うのがあって、この中には、数学とか、外国語などが選択出来るようになっており、それを受験すると、受験の総合点に加算される…ということらしいのです。

 ですから、必須の科目以外に、自分の能力を示すために付加するテストという位置づけのようです。


 まあ、もともと母親が日本人なのだから、日本語が出来て当たり前と思う人もいますが、ここタイで日本人らしい日本語を使えるように育てるには、それなりの努力が必要です。

 それを実践していらっしゃる素晴らしいお母さんも居ますが、私は「タイでタイ人として育てたいって言うんだから、タイ語が出来ればいいでしょ。」と主人の決定に内心反発して意地になっていたのと、店を開業して以来、本当に育児と言えば最低限の食事や洗濯など生活に必要な事しかする時間がなかったので、本当に子供に日本語を教えようと言う姿勢もありませんでした。
 
 いつも、親戚などに会う度に、「子供に日本語教えなくちゃダメだよ。せっかく日本人のお母さんがいるんだから。」などと言われても、「言うのは簡単だけど、そんなに簡単なもんじゃないのよ。大体そんな時間なんてないんだから。」と内心反論していたものでした。

  
 そして、今回の長男の日本語学習の時間。

 主に大学受験の過去問を読みながら進めているのですが、私の認識では長男の日本語能力は幼稚園並、小学校に入ってからは、一応1年生の最初の1ヶ月間と、2年生の最初の3ヶ月間だけ学校に通った程度でした。

 だから、タイに来てしばらくは漢字なども練習したのですが、タイに慣れて来るにつれ、私が忙しくなってくるにつれ、日本語からはまったく離れてしまったのです。


                                〜つづく〜




        これがタイ人高校生向け大学受験の日本語試験問題


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Posted by バットニャオ at 02:55Comments(2)タイでの子育て

2012年08月11日

タイ人の常識〜ゴミは「ポイッ」〜

 昨日、ほぼ月に一度で行っている、義母の定期検診で義母とミックを連れて、コラートに行った時の事である。

 普段私は、チューインガムや飴などの長い間口に入っているものが嫌いで、滅多に口にしないのだが、最近運転中の眠気払拭と口臭予防の意味で、車の中にミント系のチューインガムを常備するようになった。

 まあ、朝の家を出たのが6時半だから眠気も何もないのだが、何となくガムを噛んでみた。
すると同車していたミックも真似をして、「ペッツ」と言いながらも負けじと口に入れたのだが、まだ噛み崩しもしないうちに吐き出した。

 すると、それを添付の化粧紙に包んだまでは良かったのだが、窓を開けて「ポイッ」としようとしたので、すぐに
「ダメだよ!窓からゴミを捨てちゃ!」と制したのだが、ミックは不思議そうな顔で、
「じゃ、どこに捨てるの?」と聞いて来たので、
「う〜ん、その床の所に袋があるでしょ?」と言うと、
「じゃ、メー拾って!」と言うので、運転中なのに•••と思いながら、
「だったら、椅子の下の床に直接捨てていいよ。後で私が片付けるから。」
と言う事で収まった。


 ところが、コラートに行って用事をすべて済ませた帰り道。

 義母が、ミックの食べたハンバーガーの包装紙をクシャクシャッと丸めて、窓を開け窓の外に「ポイッ」。
おまけに、ミックが飲んでいた飲み物の紙コップも空になったので、窓から「ポイッ」•••。

 今朝、ミックに教えたばかりなのに、おばあちゃんがするのを見ては、ミックは何と思うやら•••と思っていると、ミックが、
「ヤー(父方の祖母の呼称)、窓からゴミを捨てちゃダメだよ!床に捨てて置いていいよ。」とおばあちゃんに注意した。

 義母は、少し罰の悪そうな顔をしたが、すぐに笑って「大丈夫!風でどこかに飛んで行っちゃうからね。いいんだよ、別に。」

 義母も負けてはいない。
タイ人根性全開で反論して来る。

 我が家の日本生まれ組の上の3人は、誰も窓から物を捨てるなどと考えもしない。
ミックが窓から物を捨てるクセがついたのは、元はと言えば、物心付く前から義姉の車に乗せられてあちこちに連れ回されたせいである。
 
 この義姉も、義母に勝るとも劣らず、走行中の車の窓から何でも捨てる。
ルークチンの串などはもちろん、コンビニの袋に一杯に詰まったゴミも口を縛ったかと思うと、窓を開けて「ポイッ」•••。

 これを見て育ったミックなので、私と居るときもつい窓から捨てそうになるのである。

 よく日本でも道路端に纏めて捨ててあるゴミがニュースになったりするが、常識のある日本人の中には、そういう事をする人はそれほど多くないと思う。

 それに、日本はタイと比べて遥かにリサイクルとか地球温暖化に対する危機感などの意識が強いように思う。

 タイでも、近年はミックのような幼稚園の子供でも、「パワッロークローン」などと地球温暖化を意味する言葉を口にするが、それがどういう意味なのか分かっていない。
 またもう少し大きくなって、その意味するところを理解しても、何が原因か、何をどうすればいいか…という点で、まだまだ理解している人は少ないようだ。

 地球上のそれを理解した国が「地球温暖化の対策」をいくら実行したとしても、このタイ人の常識を共有する国が、この地球上にはまだまだ他にも数多くあるようでは、せっかくの努力も水の泡になるような気がする。


 このタイトルを考えていて、もう20年くらい前に、一緒に働いていたタイ人の男性の言葉を思い出した。
 
 その男性は、日本人とあまり積極的に会話する方ではなかったが、ある言葉を割とすぐに覚えたらしく、何かに付けて頻繁に使っていた。

 それが、
「ゴミ、ポイッ」
である。

 おそらく、ゴミ捨ての時にゴミと言う単語を、そして誰かが捨てる動作をして「ポイッ」と教えたのであろう。
 この「ポイッ」はタイ語の「ポーイ」(放置する)という単語に似ているので、覚えやすかったのだろうか?

