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ブログポータルサイト「ナムジャイ.CC」 › 子供に学ぶタイ語

2010年08月29日

前歯のなくなった少年。

 先日24日に、日本で生活している主人の幼馴染が、久しぶりに日本から帰国した。
こういうときは、決まってうちの主人が夜通しの飲み会に行くことになっている。

 いつもなら、その幼馴染の配偶者である、日本人女性が来て、私も子供を連れてつかの間の交友を深めたりするのだが、今回は事情があって、ダンナさまである、主人の友人だけの来タイだったので、私たちは遠慮して家で過ごしていた。


 翌朝、帰って来た主人は、相変わらず、久しぶりの再会がよほど嬉しかったのか、調子に乗って飲みすぎてしまったらしく、朝帰りの車から降りて、「気持ち悪~~い」と顔色が冴えなかった・・。


 ところが、帰宅してから話を聞くと、その晩は肝心の帰国したばかりの友人は、用事でチェンマイに行くので深酒出来ず、挨拶もそこそこに・・・、同じくその友人に会いに来ていた、別の友人を誘って飲んできたらしい。

 そこで昨夜、その友人から聞いた話をした。

 その内容は・・・。
 
 実は、先日、義母の自宅の村で、17人の少年たちが、一人の少女を暴行・レイプしたという事件があったそうで、この事件はテレビのニュースでも放送されたらしく、主人は知っていたらしいが、私はニュースもドラマも観ないので知らなかった・・。  

 すると、昨夜一緒に飲んでいたときに、その友人が、

「あの事件、オレの息子も一緒に加わっていたんだ。」
とこともなげに、言いだしたという。


 その友人というのは、主人同様、高校卒業後日本に出稼ぎに行ったうちの一人で、向こうで同じ出稼ぎのために来た、数歳年上の歌舞伎町で夜の仕事をしていた女性と内縁の仲になっていて、その間に長男が出来た。

 でも、女性の職業柄、父親の確定は出来なかったのだが、その友人がタイ人によくあるパターンで面倒を見ていた。
実際は、その子供の父親は日本人だという話だったが、その友人が不法滞在で捕まった後に、その母親である女性が面倒を見るか心配なので、子供をタイに引き取りたいという話になり、私も新大久保だったかの支援団体の事務所に何度か足を運び、戸籍どころか、出生届けも出していなかった、その子供をどうやってタイに連れて行くか・・・という大問題に足を突っ込んだことがあった。

 その後、大勢の人たちの努力で、何とかタイの父親ということになっているその友人の実家に引き取られ、今日まで大きくなった。
小学校入学時には、出生証明書がない、国籍の証明が出来ない・・と様々な問題が起きた。それでも、その友人の家族の努力や、学校の先生などの協力で、何とか小学校は卒業したらしい。

 その彼が、今回の事件に加わっていたということに、私は少し動揺した。

 しかも、そういう重大な話を、酒の席で酒の肴に話してしまうその友人に、正直、呆れた。

 確かに、その子供の母親である女性と激しい喧嘩の末別れた友人は、その後も再婚・離婚・また再婚を繰り返しており、その度、新しい子供が出来るので、その子供は実質的には友人の母が面倒を見て、友人の事は「兄」と呼べなどと教えられていたらしい。

 そんな環境が、その子供の今回の事件を引き起こしたのかはわからないが、数年前に会ったときのその子供の前歯を見れば、その子がどれくらい放って置かれているかが見て取れた。
前回の記事にも書いたように、日常生活の世話を焼く大人のいない子供の歯は永久歯に生えかわる前に、すでにボロボロで、前歯はまず見あたらなくなっているのが普通である。

 しかし、それがその子の運命なので、同情したからと言って、必要以上に援助する大人もいない。 
周囲のみんなは無関心ではないが、深入りもしない。
遠巻きに状況を見ていて、何か気がつけば、出来る範囲で援助する程度・・。
気がつかなければ、そのまま素通りする。

 これが、タイ人のナムジャイというものである。

 それにしても、この少年が、昨年大ブレイクした、「ケイゴ君」のように、本当の父親を探しに行かなくて、助かった日本人もいるのだなぁ・・・・と思ったりもした。



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Posted by バットニャオ at 01:47Comments(4)TrackBack(0)タイの社会

2010年08月22日

「ฟันน้ำนม」(乳歯) と 「ฟันหลอ」(歯欠け)

 タイ生まれタイ育ち、チャキチャキのタイっ子のミックが虫歯になった・・・・。

 タイでも、一応、二ヶ月検診とか、4ヶ月検診とかから始まって、地元の病院で乳児検診を受けることになっている。
その6ヶ月検診辺りから、ฟันน้ำนม=乳歯の検診も加わり、歯科担当の保健師さんが、歯磨きの指導をしてくれる。

 私は、すでに3人の子を育ててきたので、今更・・という感じもあったが、黙って聞いていた。

 しかし、いくら3人の子育てを経験したと言っても、このタイ産の末っ子・ミックに関しては、正直全く自信が持てなかった・・・。

 上の3人は、みんな乳児期は日本で暮らしていたので、日本式の孤独な育児だったが、その分責任感もあって、
「私がやらなくちゃ!」と、虫歯にならないように、それなりに頑張って育ててきた。
 それでも、子供の手も、母の手も完璧ではないので、3人とも小学校入学前に、多かれ少なかれ、歯医者の洗礼は経験していた。

 しかし、このミックに関しては、日本時代の子育ては通用しなかった。

 第一に、私が育児に専念する時間がない。
朝の6時過ぎから、夜の8時近くまで営業している店の仕事で精一杯で、生きていくために最小限の家事(炊事・洗濯程度・・・掃除は毎日やらなくても死なないので・・。)をするくらいで、ミックの世話をする時間もないような日々・・・。
 それに加えて、ここがタイ式なのだが、近所に住むようになった義姉(主人の姉)が、病院から退院した生後4日くらいから、朝一番から乗り込んで来て、朝の沐浴だと言って、生後数日のミックを丸裸にし、外に連れ出す日々・・・。
それが終われば、私が授乳を済ませると、またやってきて、もう寝かせるという、私はおっぱいを飲ませるだけの母でしかない、そんな毎日が続いた。


 これは、タイ育児の良い点でもあるのだが、赤ちゃんを見ると、周囲の人間が放って置かない。
日本人の私にはうるさいくらいに、まとわり着いてくる。
みんな、子供が大好きだし、子供はみんなで育てる・・・という暗黙の了解がある。

 しかし、今回のミックの虫歯に関しては、これがネックとなったのは事実である。

 みんな、本当に好意で子供の面倒を見てくれる。
しかし、やはり本当の親が見るべき、細かな部分まで見るわけではない・・というか、誰が責任を持つのか、その責任の所在がどこへ行ったか分からなくなってしまうのである。

 本来なら、子育ての手伝いはしてもらっても、こういう肝心な部分は実の母である私が責任を持つべきなのは分かっている。
しかし、肝心の子供は、誰か(義姉や隣の家の奥さん、その姑さんなど・・)に連れて行かれて、夜になっても帰って来なかったりする。
すでにおっぱいを必要としなくなった時点で、幼児時代から、外泊の嵐なのである。