 彼は気に入らない事や気に入らない人がいると、それを指して、いつも「ゴミ、ポイッ」を繰り返していた。
 一種のストレス解消法だったのかも知れないが、私はこの「ゴミ、ポイッ」が、タイ人の常識を簡潔に表しているように感じた。

 要らない物は捨てろ、しかもその場で…。
物も人間も…。

 タイで当たり前のように、よく見かける光景である。

 
  
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Posted by バットニャオ at 00:38Comments(8)タイでの子育て

2012年07月07日

タイ人の道徳

 昨日、Facebookの仲間でタイ在住で二人の子供のお母さんが、小1の長男の筆記用具が毎日のように無くなること、そして自分の子供のカバンに他の子供の物が入っている…という話があって、皆でコメントを書いていた。

 実は、これはタイではごく当たり前のことで、私も最初は幼稚園児くらいだから、他人の物、自分の物の区別が曖昧なんだろうと思っていた。

 でも、コメントにあったのだが、これは幼稚園児ばかりの話ではなく、大人になってもそのまま続く、タイ人の性質なのだと言うことに気が付いた。

  
 ちょうど、その話と結びついたのが、今日の昼頃、主人と観ていたテレビ番組だった。
それは、アジア人のレポーターがチェコスロバキアを訪れ、そこの文化や名所、料理などを紹介するものだった。

 ちょうど料理の紹介をしていたときである。
主人がいきなり、「西洋人や日本人は、別々の皿でそれぞれに食べるよな、インド人やアラブ人なんかもそうだし。」とまるで、西洋的な個人主義を非難するような口調で言った。
 なので、私も「じゃあ、タイの仲間は?中国?」と答えてみた。
主人は、「ラオスとかミャンマーもそうかな?」と言っていたが、そういう国がいい国だと言いたげな物言いだった。
 しかし、私に言わせれば、食はそれぞれの文化で、日本人や西洋人が冷たいからこういう形式になっているのでもなく、日本人を例にとれば、それは、和食の文化の歴史が形成された頃から、膳に椀や皿を並べてそれぞれ別個に食べるのが日本の文化であり、タイのように中国式に大皿から取り分ける形式の国もそれぞれの文化なのだ。
 分け合わないからと言って、それを冷血漢だと判断する基準にするのはどうかと思う。
 
 実際、主人の口調にはそれぞれ別の皿で食べることへの非難があったし、それは普段の日本人への非難からも察することが出来た。

 主人は助け合いを尊重する。
子供への口癖も、何でも分け合うように…というのが信条である。

 私も、そういうことの意義もわかるが、個人主義というか、それぞれのプライベートや、私物なんかの権利は守って欲しいと言うのが、やはり日本人として育って来たせいか譲れないところでもある。
 そういうところを、主人に言わせれば、「チャイダム(冷たい)だ。」となるのである。

 でも、他人に貸さなかったり、分けなかったりすると「チャイダム」だと非難するのは、何もうちの主人だけではなく、他のタイ人もそうであるようだ。


 うちの長男は、性格と言うか日本的な部分が多く、私に似ているので、必要があれば貸したりはするが、自分の所有物はきちっと分けたがる方である。

 逆に次男は、そのとき自分に必要がないものであれば、誰が持って行こうが気にしない。
完璧にタイ人タイプのようだ。
 
 そして、三男。
うちの三男も毎日、鉛筆や消しゴムが無くなり、代わりに他人のノートとかおもちゃをカバンに入れて帰って来るという、生まれながらにしてのタイ人である。

 これが幼稚園時代だけで、大きくなるに連れて直るかと言うとそうでもない。

 うちの義姉の旦那は、我が家が客から買い取った中古バッテリーで使えそうなものがあると、すぐに持って行ってしまう。
家の前に何か使えそうな物が置いてあると、すぐに持って行くのも日常茶飯事だ。

「何か無くなったら、まず義姉の家に探しに行け!」
というのは、我が家の常識である。

 
 「コーンクライコーンマン」という言い方がある。

「誰かの物はそいつの物」つまり「お前の物はお前の物」という意味で、個人の所有を分けるという意味だが、これはお互いに自分の物を認識しようといういい意味ではなく、例えば、後始末などをしなくてはいけないときに、「自分の物は自分でやれ!」(俺は知らないぞ!)のような意味合いが強い。

 私は、普段は分かち合いを主張するのだったら、こういうときも協力してやれ!と思ってしまう。
 あるときは分かち合って、都合が悪くなると「俺は知らん!」では都合が良すぎないだろうか?