「ねえ、ミックどこにいるの?」
「・・・お姉さんのとこじゃない?」
「ふ~ん。今夜帰ってくるの?」
「・・ん、わかんない・・・・。」

こんな会話が日常茶飯事である。

 そして、外泊時は、大抵歯磨きしていなかった・・・ということになっていて、結局、今のミックの虫歯問題が発生したのである。

 歯医者に行けば、「お母さんが、ちゃんと歯磨きしてあげないとダメですよ!」
などと歯医者さんに注意されてしまうのだが、私はここで、

「だって、みんな子供をどこかに連れて行ってしまうから!」とか、
「店の仕事、もっとダンナが協力してくれたら、子供と接する時間が出来るのに!」

という不満をぶつけたいのをグッとこらえて、「はいはい・・・」と黙って聞いている。


 タイ式育児と我が家の仕事のせいで、こうなってしまったのだと思うのは、上の三人のときと、この環境が全く違っているからである。
 日本では、子供を預けて昼間は仕事をしていても、仕事が終われば子育ての時間があった。
自分の時間がないのは、子供が出来て以来、今も昔も同じだが、今は子供と向き合う時間すらもほとんどない。
 自営業で、自分の時間が取れると思うのは全くの誤算だった・・・と今は思う。

 
 何はともあれ、肝心のミックの虫歯の治療に行くのが最優先なのだが、すでに3本の虫歯治療を経験したミックは、
歯医者は、「オートバイの音(キ~~ンという機械音)がするから、痛い、行かない!」と断固拒否してしまっている。

 
 しかし、幼稚園に通うようになって、クラスの半分くらいの子が、「ฟันหลอ」(歯欠け)だという事実に気がついた。

上には上がいるものだ。

 あれだけ、検診時にうるさくいわれても、全く聞く耳持たない保護者がいるのである。
 
 その顔ぶれを見て気がついたのだが、その前歯は欠けた子供たちのほとんどは、お祖母ちゃんや、伯母さんが面倒を見ている子供たちらしい。

 やはり、こういう子供たちは周囲が協力して世話をする、村社会の子育てで育っている。

 我が家のミック以上に、子育ての責任の所在がはっきりしないのである。

 だから、誰も子供の歯磨きにまで目が届かないし、子供が欲しがるし、あげないとうるさいので、お菓子を与え、その結果、一日中、飴を舐めている子供や、コーラなどの炭酸飲料で歯が溶けてしまっている子供が多い。

 みんな、お歯黒美人を思わせるように、上の前歯がきれいになくなっている。
これで、永久歯が生えるまで食事をするのだから、不思議なものである。
 噛み切ったりするのに、前歯無しでは不便ではないのだろうか・・・と他人事ながら心配してしまう。
 

 こういう前歯の欠けた子供たちを、大人がからかって、
ฟันหลอ (歯欠け)と呼ぶ。

 我が家のミックも前歯の間に少し虫歯が出来て、虫食い跡のように欠けているので、やはり「ฟันหลอ」(歯欠け)と呼ばれている。




           「ฟันหลอ」と呼ばないで!  

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Posted by バットニャオ at 01:10Comments(4)TrackBack(0)タイでの子育て

2010年08月12日

今日は「ワン・メー・ヘン・チャート」

 毎年のことながら、本日8月12日はタイ国内の重要な年中行事である 「ワン・メー・ヘン・チャート」です。

 「ワン・メー」はその名の通り 「母の日」ですが、この日が「母の日」になっているのは、現・王妃の誕生日だからなので、普遍的なものではありません。(不敬罪に当たりそうなので、大きな声では言えませんが、数十年後には別の日になっていることも考えられます。)

 タイの「母の日」は、王妃の誕生日なので、国内の祝典行事でまず、国王・王妃賛歌が歌われますが、基本的にはそれぞれ自分の「母」を敬い感謝する日です。

 しかし、12月5日の 「ワン・ポー・ヘン・チャート」は国王の誕生日ですが、こちらは、もう100%国王のみを敬い崇める日で、一般の「父」に対する感謝は、微塵もありません

 毎年、この違いは何だろう・・・?と思うのですが、これは、「タイの国王がそれほど国民の崇拝を受けているから・・・」ということもありますが、「タイは基本的に女系社会なので、タイの父親の尊厳が、母親に比べてほとんどない?」と言うことだと思っています。


 理由はともあれ、「ワン・メー」は毎年、学校行事があり、今年も相変わらず出かけてきました。
(本来は12日が「ワン・メー」なのですが、当日は休みになるので、前日に行われます。)

 
 まず、朝の8時半前には、ほとんどの児童のお母さんまたは、伯母さん、お祖母ちゃんが学校に集まりました。
本来なら、どの子もお母さんが来るのが理想なのですが、現実には本当のお母さんと暮らしている子供は、半数以下です。

 親がバンコクや外国に出稼ぎに行ったり、すでに亡くなっていたり、両親が離婚して、お祖母ちゃんに預けられている・・・などという子供が半分以上います。

 でも、皆、本当のお母さんのように暮らしているので、お祖母ちゃんだろうが、伯母さんだろうが、「母」として感謝しています。
私自身は、我が子ほど大事なものはないと思っていますが、最近の日本の事件や、タイでも多い、育児放棄するような親の元にいるよりは、親戚はもちろん、たとえ赤の他人だとしても、愛情を持って育ててくれる方がいいのかも知れません。



 まず、行事が始まる前に、ワン・メーに関する作品で、賞を取った児童たちの展示物を見て回ります。



 今回は、次男も王妃の絵を描いて、2位をもらいました。
他にも、母に関する感謝や、母の偉大さを表現した絵が並びます。

 
 校長先生の挨拶で、行事が始まると、まずは、「国王・王妃賛歌」の合唱です。(「コーデチャー・・・」と言う出だしのテンポの良い曲です。)
日本では、教師が「君が代」を歌うとか歌わないとかよく問題になりますが、ここタイではそういうレベルではありません。

 国歌や国王賛歌を歌うのはタイ人として当然のこと。
疑問に思うどころか、皆が競って喉が嗄れるのでは?とこちらが心配したくなるくらいの大声で、大人も子供も大合唱です。
特に、低学年の子などは、「わかったから、叫ぶなー!!」とこちらが叫びたくなるような調子です。
 
 そして、ワン・メーと言えば、「プレーン・カー・ナム・ノム」(「ありがたき母乳の歌」?)。
ちょっと変な訳ですが、内容は、「お母さんが、自分を産んで、母乳を与えて育ててくれた・・・」と、育児するのは当然のことなのですが、それに対する深い感謝の歌です。
これを、幼稚園児から覚えます。
こうして、タイの子供たちの頭の中には、ごく当たり前に母への感謝や敬愛が深く刷り込まれていくのです。(洗脳?)

 
 その次は、児童の代表による「タイ舞踊」を王妃に捧げます。(正確には、「王妃の肖像画」に・・・ですが。)



 それから、先生方が自身のお母さんを招待しており、その先生のお母さん(もうかなりのご高齢、でも毎年参加されているので、毎年何だか安心します。)先生方とそのお母さん方が舞台に上がって、感謝の意を込めて、タイでは普通、下につけない頭を、お母さんの足の甲に付けて深い感謝を表し、その後、マリ(=ジャスミン)の花を捧げ、お母さんが子供の頭を撫でたり、抱擁し合います。

 それが終わると、今度は、幼稚園児のお母さんから順番に、舞台に上って行き、先ほどの先生とそのお母さんたちと同じ行動を繰り返します。







 我が家の子供4人のうち、3人が小学生だった数年前は、上がっては降り、また上がって・・・とそれぞれの学年で3回繰り返したものですが、今年は2人なので、2回舞台に上りました。



 我が家の次男(中央)も今年は六年生、この学校で最後の「ワン・メー」でした。
この舞台の上で、母に捧げるジャスミンを用意するのですが、今年は、次男は奮発して、自分の小遣いから20バーツのジャスミンのプワンマーライ(花輪)を買って母に捧げてくれました。

 一方、三男は初めての「ワン・メー」で、何が何だか分からない様子でしたが、皆が会場脇で売っている造花のジャスミンのブローチを買っているので、何だか自分も欲しくなり、母にねだって、これも、これも・・と2個も買って満足していました。
そして、本来は舞台上で母につけて上げるはずのに、自分で付けて喜んでいました。

 舞台から降りた先生方とそのお母さんは、たくさんの子供から敬愛のしるしに、このジャスミンのブローチを贈られるので、もう胸中がジャスミンのブローチでいっぱいになっていました。




 これが、三男が欲しがったジャスミンのブローチです。



 このシンプルなもので、一個5バーツ、もう少し飾りが多いと、6バーツ、12バーツ程度なのですが、我が家は子供が4人なので、これが毎年、増える一方で、値段的には大したことはないのですが、貧乏性の私には何だか勿体無くて、「去年の使ってもいいのに・・・」とか、「兄弟で使い回せばいいのに・・」と思ってしまうのです。
 でも、まあ、結局は来年まで取って置こうと思っても、いつの間にかなくなっていたりするのですが・・。

 こうして、今年のワン・メーは無事終わりました。
さて、明日は、主人の実家に行って、義母を囲んで親戚で食事をする・・・「ワン・ヤー」(お祖母ちゃんの日)です。
・・・というのは、私が勝手に言っているだけですが・・・。
 やはり、タイの社会では女性が、しかも年を取れば取るほどゆるぎない存在になります。

 学校行事以外では、我が家にとって「ワン・メー」と言えば、「(主人の)母の日」つまり、子供たちにとっても、「お祖母ちゃん」の日に他ならないのです。



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Posted by バットニャオ at 04:03Comments(6)TrackBack(0)タイの行事

2010年08月09日

น้ำท่วม(ナム・トゥワム=洪水)

 カオパンサー(安居節)に入り、本格的な雨期に突入した。

 毎年、カオパンサーの時期は、毎日ある程度の時間に、激しいスコールに見舞われる。
この雨で、ひび割れていたイサーンの赤土の田畑も潤い、何とか耕作に入れるというわけである。

 そのため、まだ本格的な農耕機械を使わない時期なので、我が家の売り上げがガタっと落ちるのが、この時期になる。

 ところで、店の売り上げ不振期を除いて、カオパンサーというと決まって訪れるのが、

น้ำท่วม(ナム・トゥワム=洪水) である。

 先ほども書いたように、この時期の大雨は、日本の梅雨とは違い、しとしと・・・と一日中降っているわけではないが、空に大穴が開いたかのように、一時的にだが目の前が見えないくらいの土砂降りとなる。

 
 毎年、こうしたバンコクをはじめ、各地での洪水の話題は朝夕のニュースを賑わせるが、ここチャイヤプムでもある場所で、毎年、毎年洪水の被害が繰り返される。

 それが、県の中央に位置する「ジャオ・ポー・パヤレー」(建県の父・パヤレー)の銅像前である。

 ちょうど、我が家の長男が通学する高校はその目の前なので、毎年、毎年、この時期になると、チャイヤプムが大雨になった日やその翌日には、学校が休校になることが多い。

 日本なら、授業のカリキュラムが詰まっていそうなので、この洪水くらいでは、休校になど出来ないだろうが、昔の「南の島のカメハメハ大王」の歌詞ではないが、

「風が吹いたら遅刻して・・雨が降ったらお休みで・・」
という、状況である。

 まあ、日本なら、これだけ毎年洪水が起こる前に、行政が何らかの手を打つはずであるが、タイの役所はなるがまま~~なので、こうして、多いときは週に3回くらいの休校が、毎年続いているのである。

 もっとも、タイの学校の授業のカリキュラム自体が、そう綿密なものではないらしいので、先生の個人的な用事で自習を繰り返すことも多いらしい。
だから、年に数回の休校は、大して問題にならないのかも知れない。

 私も、子供が家にいる方が好きなので、大きな声では言えないが、密かにこの休校を楽しみにしていたりする。




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Posted by バットニャオ at 00:16Comments(4)TrackBack(0)タイの学校

2010年08月01日

幼稚園のทัศนศึกษา(校外学習)~その2

昨日の続きです・・・・。 


 もう、すでに予定時間から遅れているのに、何で・・・?と思ったものの、反対するわけにもいかず、そのまま成り行きにまかせることになりました。
 「せっかくここまで来たんだから、見学しよう」という思いつきだったと思うのですが、この「予定は未定」のタイ的性格は今に始まったことではないにしても、「こんな学校の公的行事にそれはないでしょう・・・」と泣きたくなりました。

 しかも、会場では、降りたい人は降りて見学して、残りたい人はバスに残っていてもいいと言っていたのに、結局全員が降り、しかもそこでの見学予定は一時間だと・・・。

 私は、今までの予定でも5時半頃に到着するかという予定なのに、これ以上遅れたら真っ暗になってしまう・・と本気で焦ってきました。

 とにかくもう帰れないものは仕方がない、そう諦めて会場を見学すると、そこは大学の農学部の展示場のようでした。
蘭の展示会があったり、牛や馬、豚やイノシシの飼育状態の展示があったり、農作物では、珍しい巨大瓢箪や変わった形のウリ科の野菜の展示がありました。




                 巨大瓜のドーム



 もう開き直ってみれば、いろいろ興味深い展示物もありました。
子供たちが見たいと言ったので入った蝶のドームでは、周囲に子供の頃の夏休みの課題で集めたような、昆虫採集の標本が飾られていて、お決まりの珍しいカブトムシや巨大蛾などもいましたが、よく家の前に朝方落ちている通称「メーン・ウッチャキー」(糞ころがし)なども飾られていて、こんな物をわざわざ飾るなんて・・という反応でみんな大笑いでした。

 そして、その蝶のドーム内で生きた蝶が飛び交っているのですが、そこに孫を連れて入ったミックの友達のおばあちゃんが、何とそこにいる蝶を手づかみで捕まえようとしたのには、ビックリでした。