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Posted by バットニャオ at 04:22Comments(7)タイでの子育て

2012年06月11日

無理難題

 子供たちの新学期が始まってから、そろそろひと月が経つ。
 
 学校の授業も軌道に乗って来たようで、毎日宿題が山積みの子供たちである。
 
 今年から、高校になった長女は英語、フランス語、中国語の宿題に頭を抱えている。
 

 いつも先取りで宿題を済ませてしまう中2になった次男が、どうしたことか、今日は夕方から仏頂面である。


 理由を聞くと、地理の宿題で「Google earth」などを使って、生徒の自宅の屋根の写真を提出しろという事なのだと言う。

 ところが、次男がどう検索しても、どうしても自宅の屋根が明確に出て来ない。
広範囲の写真では、交差点が見えて、大体その付近だと言う事が分かるのだが、それを拡大して、我が家の建物の屋上を見ようとすると、どんどんピントがぼけてしまう。

 検索の仕方が悪いのかと、私も詳細を入れてみたが、どうやっても出て来ない。

 試しに私の実家の住所を入れて見たら、懐かしい家の屋根まではっきりと出るではないか。

 ならばと、子供たちの通っている学校のある県中心部を検索して見たら、やはりピンぼけもなく見られた。


 そして、そこから我が家の方に移動して見た。
すると、そこから我が家に行く道と、主人の実家に行く道が分かれる「ノーンハイ5叉路」に着くかどうかの辺りから、急にモザイクが入ったようにぼやけ始めた。


 何のことはない。
単に我が家が県中心部から遠く離れた田舎だから、その重要性の低さが表れただけの事だったのだ。

 そう、つまり地図に載せてもらえないような田舎だという証拠なのである。

 実際、この辺りの詳細地図なんてないのだろうと思う。
何しろ、お役所が管理する土地の見取り図でさえ、我が家の隣の三角形の区切りが実際の土地とは違っていた。

 こんな調子なので、誰もこんな田舎の詳細地図など作る人もいないのだろう。

 
 結局、次男の宿題「自宅の屋根の写真を印刷して提出」と言うのは、次男の能力には関係なく、自分で飛行機やヘリコプターでもチャーターして上空から写真でも取らなければ、永遠に提出不可能な無理難題なのだと言う結論になった。

 しかし、学校の提出物に穴を開けたくない次男は、その夜も遅くまで何やら試行錯誤していたようだ。
 私には、無駄な努力だとしか思えないのだが、若いうちは何事も経験してみないと気が済まないらしい。
自分で納得するまでやるしか無いのだろう。

 それにしても、タイの学校の先生は変にこういう、パソコンを使った宿題に頼りすぎている。
 私が、以前の保護者会の意見に書いたように、
 「先生の出す宿題は、何の教科にしろ、子供のパソコンの活用能力を試しているのか、それとも、街のネット屋を儲けさせたいのか?」と言うのが皮肉でもないほど、ネットで文献や資料を探し、それを印刷して冊子にして提出と言うものがほとんど毎日出る。

 私に言わせれば、先生は一応仕事なので宿題を出さなければいけないが、考えるのが面倒なので、何も考えずにとりあえずテーマだけ決めて、生徒がそれを探して印刷して提出…と言うだけのような気がする。

 実際、うちの次男はほぼ毎日、様々な教科の宿題で、ネットからプリントアウトし、それを文具屋に持って行き、簡単な製本をしてもらう…という作業をするので、その度に毎日、数十バーツから百バーツ程度の出費がある。

 たまにならいいが、毎日のようにこうして出されると、その出費もバカにならない。
 普通なら図書館で調べて自分で纏めるか書き写すくらいの事をしないで、宿題と言えるのかと思う。
  
 まあ、一歩譲って時代の流れだとしても、ネットで調べてそれを自分で読んで纏めればいいのではなかと思う。それが勉強と言うものだろう。

 その課題のテーマを探して、そのページを読みもしないでそのまま印刷…では、生徒の頭にも残らないし、先生もその大量の提出物をどうすると言うのだろう。
返却もしないし、古紙としてゴミ屋にでも売っているのか?

 生徒のためにもならない、先生が楽をするためだけの宿題。
タイの学校のこういう内情を垣間みるだけでも、今後のタイの将来に期待は持てないなと思う。
 それでも、そういう子供たちが大人になって何とか生きているのだから、タイで暮らす分には、それほど深刻に考えなくてもいいのかも知れないが…。





 

  


Posted by バットニャオ at 03:22Comments(7)タイの学校

2012年06月01日

ドタバタと保護者会

 新学期が始まってまだ半月も経たないと言うのに、先週の土曜日に早速の保護者会が開催された。

 タイの学校の保護者会と言うのは、日本と違って、授業参観とか、進路のための三者面談などという行事があり得ないため、保護者会と言えば、基本的に単なる学校側と保護者の集会である。

 と言う訳で、保護者会は学校が休みの土日に行われる。
 学校は休みなのだが、生徒は自主参加という形で保護者会の手伝いで書類を配布したり、水やお菓子のサービスをするために登校したりする。

 我が家は、同じ学校に通っている長男と次男の二クラス掛け持ちなので、前回の保護者会では、先に出席した長男のクラスに長居しすぎて、次男のクラスの保護者会には顔だけしか出せなかったという事があったので、今回は次男のクラスにも半分くらい参加するつもりで出掛けた。

 ところが、今回の保護者会は、どこかのバス会社の寄付を頼んで、夏期休み中に完成させた
という、学校ご自慢の大ドームの公開が目的だったらしく、新しく出来たそのドーム(とはい言え、せっかく少しだけあった校庭の半分にセメントを敷いてしまい、単に巨大な屋根を付けただけの日除け程度の集会場でしかないが。)の関係者の演説が延々と続き、保護者会の残り時間1時間を切るまで続いた。

 そのため、肝心の保護者会が行われる各クラスに移動するのに、また5階、6階という階段を上らなければならず、保護者の中には、息が続かず階段の途中で固まっている人も何人かいるほどだった。