 普通、常識的に考えれば、そういう場所では生き物に危害を加えないのはもちろん、なるべく静かに行動するものだという私の常識は、見事に崩れ去りました・・・。

 そのおばあちゃんの行為はもちろんのこと、他の子供たちも園内の狭い通路をバタバタ走り回って蝶を追い掛け回しているのです。

 先生も、「静かにして・・」くらいしか言わず、大して気にも留めていない様子でベンチに座って休憩中です。
しかも係員も誰もいません。

 蝶のドーム内は一瞬にして、嵐の幼稚園へと変わっていました。


 さて、激動の蝶のドームを出た私たちは、今度こそバスに向かうのかと思ったら、今度はトヨタ自動車と王室の共同企画であるらしい、子供向けタイの交通安全館のようなところに連れて行かれました。




           左側にトヨタのマーク、髪の長いお姉さんが司会者


 ここでは、子供向けにDVDの交通アニメが上映され、司会のお姉さんがいろいろ話してくれます。
朝から来れば、一人100バーツで昼食つきの交通安全講習が受けられるそうです。
 子供がDVDを見たりお姉さんと遊んでいる間、大人たちは、エアコンの効いた館内の床で、寝転がったりしてそれぞれ休憩していました。


 さて、ようやく一通りの見学が終わった頃には、すでに4時半を回っていました。
当初の予定なら、もう帰路に着いている時間です。


 私は、もう「ワット・パー・ラックローイ」に寄るのは中止にして、このまま帰りましょう・・・という先生の言葉を待っていましたが、信仰熱心なタイ人は、ここで止めたりしないようです。

 昼間から行ってもオドロオドロしいお寺の様子が、この夕暮れ時の西陽でさらにオドロオドロしさを増していました。



             お坊様がお経を上げてくれる入り口

 



     この閻魔様の目が扉になっていて、タムブンすると使者がお金を上に運ぶからくり






              「皆でタイで有名なケチ僧侶にタムブンをしましょう」
            (「ケチ」というのは名前です、日本語のケチではない・・・と思います)

 このお寺は、お坊さんの話し方からして、すごく商業的だなあ・・と感じてしまうのですが、ここまでやるともう、完璧な商売でしょう。
お金を入れると、お化けの人形が鳴いたり、お坊さんの人形がクルクル回転したり・・・。
子供は面白がっていますが、大人も喜んでいました。
こうして、この資金でこのお寺のオドロオドロしい建造物(罪業人形)たちが増え続けて行くのです。

 実は、私はここに初めてチャイヤプムに来た頃、連れて行かれたのですが、その頃は、その人形たちが物珍しくて写真を一杯撮ったりしたものです。
しかし、もうここに住んで、タイの宗教観や生き方に慣れた今、私はその人形たちをカメラで取る気にはなれませんでした。

 子供ではないのですが、「ピー(お化け)」が怖くなったのかも知れません。
 その人形たちが表現する、現世の罪業に起因するあの世での罰が、人事ではなくなったと感じるのかも知れません。

 その人形たちには、いちいち説明が書いてあって、殴り合って殺しあう男女に「いつも罵りあうとこうなる」とか、片手に包丁を持って、男性の性器を切とす男女に、「浮気をするとこうなる」とか、亀が血を流して泣いているのには「前世で亀を殺した男」などと書かれています。


 でも、子供たちの反応は至って無邪気なもので、腕白盛りのこどもたちは、その人形たちの伸びきった舌を引っ張ってみたり、目玉をむき出して死んでいる人形の目玉を突いてみたり・・と先生たちに怒られていました。

 以前、長男が幼稚園くらいのころに、日本から来た長男の友達をここに案内したことがあるのですが、そのときその友達はあまりのオドロオドロしさに気分が悪くなったらしく、泣き出してすぐに出て行ってしまいました。

 今回のタイの子供たちの反応を見て、改めて、日本人とタイ人の子供の感覚の違いを感じました。


 
 さて、この「ワット・パー・ラックローイ」を後にして、私たちはもうすっかり薄暗くなった帰路に着きました。

 帰りも行きと同じく、先生のカラオケのオンステージ。
ですが、夕闇にライトが映える分、車内の照明設備はさらに効果を増し、車内はすっかりカラオケパブ状態・・・。

 一日の疲れが溜まっているはずなのに、さらにテンションが上がっている子供たちは、カラオケの曲に合わせてノリノリで踊りまくっていました。
もともと、シートベルトなどのないタイのバス、子供たちもおばあちゃんも総立ちで踊り続け、学校に着きました。

 





 そんなこんなで学校に着いたのは、予定時間を全く無視した、午後7時半近くでした。




   



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Posted by バットニャオ at 04:12Comments(5)TrackBack(0)タイでの子育て

2010年08月01日

幼稚園のทัศนศึกษา(校外学習)

 昨日、30日は我が家の三男・ミックの通う幼稚園のทัศนศึกษา(タサナスクサー=校外学習)でした。
 と言うのは建前で、その内容は単なる遠足に過ぎなかったのですが・・・。

 当初の行き先は、隣県コラートことナコンラーチャシーマーにある、「コラート動物園」、そして帰りに人間の罪業を表現した、オドロオドロしい建造物で有名な「ワット・パー・ラックローイ」に寄ってタムブンして帰ってくるという至ってシンプルな予定でした。

 もともと、幼稚園児が20人くらいのクラスに先生が一人という状況なのですが、学校から渡されたその校外学習のプログラムを見たところ、今回は幼稚園児だけではなく、小学1年、2年、幼稚園年長年少の4学年が揃って行くということでした。
 
 しかも、4学年で総勢111名の子供が行くのに、付き添いの先生は校長先生を含めてたったの5人・・・。
まあ、田舎の村立学校なので、学年に一人の先生しかいないのだから、仕方がないといえば仕方がないのです。

 ということで、我が家の腕白小僧・ミックが無事に行って帰って来るか・・・という不安から、先生に相談しようと思ったところ、学校側も、最初から地域の応援を当てにしていたようで、保護者の付き添い枠を20人くらい用意している・・ということだったので、主人の命令で早速保護者同伴で申し込みました。

 ところが、最初20人と言っていた付き添いの保護者は、当日には30人以上になっていて、さすがはアバウトなタイ人のこと、チャーターしていた観光バスも、幼稚園児は2座席に5人くらいで座ったり、大人が子供を抱っこしたりして、何とか全員乗って行くことができました。
 
 バスは普段は路線バスとして活躍しているバスを2台チャーターしました。
こういうことはよくあるのですが、私たちが乗ったバスは、普段は長男と長女がチャイヤプムの学校に通うために乗っているもの。
ですが、こういう行事で貸切となると、普段の運行予定から一台、二台と減らされて、それを利用している長男たちは学校へ行く時間が遅れたりします。
 今回借りた私たちは助かりましたが、長男たち普段の乗客にしてみれば迷惑極まりないのです。
 バス会社は、乗客の迷惑や不満よりも、まとめて入る臨時収入の方が大事なので、会社の責任とかいう問題を誰も追及したりしないのもタイ社会の特徴でしょう。


 さて、当初のプログラムは何だったのか・・・?と思ったのはこれだけではありませんでした。

 まず、集合時間。
プリントには、7時集合、7時半出発となっていたのに、前日に先生から、
「明日は6時半に集合してくださいね。そうすれば7時には出発できますから・・」と言われました。

 え?確か7時集合では?・・・予定は未定、さすがはタイか、と思い、当日6時半に行くと、もうほとんどの人が来ていました。
さすが、村人の朝は早い。

 そして、無事出発。
バスは一路、子供たち待望の動物園へ・・・。

 普段は路線バスなので、エアコン無しの天然エアコンバスの窓から吹き込む早朝の風は、エアコンよりも寒いほどでした。
しかし、路線バスでも音響設備には力を入れているので、前面のテレビ画面と、あちこちについているスピーカー、照明設備は揃っていました。

 早速、朝から大音響でカラオケ!です。
と言っても、マイクを持っているのはほとんど幼稚園の先生。
動物園に到着するまでの1時間半ほど、先生のオンステージ状態でした。


 さて、動物園に着くと、本来の目的の動物見学は歩くのが大変なので、園内の移動バスに乗って、車内から見る程度。
サファリパークじゃないんだから、車で見学なんて・・・と思いましたが、歩くのが嫌いなタイ人の事、乗るものがあれば乗る!のは常識です。

 そして、子供たちに宣伝しておいた、目玉の「メーオ・ナーム(アザラシ)」のショーの見学ですが、こういう平日にはたくさんの学校から見学に来るようで、ショーの会場は座る場所がないほど混み合っていました。




 
 こういうショーの司会者や飼育係の人は、日本でもタイでも本当に同じに見えるのが不思議です。
話す言葉は違うのに、以前品川水族館で見たショーを思い出しました。

 さて、アザラシのショーも終わって、昼食の時間です。
子供たちの昼食は、学校で用意するとあったので、お弁当でも頼むのかと思ったら、給食の大鍋にいつもの給食のようなメニューのカーオ・ラートゲーン(汁物かけご飯)のおかずとご飯を持参していたのでした。
バスの横についている荷物庫にしまって運んできたのです。
先生たちの節約精神に頭が下がりました。

 動物園の入り口付近で、数枚のござを敷いて全員で給食、もとい昼食です。


 その後は自由時間、本来なら、もう出発時間になっているのですが、のんびりした先生方は、子供たちがミニバイクやミニ乗用車などの遊具で遊んでいるのを横目に一休みです。

 私は一人で、「あ、もう時間過ぎてるけど・・」と焦っていました。

 ところが、やっと出発し、一路「ワット・パー・ラックローイ」に向かうのだと思ったら、

「この近くで農業科学技術展をやっているから、それを見学しましょう。」と、全く予定にない場所に寄ることに・・・・。



 長くなりましたので、この続きは明日に・・・。

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Posted by バットニャオ at 02:57Comments(2)TrackBack(0)タイでの子育て

2010年07月20日

古物屋

 
  家の前のダンボールの山とお手伝いミック。

 今日は我が家の長男の16歳の誕生日だった。
この年にもなれば、物欲は増すばかりで、欲しいものがどんどん出てくるものである。

 我が家の主人の方針は、「自分の意思で買いたいものは自分で稼げるようになってから買え!」なのだが、まだ中高生なのだから、そうそう簡単に稼げるものではない。
しかも、ここはタイのド田舎であり、日本の中高生がやっているのようなコンビニやファーストフードなどのアルバイトはまずない。

 よく主人が言うのは、「自分は昔、リーバイスのジーンズが欲しくて、サトウキビ畑でサトウキビを担ぐアルバイトをして買った。」という自慢話である。
 それを聞いて育った長男は、養豚を思いつき、飼い始めては見たのだった。
しかし育てている内はいいが、学校で叩き込まれた仏教の教えから、売るときに感じる罪悪感により、養豚ビジネスの道を諦め、これからのお小遣い稼ぎの道は路頭に迷っていた。


 というわけで、今小遣い稼ぎの失業中の長男は、とりあえず店の前に溜まっている段ボール箱やペットボトル、廃ハイドリックホースなどを集めて、昨日の日曜日に売りに行った。

 今回は一ヶ月くらい溜め込んでいたので、かなりの量になり、オートバイの後ろにリアカーを掴んで運ぶのだが、普段の2回くらいから、今回は5回の往復となった。

 今回は、いつも長男と行動を共にする次男三男に加え、最近、好きな恋愛小説にハマっている長女も、小説を買うお金欲しさにこの廃品回収に参加し、4人で2,200バーツ以上を稼ぎ出した。

 
 持ち込み先は、 我が家から200メートルほどのところにある、ร้านรับซื้อของเก่า、その名の通り「古物屋」である。


 我が家は、家の前に、常時仕入先から送られてきたダンボールが山になっており、家の脇には用済みのハイドリックホースがこれまた山積になっているので、よく廃品回収をして生計の足しにしている農民の人々が、売ってくれないかと聞きに来る。

 しかし、我が家は目と鼻の先に古物屋があって、いつでも売りに行けるので、丁寧にお断りすることにしている。
それに、こういう人が仲介に入ると、その分価格が下がるというか、本来、古物屋に直で持っていけば、紙類なら1㎏あたり、4.5バーツなのだが、仲介業者は4バーツとか、3.5バーツくらいで引き取るようになっている。
 
 ここのところの相場は、紙類で、4.5バーツ、混合鉄類が5バーツ、鉄のみなら8バーツ、ペットボトルなどの透明プラスティックは4バーツ、透明でない混合プラスティックは少し値が下がるようだ。
アルミ缶は2個で1バーツという勘定になる。

 実は、古物屋=ゴミ屋という感じから、貧乏なイメージであるが、この古物屋という商売は、とても利益が多い。
 
 実際、長男の友達で、チャイヤプムの大きな古物屋の息子がいるのだが、彼は、自分の家の職業を馬鹿にした友達に、

「そうやって『ゴミ屋』と馬鹿にするが、オレの家の収入は、公務員をやっているお前の親より余程多いのは間違いない!」

 と、自信満々に家の職業に対する冷やかしに答えたそうである。
 

 最近知った話だが、我が家が日本から移住するに当たって、主人の母は、「もし、今の自動車部品屋の話がなければ、この古物屋をやらせようと思っていたんだよ。」と言っていた。
義母が自分の息子に勧めるほど、利益の多い商売なのである。

 一歩間違えば、今頃我が家は、『ムアンチャイ・アライヨン』(ムアンチャイ自動車部品)ではなくて、『ムアンチャイ・コーンカオ』(ムアンチャイ古物屋)になっていたかも知れない。
 そして、私は、毎日朝から晩まで、ゴミの山の中でゴミの仕分けをしていただろう・・・・。
 