 これで、普段の子供の苦労が分かると言うものかも知れない。


 そして、今回の保護者会。

 今回は、次男のクラスに、と決意していたにも関わらず、長男のクラスに名前だけ書いて出て来ようと思ったものの、来年大学受験の長男のクラスの話はなかなか中身が濃く、結局最後まで、席を立つチャンスを掴めずに聞いてしまった。

 話の内容は、大学受験のコウターという推薦制度の申し込みの話から、もしそれに受かっても、その後の登校回数で卒業出来なくなり入学取り消しになった過去の生徒の話。
 毎回、話題に上るのだが、校内での生徒の喫煙やヤーバーの蔓延などの話。
これは長男、次男もよく言っているので、大げさな話でもないらしい。
 ときどき抜き打ちで尿検査をすると言う。
 
 それから、男女交際の問題、学校のトイレなどで男女が何かをしていたところを見つかった、などと言う話から、男子生徒の取り合いで女子生徒が殴り合う喧嘩をするなど。

 と言うように、どれも興味ある話題だったので、すっかり退席する機会を逃し、気が付けば、もうすぐリミットの12時。

 先生が話を切り上げようとしていたので、急いで提出物を渡すと、逃げるように教室を出た。

 ところが…。
急ぎ足で次男の教室に行ってみれば、そこはもうもぬけの殻、人っ子一人どころか次男の姿もなかった。

 私は焦って次男に電話したが、学校内では消音モードにしている次男の電話はなかなかつながらず、次男の友人に掛けまくってみたが、皆一緒ではないと言う。

 結局、しばらく学校内を歩き回っているうちに、メッセージに気が付いた次男から連絡が入り何とか再会出来た。

 こういう保護者会に欠席すると、後日個別面談に出向かなくてはならないと言うので、毎回都合をつけて出席していたのだが、ここで欠席扱いになっては、元も子もない。

 私は、次男を伴って担任のいる部屋に行こうと思ったが、次男が言うには、先生は私が来ない事を聞いたが、長男のクラスに先に行っているというので納得したらしいので、今回は大丈夫だろうとそのまま帰宅してしまった。

 それ以後も連絡も無いので、まあ大丈夫なのだろう。

 以前は、これが年に3、4回あったのだが、校長が代わってから方針が変わったようで、学期に一度になった。

 今回は先生の話はまんざらではないが、子供の学業に直接関係ない巨大ホールのセレモニー的な事は、そちらで勝手にやってくれという感じの保護者会であった。
 
 

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Posted by バットニャオ at 00:33Comments(3)タイの学校

2012年05月09日

奇跡?

 前回からの続きで、長女の高校受験の話である。

 今月の2日に受けた、県内のチャイヤプム女学校(今は事実上共学だが)の受験結果発表は今日9日に発表されるはずだったのだが、すでに昨日の昼過ぎにはウェブ上で発表されていた。
 
 こういうところが適当なのが、さすがタイの学校である。

 という訳で、今日ドキドキで見に行くはずだった受験結果は昨日の午後には判明してしまったのだ。

 結果はと言うと…。

 ネットで合格者名を閲覧していた長女が、「あ!○○!受かったよ〜!あ、××も。理系クラスに名前があった。」などと一喜一憂していた。
 私には、その長女の友達たちが受かったという事自体、「本当に?そんなに簡単にみんなが受かるのか?それとも、彼らはこの休み中に必死で勉強したのかも?」などと思っていた。

 そして、肝心の長女はみんなが合格する中、友達の合格を喜びながらも、自分の名前が見つからないのに焦っていたようだった。


 ところが、「ええっ!!!」
殊更大きな叫びを上げた。

 「あった!私の名前が!IEPクラスの3番だって。あ、ダー(親友の名前)もある。4番だよ!」


 これを聞いた私は、我が耳を疑った…というか、何かの間違いでは?と思ってしまった。

 自分の娘の合格をこんな風に思う親なんているのかと思われるかも知れないが、この一年というより、この受験直前でさえ、長女の生活は普段とまったく変わりなかった。

 日本で「受験勉強」と言えば、どんなに遅くても夏休みくらいには誰もが真剣に猛勉強に励んでいると言うのが私の受験に対する固定観念だった。

 ところが、タイの田舎の学生は、そういう真剣さがまったくない。
 
 何年か前、我が家の子供たちより数年上の義姉の息子が受験したときも、試験の前夜になって少し勉強をしているというので、受験する気がないのだと思っていた。
 
 日本だったら、中間期末テストの前だって、何週間前からとかテスト勉強するに決まっているのに、一生を左右するかも知れない入試の前に何の勉強もしないのだから、呆れて物が言えなかった。

 ところが、自分の子供たちがそういう年齢になるにつれて、タイの田舎の子供たちは、これが普通なのだと理解するようになった。

 
 来年、大学受験を控えている長男は割といろいろ考えて行動するタイプなので、自分なりに物理や化学の勉強に力を入れていて、皆が行くような、俗に「サマー」と言われる夏期講習にこそ行かないが、家の仕事の手伝いの合間に本を広げて受験勉強らしきことをするようになった。


 ところが、今年元の学校に残る事を止めて、新たに受験することにした長女は、朝から晩まで、店の手伝いも多少はするが、暇さえあればモバイルでネット。
 そうでなければテレビの前に陣取って、ダラー•カオリー(韓流スター)が一日中出ている韓国チャンネルに釘付けになっている…という様子だった。


 「少しは勉強したら…。」という私の言葉も虚しく、少し受験用の本など開いても、5分もしない間に閉じられている。
 今まで勉強したことが分かっていないので、何を勉強したらいいのか分からない…と言った状態のようだった。