 そんなことを考えて、一時的にゴミのなくなった店の前を掃いていた。

 ちなみに、2,200バーツの収入は、働きの多い少ないに関係なく、4人で平等に山分けされた。
これも我が家の決まりである。
16歳の長男も550バーツ、口ばかり動いてあまり働かない次男も550バーツ、文句ばかり言っている長女も550バーツ、大した手伝いもしていないが、4歳の末っ子ミックも550バーツ。

 これで、しばらくは懐の暖かくなった我が家の子供たちである。



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Posted by バットニャオ at 02:21Comments(5)TrackBack(0)タイでの子育て

2010年07月03日

ナー・ムン(ナー・ダーン=図々しい)

 我が家にいろいろな感情が錯綜した、三匹の豚を売った日から、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。

 その子供たちの感情はそれぞれの中で消化したらしく、今はもう豚を売ったことに対しての言い合いはない。

 しかし、未だに片付いていない問題がまだ残っている・・・・。



 それは、豚の代金である。


 何となく、普段のタイ人相手の商売の経験から、こうなるような気はしていた。


 最初、豚を連れて行った日は6月4日金曜日の夕方だったので、土日金融機関は休みと言うこともあり、その日に主人と長男立会いの下で、豚の計量は済ませたのだが、


「代金はあと4,5日してから・・・」

ということだった。

 まあ、金額が、2万バーツを超えたので、タラートで豚肉を販売している収入では、すぐにと言うわけにも行かないのかとも思い、少しくらいは待つことになるだろうとは思ったのだったが・・・・・。


 我が家は私を始め、長男もその長男の下で働いた次男も、豚が売られたのは可哀想だったが、もう、売ったものは仕方がない、その豚の代金を集金する日を、指折り数えて待っていた。

 集金人は、もちろん主人なので、主人の機嫌を損ねないようにしながら、遠まわしに催促する・・・。

「ねえ、豚の代金もらって来れば、長男が前借りした、豚の餌代が戻ってくるから、部品代の支払いに回せるよね。」
(早く取って来てよ・・・)

「長男が、次男もよく働いたから、次男に2千バーツくらいあげる予定らしいよ、それで、次男が今日、催促してた。」
(次男は遠慮なく言うので、主人もその辺は分かっている)


 そして、ついに約束の5日を越えて、他人には妙に遠慮がちな主人が6日目にやっと集金に行った。

 そして、帰って来た主人が、「来週の月曜日にしてくれ」だって・・・。

 それから、また私たちは次の月曜日を待ったのだが、またまた遠慮がちな主人は、その日には行かなかった。

そして、私の地雷を踏まないための遠まわしな催促で、ようやくその2日後くらいに主人が集金の催促に行くと、今度は、

「16日のフワイ(宝くじ)で、いっぱい当たった人が出て、資金繰りに困った知り合いが、借りて行ってしまったんだよ、だから、もう少し待って。」
う~ん、そう来たか。本当かどうかは知らないが、日が悪かったのかも知れない。

 数日後、主人が意を決して催促に行くと、その日、ようやく10,000バーツを払ったらしい。
豚の代金の総額は20,880バーツなので、あと残り、10,880バーツである。
 

 そして、もともと、催促などが苦手な主人が、行く度に「もう少し」
と言われるので、なかなか出かけようとしなくなり、さらに一週間が過ぎた。

 いよいよ、6月の最終週になったので、さすがに私が言う前に出かけた主人だったが、今度は、

「あと、2,3日したら、肉の納入先の学校の集金が入るから、そしたら払うから。」


と言うので、カレンダーを見たら、その日は23日で確かに、公務員の給料日は25日だから、学校の経理もその日に処理されるのだろうと納得して、またまた、待つことになった・・・・。


 そうしているうちに、また一週間が過ぎた。
2,3日と言われても、その日にきっちり出かけないのが、主人の遠慮がちな性格である。

 その間、何度もその豚の買い主である、豚肉屋の女主人の店には豚肉を買いに行ったのだが、
主人曰く、
「買いに行ったときは、顔色一つ変えずに、豚の代金の話はこれっぽっちも口にしない。淡々と売ってるだけ。」
だそうである。

 ついに、月が変わって、7月になってしまったので、いい加減にしろ!と思った私が、

「ねえ、もうすぐ一ヶ月だよ。豚の売買って現金じゃないの?」

と言うと、ようやく主人も再度出かけ、これでようやく養豚のけじめがつく、と確信していた私だったが、敵は一枚も二枚も上だった。


 今回、主人が集金して出来たのは、残りの全額10,880バーツではなく、5,880バーツ。
あと、5,000バーツが残っている。

 理由は、その日は、銀行の半期に一度の休業日だということで、「銀行が休みだったから、これだけしかない。」
ということであった。
今まで、銀行の営業日に何度も取りに行っても、払わなかったのに、今回はこの手で来た。

 
 学校から帰って来た長男がこれを聞いて、滅多に他人の悪口は言わないのだが、珍しくこう言い放った。

「ナー・ムン・チンチン!」(本当に図々しいな~!)

しかも、普段使っている標準タイ語の「ナー・ダーン」とは言わず、イサーン方言の「ナー・ムン」だった。

 この言葉に、普段穏やかな長男の憤りを感じた母であった・・・。

 しかし、私がほぼ毎日、この言葉を心の中で呟いていることをみんな知らない・・・。

 タイ人相手の商売は覚悟が必要である。



        思い出となった豚たち。
                

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Posted by バットニャオ at 01:43Comments(3)TrackBack(0)イサーン語

2010年06月20日

กาว ปะยาง(カーオ・パヤーン(グ)=パンク用接着剤)

 今日の夕方、近所の自動車修理工場のアルバイトが、

「カーオ・パヤーン(グ)、カーオ3K有りますか?」

と買いに来た。

そういえば、昨日の夕方も買いに来ていた。

 もともと、このパンク修理用の接着剤である 「カーオ3K」 は、お金のない若者がシンナー代わりに好んで吸引するということは聞いていた。

 でも、買いに来たのが近所の修理屋の若者だったので、いつものどこの誰かもわからない若者がこれを求めて買いに来たときのように、警戒はしなかった。

 しかし、それが今日も来て、ちょうど隣にいた主人が、「売り切れだよ。」と躊躇なく言い放ったので、今日は売らなかったのだが、主人が言うには昨日も買いに来たという。
えっ?私も昨日売ったけど・・。
ということは2本も買っていたのか、確かにそれは怪しい・・・。
30グラム入りの小さな缶入りだが、一日で2本も使いきるということもないだろう。





             店頭に並べられない危険な商品「カーオ・3K」



 この「カーオ3K」に関しては、開店当時から主人に教えられていた。

 以前、この近所でも、これを買いに来た若者に売って、若者が帰った途端に警察が乗り込んできて、

「さっきの若者に、カーオ(接着剤)を売っただろう。若者が吸引して捕まっている。若者の自白でこの店で買ったことが証言されている。」

 と、警察に連行され、若者にこのカーオを売った罰金として、一万バーツ以上払うことになった・・・という店の話があった。

 
 これを聞いた私は、

「だったら、このカーオ作ってる会社や工場を逮捕すればいいのに。それを薬物として吸引したのが罪になるのはわかるけど、それを吸引用じゃなく、接着剤として売っているだけの店まで捕まったんじゃ、やっていられないよ。店は関係ないじゃない。」

 これは主人が言うには、警察が若者を雇って、わざと買いに行かせた、警察の資金稼ぎの一つだったということだが、これに我が家も嵌められては大変だということなのである。

 我が家では、自動車修理にも使うのでこれを置いて売っているが、いちいち、買い手の顔を窺いながら、この人には売ってもいいか・・とか、これは若者だから・・とか考えなくてはならないので、もうこんなに面倒なら、今回の商品が終わったらこのカーオの仕入れはしないことにしようと思ったりする。


 私はよく知らないのだが、日本でもこの手の接着剤などで吸引行為をする人がいるのだろうか?
ビニール袋にシンナーというのは、よくテレビのドラマなどで見たことがあるが・・。



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Posted by バットニャオ at 00:35Comments(4)TrackBack(0)タイの社会

2010年06月06日

三匹のこぶた・・・その後

 昨年の12月半ば過ぎに、長男の小遣い稼ぎ計画のために、我が家に来たのが「三匹のこぶた」だった。
(「三匹のこぶた」 http://lawan.namjai.cc/e20541.html 参照。)

 その三匹がついに、昨日の夕方、売られて行った。
もう、先月末から、それぞれ百キロも超えたと思われる大きさになっていたので、売られる日は近いとは思っていた。

 最初は広々としていた、トイレの敷地利用の飼育小屋も、最近では三匹が身動きを取るのも難しいほど狭くなっていた。

「もう、売らなければならないな・・・。」
家族の誰もが(ミック以外)、そう思っていた。


 それでも、豚肉業者のところになかなか話を付けに行かない主人のせいで、延び延びになっていた。

 しかし、売らなければと決めてから2袋目の飼料も尽きた昨日、主人が思い腰を上げて、知人の業者を呼びに行った。


 業者は、夕方来るといったが、5時を回っても来ず、外は小雨が降り始め、やがて本降りに変わった・・・・。

 そんな雨の中、白いピックアップが家の前に止まり、警笛を鳴らした。

 
 主人は家から飛び出すと、息子たちに声をかけ、「おい!豚を引き取りに来たぞ!手伝うんだ!」と指示を出した。


 業者の人が2人、それに、うちの主人、長男それからちょうど来ていた甥が加わって、5人掛かりで3匹の大豚を一匹ずつ鉄格子に入れ、ピックアップの荷台に運んだ。

 ところが、豚も異常事態に気付いたのか、おとなしく鉄格子に入ろうとはしない。
そのため、業者の一人が、その辺の棒切れを拾って、何度も何度も叩いてようやく入れた。
一匹目は特に手間取ったようで、離れて見ていた私の耳にも、

「ここで殴り殺しちまっても、いいんだぞ。どうせ殺す手間が省けるだけなんだから。その方が楽に鉄格子に入れられるってもんだ。」

と、もう一人の業者が指示しているのが聞こえた。

 人が何かを殴っているのを見るのは本当に辛いものだ。
たとえ、それが生き物でなくても、「見るに耐えない」という言葉が相応しい。
目を覆いたくなる、耳を塞ぎたくなる・・・。

 そういう状況の中で、いつまでも鉄格子に入るのを、身体全体で拒否する豚の叫びが聞こえていた。

 私は、最初の一匹が本当にここで殴り殺されるのではないか・・・と心配していたが、ようやく鉄格子に入った豚はまだ、狭い檻の中で頭や身体を少しずつ動かしていたので、遠目にも息があるのだということは分かった。

 しかし、ここで、息絶えていなくても、この鉄格子の行き着く先に待っているのは「死」なのだと思うと、胸が締め付けられた。

 長男も、同じ気持ちだったようで、もうこの先、養豚を職業にしようとは思わなくなったらしい。
それは、先日の学校単位で行ってきた、5日間にも及ぶ 「เข้าค่ายธรรม」(仏法合宿)で、「動物を飼育して、食肉用に殺すのは罪業になる職業である。」という教えを受けてきたせいもある。


 長男は、誓った。

 この次は、絶対食肉用に生き物を買って売ることはしない。
欲しいものがあるときは、お小遣いを貯めて現金で払えるようになってから買う。(今回、母親の私に借金をして、欲しかったカード類を買ったので、借金の返済に悩んでいた。我が家の客も、みんなこういう考えを持ってくれるととても助かるのだが・・・。)

 しかし、長男に次の小遣い稼ぎの方法はまだ、見つからない。
「サトウキビ畑の収穫の手伝いの日雇い人夫でもして稼ぐか・・・」・・・・思案中である。


 今回の、三匹の豚たちの飼育と売買は、我が家の家族一人ひとりに、それぞれの思いを抱かせた。

 いつもは、あれだけ悪態ばかりついている長女が、ちょうど豚の悲鳴に驚いて、見に来たところ、業者が豚を殴打している現場を目撃して、声も出ず、一人で家の奥の階段隅の暗闇で泣いていた。

 いつもはふざけてばかりいる陽気な次男も、大きな目に涙を溜めて、泣くのを堪えていた。


 それが将来にどんな影響を及ぼすのかわからないが、一つの忘れられない思い出となったことは確かである。

 長女は、豚を飼って売った長男を非難したが、それが罪業になるとしたら、誰もそれをやらなかったら、人類は肉を食べられなくなってしまうだろう。
 それに、その職業を「重い罪業」と非難しながら、タイの僧侶たちも寄進された肉料理を食べているではないか。
 
 食肉業者を非難したら、人類は完全なベジタリアンになるしかないだろう。

 そうしたら、人類は滅亡してしまうだろう・・・。

 そういう疑問を長男と話していたら、長男曰く、「もう、食肉用に加工された肉は、食べても罪業に当たらない。だから僧侶たちは罪業にはならない。」のだそうである。

 何だか・・・それでは都合が良過ぎないか・・・・。

 という訳で、我が家の養豚計画は、今回限りで終わりとなった。

 養豚の跡地では、今まで放し飼いにされていた鶏が卵を産んだので、それを近所の犬たちから守るために、そこに入れるそうである。


 大きくなった三匹の豚を写真に撮るはずだったが、もうカメラを向ける気も失せたので、写真は撮らなかった・・・。





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Posted by バットニャオ at 00:52Comments(4)TrackBack(0)タイでの子育て

2010年05月23日

依存症(ติด・・・・)

 タイ人は一般的に言って、何かに「ติด=依存している」人が多いように思う。

 タイに来て、またはタイ人との交流が深くなってくると、よく気がつくのが 「ยาดม=ヤードム」ではないだろうか。

 タイ人が頻繁に、何かリップスティックのような形をしたものを鼻の穴に突っ込んでいるのを怪訝に思ったことはないだろうか?
これは、突っ込むタイプの「ยาดม=ヤードム」で、他に目薬の小瓶のような容器に入ったものもある。