 だから、前回にも書いたように、タイ人お得意の「セン」を使うことしか考えていない様子だった。

 
 そして、私同様に呆れていたかどうか分からないが、とにかく長女を前の学校に通わせたくない主人は、長女の言うように、「義母の近所のセン」「主人の友人の母のセン」(地元の有力者で県内の婦人会長などの関係で有力らしい。)に加え、「店の客で父親が元校長で、その兄弟が国会議員だという人のセン」まで取り揃えて、何が何でもその女学校に入学出来るように準備をしていた。

 私は、何で長女の受験に婦人会長や国会議員の弟まで出て来るのか…と更に呆れたが、使える者は何でも使え、これがタイ式なのだから仕方ないと放って置いた。

 
 そうして、今日の発表の結果を見に行って、結果がダメなら(誰もが無理だと思っていたが)まず、バンコクから戻って来ている義母の近所の校長の娘に学校まで来てもらって、その知り合いに頼み込むはずだった。
 万が一それがダメな場合は、次の主人の友人に電話して…と主人と長女の中で計画が準備されていた。

 ところが!である。
 何の間違いか、長女の神頼みならぬ仏頼みが通じたのか、奇跡は起きた!

 まあ、私としてはタイの田舎の学校のレベルがこんなものなのだと思ってはいるが…。
学校で先生が教える内容の半分以上が理解出来なくても、テストではなんとかほどほどの点数が取れてしまう。
 前の長女の学校などは、テスト前に先生がテストに出題する問題をプリントして配っていると言うのだから、生徒も努力する必要も無くなるのだろう。
 
 いずれにせよ、タイの中で生きて行くには、このぬるま湯生活でもやって行けるのだから問題ないのかも知れない。



 結局、主人が周到に準備したいくつもの「セン」は使われることなく終わった。


 しかし、私としては喜んでいいのか…と複雑な気分である。
 
 もちろん、「セン」など使わずに入れたことは喜ぶべきだが、こんなに何の勉強もしないで入れてしまうのでは「努力」ということの価値を知らずに成長してしまうように思う。

 しかしこの「努力」と言う言葉自体、もともとタイに於いてはあまり意味の無い言葉である。
 皆、「努力」より「幸運」と言う言葉を好む。
苦労して手に入れた結果より、幸運で飛び込んで来る結果の方を好む。
 苦労は嫌い、楽して得するのがタイ人のモットーである。


 まあ、それはさておき、この「幸運」で受験を通り抜けた長女が、主人をはじめ、家中の皆が願っているように、レベルの上がった学校の級友に刺激され、自分の将来のために、勉強に目覚めてくれる事を願うばかりである。

 親が一生保護者でいられるならいいが、そうは行かない。
いつかは、誰もが自分の足で歩き、自分の頭で考えて行動しなければならないのである。

 高校一年生。
 かつての自分もまだまだ子供だった気がするが、少しずつ自分で判断出来るようになって欲しいものである。



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Posted by バットニャオ at 07:35Comments(8)タイの学校

2012年04月26日

センヤイ?センレック?




 今年中学を卒業した我が家の長女は、来学期には別の学校に通う予定である。
 
 本来、タイの学校制度から行くと、普通、幼稚園と小学校が併設されていて、小学校を卒業すると中学校受験があり、それに合格すると、今度は中学と高校が併設されているのが普通なので、高校進学時には名簿の確認程度で、そのままエスカレート式に高校進学となる。

 幼稚園は「アヌバーン」と呼ばれ、小学校は「パトム」、中学高校は総称して「マタヨム」だが、細かく分けると、中学校は「マタヨムトン(=初めの)」、高校は「マタヨムパーイ(=終わりの)」と呼ばれる。

 略称では、アヌバーンはอ•1、อ•2、パトムはป•1、ป•6という風に、日本の学年と容易に比較できるが、マタヨムはม•1は中学一年生だが、ม•3が中3なまではいいのだが、ม•4は高校一年生になる。そして、ม•5が高2、ม•6が高3となる訳である。
 時々、頭が混乱していると、高2の息子の学年を日本語で「高校5年生」などと口走ってしまう事も侭ある。


 まあ、そういう学校事情はこの程度にしておいて、つまり来学期から長女は「ม•4」になる訳なのだが、中学受験時に、第一希望の学校に合格出来なかったので、二次募集でなんとか間に合った学校に今までいたのだが、やはり高校に進学するに当たって、今の学校より、長女の得意な語学系で有名な元女子高校に入りたいという事になった。


 そこで、今月の末に受験申請に行って、来月の頭には受験となる。

 ところが、過去の中学受験で苦い思いをした長女は、受験に対してかなり怯えていて、受験に大して消極的なのだ。

 誰でもそうだと思うが、絶対大丈夫と言われれば安心だが、落ちるかも知れないという不安が有れば、あまり気が進まないものである。

 ところがここはタイ。

 長女が例の元女子校に入りたいという話を聞いた義母は、さっそく近所の学校の校長先生とその娘がそこの卒業生で、先生に協力なコネがあるというので、その先生一家に話をしてしまったのだ。

 すると、話がどんどん進んで、もうそこの卒業生の娘は学校の先生たちに話をしてしまったと言う。

 義母が電話して来て、「安心していいよ、ヤー(=お祖母ちゃんの意味)のセン(=コネ)は並のセンじゃないからね。」と言う。
すると長女は、「ヤーのセンはそんなに凄いの?」と聞き返した。
 義母は、「センレック(細いセン=クィッティヤオの細麺に掛けて)じゃないよ。ヤーのセンはセンヤイ(太いセン=これもクィッティヤオの太麺に掛けている)なんだから。」とジョークを言って、大笑いしていた。

 確かに、受験に合格出来なくて裏口入学などは当たり前のタイ。
警察や、公務員になるのはもちろん、いい会社で働くにも最終選考は、この「セン」か、現金が必要だと言う。
 タイで暮らせば、やはり慣れなくてはならない社会の仕組みかも知れない。

 だが、出来れば実力で入ってもらいたいので、試験を受けずに最初から「セン」でお願いしてしまおうという、義母の意向はちょっと待ってもらい、とりあえず、正規に出願して試験を受けさせることにした。

 来月の受験はどうなるか、そして、その後の義母の動きにも油断が出来ない今年の長女の高校受験である。


 


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Posted by バットニャオ at 00:29Comments(4)タイの学校

2012年04月03日

4月1日は何の日?

 『4月1日はエイプリルフール』という常識の世界から、離れること数年目にして、我が家に新しいメンバーが増え、それ以来『4月1日は「ミックの誕生日」』というのが我が家の常識になった。

 そう、今から6年前の4月1日の朝7時過ぎに、この世に誕生したミックも今年で6歳になった。
 今でもはっきりと覚えている。
 6年前の私は年度末の最後の夜に破水し、病院に向かったまでは良かったが、その後ロクな陣痛も無く、蚊を叩きながらベッドの上で余裕で出産の順番待ちをしていた。
 その余裕が看護婦の気に障ったのか、点滴に知ら間に陣痛促進剤を投入されたらしく、その後今までの出産で経験した事の無いほどのもがき苦しむ陣痛が始まり、その翌朝ミックを出産したのであった。

 まあ、そんなこんなで無事生まれたミックの6回目の誕生日が、昨日4月1日であった。
  
 子供の誕生会と言えば、それを口実に親戚が集まり、食事会もそこそこに飲み会の末、夜明かしでトランプ大会になるのが相場だが、この日は昼間から酔っぱらいが大嫌いなミックに
「今日はミックの誕生日だから、飲酒禁止だってポーに言って置きなよ。」
と耳打ちしておいたせいで、出発前に父親がタイブランデーの大瓶を用意していたのをすかさず見つけ、「今夜は禁酒」というミックの発言で、食事の水代わりにビールを飲む程度で済んだ。

 ところが、それでも親戚同士の会話に花が咲き、ようやく重い腰を上げたのは、11時近くになっていた。

 すると、もう眠くなっていたミックがあまりの眠さに、暴走を始めた。
何が何でも、「イヤ!ダメ!」の反抗的な態度。
何を言っても聞く耳持たず、これではまるでミックの大嫌いな酔っぱらいのようだ。

 結局、物は投げる、泣き喚く、言う事は何も聞かないという手の付けられない態度に、周囲の誰もがお手上げで、せっかくの誕生日なのに、最後は父親にマイマヨムでむち打たれ、道路物を投げたので、私の平手打ちを食らいそうになったが、私が精一杯抑えて、頭を小突く程度で済んだが、皆に怒られ散々の誕生日になった。

 しかし、冷静になって考えれば、これはこんな時間までダラダラ話している大人たちが悪いような気がしてきて、さっき小突いたことを謝ると、何とかご機嫌を取って無事、車に乗せた。

 そして車に乗る前に、「こんな時間まで、いつまでもお開きにしないから仕方ないんだ。もう眠くて、訳が分からなくなってしまっているんだから。もう、来年は誕生会なんてしない方がいい。」
と、長兄とその奥さん、義母に愚痴っておいたので、それが親戚にも広まって「私が宴会の文句を言っていた。あいつはこういうのが嫌いらしい。」と何となく伝わればいいのにと思っている。
 口に出しては言いにくいことを、こうして皆の噂にして流してしまうというのが、タイの田舎流のコミュニケーションの秘訣である•••。



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Posted by バットニャオ at 02:03Comments(7)タイでの子育て

2012年03月17日

ヴー(「OVER」=オーバーの略語「VER」)

 タイにいると、一部の反愛国に気が狂った、俗に言う「スアデーン(赤服派)」を除いて、タイ人のほとんどが、異常なくらいプミポン国王を敬愛していることに気がつくだろう。

 そのほぼすべてのタイ人が敬愛するプミポン国王の信条として、国民に提言している「生き方」が「セタキット•ポー•ピヤン(足るを知る生活)」である。

 我が家の次男の性格はまさにその通りで、例えば、学校に持って行くお小遣いも、上の二人は一日80バーツなのだが、自分は70バーツで文句を言わないどころか、持っていると使ってしまうからと言い、往復のバス代の30バーツしか持って行かないのが普通である。

 お昼は、お弁当を用意するのだが、それでも暑いから喉が渇いたり、食後や休み時間にお菓子でも食べたくなったら•••という母の心配をよそに、相変わらず必要なだけしか持ち歩かない子である。

 それ以外にも、お腹が空けばご飯を食べ、腹が膨れれば、いくら自分の好物があったとしても、それ以上無理に食べる気もない。
まさに「足るを知る」タイプなのだ。

 ところが、長女はその全く反対で、国王を敬愛しているのは同じだが、その欲望はまさに際限なし、「足る」という言葉のかけらも見当たらない。

 我が家では、この長女のことを話題にするときに、よく「ヴー(OVERの略語のVER)」と悪口を言っている。

 つまり、何事に置いても、身の程知らずなくらいに度を越しているのである。

 つい最近、次男の使っていた一番安い「今どき白黒画面」の携帯が壊れた。
 もともと、次男は別に携帯を欲しがったわけではなく、中学生になり、学校が家から30キロメートルと遠くなったので、いざと言うときの連絡用に持たせただけのことだった。
 そんな次男の携帯には、普段はほとんど電話代が入っていない。
もっぱら受信専用と友達の電話番号を記録してあるだけの携帯で、学校の友達との連絡は家の電話で掛けるというような次男である。

 ところが、長女は正反対。
小学生の頃から、友達が持っていた携帯を羨んで、欲しがっていたのだが、あいにく学校が近かったし、親の送り迎えだったので買って貰えなかった。
 そして、中学生になり、学校が遠くなったのを理由に、「携帯が欲しい!」という猛攻で、入学後すぐに念願のスライド式携帯をゲット。

 ところが、それから一年もすると、また最新型の別の機種が欲しくなった。
しかし、我が家で一番の国王敬愛者の父親が、そんな贅沢な我が儘を聞く訳がない。
それでも、「欲しい!」と思い込んだ物欲が止められない長女は、考えに考えて、今の携帯を中古で売って、それに自分の小遣いを足して、2台目を買おうと考えた。

 ところが、長女が欲しい機種の置いてある店は、中古の買い取りをしていない。
そこで、長女が私に借金を申し込んで来た。
「もう一つの中古買い取りの店が今日しまっていたから、明日売ってお金を返すから、足りない分貸して欲しい。」と。

 ここで、なぜ、明日まで待てないのかとも思うのだが、こういうとき私は、「子供には子供の考えがある」と納得していた。

 こうして2台目を手に入れた長女は、その後3ヶ月もしないうちに、今度はWi-Fi機能のついたサムスンの携帯を見つけ、それが欲しくなった。

 もう、やはり3ヶ月前に買った携帯を中古として売ろうと思ったらしいが、いくら買ったばかりでも、一度使えば中古は中古である。
 自分の思っていた買い取り金額と折が付かず、売るのは諦め、とりあえず手持ちの金額ではもう買える訳がないので、私に前の借金も返していないのに、さらに借金をしたいと言って来た。
 私は何だか、前のツケも払っていないのに、さらにツケをしようとする、よくいる我が家の客を連想させて、頭が痛くなったが、このWi-Fiが付いていれば、もう満足するからという言葉を信じて、また自分で親バカだと思いながらも、この3台目の携帯を購入させた、父親には内緒で•••。

 そして、今回。
 弟の携帯が壊れたのを好機!と思ったのか、最近、また気になっていたらしい、スライド式だか折り曲げ式だかの携帯を買う事になった。

 「•••だか」というのには、訳がある。

 長女がその携帯を購入する前日に、長女のあまりの「ヴー」さ加減に呆れた私は、その日以来、必要最低限以外、口をきいていないのだ。

 その携帯を買った日、私は主人と次男三男を連れて、買い出しに行っていた。
その買い出しに出掛けたのをいい事に、父親のいないときに市内の携帯電話ショップに出掛けて買って来たらしい。

 しかも、その前に何と、弟である次男に1500バーツの借金をして•••。
 
 本当に長女の「ヴー」さ加減では、将来が思い遣られると長男と話した。
 確かに、主人の言うように、一人娘を甘やかした私の責任なのか、それとも性格なのか。

 私としては、自分で考えるようになって欲しいと思い、この先どういう行動を取るか、見守ってみるつもりなのだが。

 でも、こういう大人は、主人の友達や、店の客にも多くいるので、後先考えず、借金をするタイ人的思考なのかも知れないという気もする。

 もちろん、タイ人と一言に括ってしまうのは、カラー画面の携帯を一年も掛けて買うかどうか迷った挙げ句にやっと買ったというようなうちの主人や、物欲の少ない次男のようなタイ人もいるので、どうかとも思う。

 しかし、私の見て来た多くのタイ人の場合、あまり先の事を考えていないな〜と感じることが、あまりにも多いので、つい括りたくなるのである。

 ここ数年、ヤマハのFinoが爆発的に売れている。
最初、こんな高いオートバイはちょっとお金持ちの外国人とか営業主とかが買うのだと思っていたら、うちの末っ子が通う田舎の学校の送り迎えに、何台も並ぶようになった。
 ちょっとした、田舎の中高校生もこれで登校するようになった。
この前まで、オンボロバイクに乗っていたのに。

 多分、トヨタやいすゞのピックアップと同じで、一般の庶民が買えるように「頭金ゼロ」とか、月々500バーツからとか、そういう庶民の手の届くプロモーションを提供しているのだろう。
 確かに、簡単に手には入るが、その後ローンの手数料も含め、長い目で見ればより多くの支払いが待っているのだ。

 そうして、後先考えずに簡単に買ってしまって、すぐに支払いが出来ず、差し押さえになってしまった自動車は以前からタイでは当たり前の事だったが、この先は、差し押さえのオートバイも増えて来そうである。

 それもこれも、敬愛する国王陛下の生き方が真似出来ない、タイ人の「ヴー」な性格が招く結果なのである。

 

       あまり物欲のない次男

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Posted by バットニャオ at 05:04Comments(5)タイでの子育て

2012年03月10日

長男の旅行の土産話

 前回の「長男の旅行」から、だいぶ間が空いてしまった。

 さて、先月の下旬に高校生活の思い出にと、クラスの友人と旅行に行って来た長男だった。
土産話を聞き出すと、まず思い出というか、いい経験をしたのが、素潜り程度らしいが「ダイビング」。
 一応、海の中の珊瑚礁や、魚を見たらしい。

 その中で、ある友人は、20センチくらいもあるウニの刺が足に刺さって、痛くて歩けなかったそうだ。
その他にも、ほとんどの友人がウニの刺や貝殻で怪我をしたらしいが、幸い、うちの長男は、自分でも言っていたが、面の皮ではなく、足の裏の皮が厚かったらしく、何の怪我もなかったそうである。
 「日頃の行いがいいから」と得意顔の長男だが、単に運が良かっただけであろう。

 その旅行に行く前に、長男の親友である、メン(MAN)という友人がいるのだが、彼の家は、長男のクラスの友人にしては珍しく、我が家の市よりさらに山の中にある、田舎の小学校を卒業して、街の進学校に入ったのだが、父親は農業と牛飼いを兼業、母親は農閑期にはバンコクの方に出稼ぎに行くという家庭だった。

 彼も、このクラスの旅行に参加したくて、前払いの500バーツは何とか払ったのだが、残りの900バーツをもらうために、母親に頼んだところ、母親から「学校の行事でないのなら、参加は許可しない」という反対を受け、長男を始め、友人たちがこぞって懇願したにも関わらず、何だかやんわり、しかし断固として拒否され、結局友人たちの努力も虚しく、メンは参加出来なかったそうである。
 確かに、家庭の事情もあろうが、せっかくの友達との思い出旅行の機会を、こうして大人の都合で断れるのは、さすが、タイ人の母親•••と思ったのだった。

 私の個人的な意見だが、タイ人は大人社会で、子供の人格や意見を尊重するという考えが受け入れられない社会だと思う。
 やはり、これはタイ人の「年功序列」社会のせいである。

 とにかく、何が何でも「亀の甲より年の功」。
いろいろ考える若者の意見より、酔っぱらってクダを巻く年寄りの意見が通る社会である。

 私が勉強する子育ての先生の意見では、「自分が子供だったらどうして欲しいか考えよう。」と教えている。
つまり、子供の立場に立って考えよ、ということである。
これは、どんなことでも同じで、相手の立場になって考えるという姿勢なのだが、タイ人にはこれが通用しない。

 自分が子供だったころに、こうしたかったとかいう考えが許されなかったから、子供は大人の言うなりにならなければならない、と思い込んでいる。
 
 そして、自分が大人になると、同じことを子供に強要する。
これが順々に繰り返されて行くのがタイの社会である。

 話は逸れたが、このメンのお母さんの話に、反発を感じて、また、タイの社会構造などという方に話が飛んでしまった。
 本当は、この旅行後の高校生の休暇の過ごし方を書くつもりだったのだが、それは次回に改めて書くことにする。
 

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Posted by バットニャオ at 03:34Comments(6)タイの社会

2012年02月25日

長男の旅行

 今週から期末テストに(学年末でもある)入っていた長男と次男の通う学校が、今日24日でテストも終わり、5月中旬に始まる新学期までの夏期長期休暇に入った。

 今年、高2の長男たちのクラスは、来年の今頃はそれぞれ進学の準備で忙しくなるだろうと、高校の思いで作りのクラスの有志での小旅行を計画した。

 そのため、今日テストが終わったその足で、夜中の12時出発という、とてもタイ人らしいスケジュールで、20人ほどでワゴン車を借り切って出掛けるという事だった。

 行き先は、何とフアヒン(「ホアヒン」と呼ぶのが日本人式か?)。

 タイ人にとっては、ファラン(西洋人)がいっぱいの、少し高級感の漂うちょっとお金持ち向けのリゾート地である。


 最初、行き先を聞いたとき主人は言った。

「おい!お前ら贅沢だな〜。高校生の分際でフアヒンかよ。お父さんが学生の頃は、プークラドゥン(ルーイ県にある山)だぞ。バスにヒッチハイクに、歩いて山登りだ。でも、頂上から見る朝日は絶景だったぞ。ああ、今でも思い出すなぁ•••。」

と、一人感傷に浸って行く主人の話など聞いているのかいないのか、長男の返事は生返事だった。

 大体、今どきの高校生がそんな疲れる事を選ぶはずがない。
疲れるような事を進んでするなんてバカだ、いかに、楽しく過ごすか、楽をするかが彼らの選択基準である。

 それに、長男のクラスの有志と言えば、中1のときに英語強化プログラム(IEP)で集められた特別クラスの子供たち。
 普通の一学期の授業料が1,500バーツくらいなのに対して、そのクラスの授業料は6,000バーツほど掛かる。
 という訳で、必然的にその割高な授業料を払えるだけの余裕がある家庭の子供が集まる。

 つまり、長男が言うように、このクラスで出来た友人は「ルワイ(お金持ち)」が多いという事である。
 そういう子供たちの小旅行と言えば、やはり、ちょっと高級感のある避暑地•••ということになるのだろう。
 海辺の一軒家を借り切って、優雅に過ごす週末というわけである。

 さて、もうすぐ夜中の12時。
集合場所の学校から家が遠いため、一旦家に戻らず、街中にある友人宅で時間潰して、そろそろ集合場所に向かう頃だろうか。

 平日は学校、土日は塾と休みのない日々を送り、よくいる田舎の高校生のように、週末になると友達や彼女と連れ立って、オートバイで滝に行ったり、街に出掛けたりということがほとんどない長男。
 こんな滅多にない機会を、十分に楽しんで来て欲しいと願う母である。
 
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Posted by バットニャオ at 01:43Comments(5)タイの学校