 どちらにしても、メントール系の液体が入っており、匂いを嗅いで精神を落ち着ける・・・という目的で使用されている。
我が家の子供たちも、学校で友達が使っているのを見て、使いたがったりしたが、私は単に「依存症」だと思っているので、我が家では禁止していた。

 ところが、末っ子のミックは、隣に住む義姉(伯母)といつも一緒にいるので、あやうくこの伯母に 「ยาดม=ヤードム」依存症にさせられるところだった。



 さて、タイ人の「依存症」は他にもあり、「女性依存症」(単なる女好きか?)や、新聞でも騒がれたタイ人ハーフ(本人は「タイ人ではない」と否定しているが)のタイガー・ウッズ「セックス依存症」なども多いように思う。

 それに、我が家に来店する男性客の半分以上は、「ติดเหล้า=ティット・ラオ(アルコール依存症)」だと思われる。
朝早くから部品を買いに来ているのに、すでに吐く息は酒臭く、目もうつろな客も多い。
昨夜の酒が残っていたというより、早朝から一杯やった・・・という感じなのである。

 なので、昼間買い物に来る客も、こういう酒臭い客が多いし、夕方は酒瓶やビール缶を片手に・・・というのが当たり前のようである。
 こういう客とは、ときどき、私のタイ語の発音がどうの・・というより、客の舌の呂律が回らないということで、意思の疎通が難しくなったりする。


 こんな風にタイでの「依存症」は様々であるが、最近熱帯夜がぶり返した我が家では、私もある「依存症」になっている。

 それは、「แป้งเย็น=ペーン・イェン(メントール系のパウダー)」である。
扇風機を一晩中回しても、滲み出る身体中の汗に、入浴後や寝る前はもちろん、夜中にも何度も起きては、身体中に塗りたくる。

 タイに来た当初は、入浴後に塗ることもしなかったが、今はこれがないと入浴した気にならない・・・。
まさに、「依存症」である。


 ちなみに私が愛用しているのは、「12plus」というメーカーの「Cooling blue」という香りのものである。

という、今もこのパウダーを片手に塗りながら書いているのだった。


   

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2010年05月08日

キン・プア・ユウ(กินเพื่ออยู่)

 


      離乳食によく入れたパック・パン(つる草)、ナムプリックとよく合う
                   

 長かった、ピット・トゥーム(学期の間の長期休み)が終わろうとしている。
昨年は、急用があってソンクラーン以降を日本に帰って 過ごしたが、今年はいつも通りの、暑い中での夏休みとなった。
例年の如く、親戚付き合いの良過ぎる主人のお陰で、主人の甥や姪が代わる代わる泊まりに来ていた。

 基本的に、タイの子育てで「食育」などという言葉はありえない。
バンコクの教育熱心な裕福な家庭のお母さんはどうか知らないが、ここタイの田舎では、まず離乳食から始まって、子供の栄養バランスなどに熱心ではない。
 
 とりあえず、何かお腹に入ればそれで良しという感が強い。
なので、離乳食の基本は「バナナの潰したもの」これが毎食のメインメニューになったりする。
とりあえず、早く離乳をさせて、母親を働かせようという思考のもとに、おばあちゃんをはじめ、親戚やご近所が揃って協力を惜しまない。
 
 バナナの時期が終われば、今度はおかゆにナムプラーとゆで卵を混ぜた物をメインにする。
日本なら「極力薄口」からということで、塩も混ぜない重湯くらいから始めて、基本は白いおかゆに薄口のおかずだが、タイでは、いきなりナムプラーをさっさと振り入れる。
 この辺りから、タイ人のはっきりした味覚の下地が出来るのかも知れない。

 私は、このナムプラー粥にも野菜を入れたかったので、乳児が食べられそうな軟らかくゆでた野菜(パクチーとか・・・)を細かく刻んで混ぜたのだが、基本的にタイ人はこの野菜にこだわらない。

 そのせいか、タイの子供で野菜が食べられないというか、食べる気のない子供が多い。
たとえば、今、4歳の末っ子を連れて屋台のクィッティヤオとかを注文すると、「野菜は食べられるの?」と聞いてくる。
子供が野菜を食べていると、「まあ、すごいね~!」と褒めまくる。

 事実、中学生になっても、クィッティヤオの中に入っているモヤシさえ食べない子供も多いのである。

 今回泊まりに来た甥や姪も例外ではなく、中学3年になる長兄の次男は、一切の野菜という野菜は手を付けない。
一皿料理などを注文すると、食べ終わった皿の上には野菜だけが残されている・・・という有様である。

 当然、泊まらせている我が家の毎日の食事のメニューも、私たちの悩みの種となった。

 「私たち」というのは、甥や姪を「泊まりに来い」と誘ったのは主人であり、味にうるさい主人の一族のために、基本的にタイ料理は作らないと決めている私の日本料理もどきでは、甥たちの口に合うかわからないので、料理長は主人、私はひたすら助手に徹した。

 野菜は一切食べない長兄の次男は「ガイ・ジョー」という、鶏のつくね揚げが大好きなようで、それが出るとそればかりバクバク食べていた。


 だが、さすがに、2週間以上も泊まっていたので、料理のメニューも底がつき、自分で蒔いた種なのに、キレた主人が甥に言った。


กินเพื่ออยู่ไม่ใช่อยู่เพื่อกิน
「生きるために食べるんだ、食べるために生きてるんじゃない!」

 この言葉は、主人の座右の銘でもあるのか、よく主人が普段でも事あるごとに、好き嫌いをする子供たちにお説教する言葉で、確かにその通りなのだが、私はいつも疑問に思う。

 前にも書いたが、我が家の主人とその一族は揃って「味に超うるさい」のである。

 私は主人の言うことには賛成する。

しかし、そうまで言い切るのだったら「炒め物やスープの味が薄いだの甘いだのしょっぱいだの・・・」でゴタゴタ言うな!
度が過ぎて食べるに耐えないのなら仕方がないが、多少薄くても、濃くても、甘くても、「多少」なのだから黙って食べろ!

・・・と言いたいが、家庭に波風が起きると大変なので、今日も心の中でつぶやく私である。  

Posted by バットニャオ at 02:29Comments(6)TrackBack(0)タイでの子育て

2010年05月03日

市議選挙投票日に思う。

ขอเสียงหน่อยครับ・・・・・


 もう、ここ一ヶ月弱の間、毎朝6時前から家のガラスが振動するほどのボリュームで流れていた市長&市議選挙の宣伝カーの音楽に使われていた曲だった。


 今朝、いつもと違った静けさに朝の6時前に目が覚めると、今日はこの宣伝カーの騒音がなかったことに気がついた。
そう、今日、5月2日が我がノンブアラウェー市の市長&市議選挙の投票日当日だったのである。


 タイではよく日本の右翼団体も足元にも及ばないボリュームで音楽やアナウンスを流して宣伝活動をするが、ピックアップトラックの荷台にいっぱいのスピーカーを積んだだけの宣伝カーが、この一ヶ月、この地域の生活の静けさを奪っていた。

 どれくらいすごい音量かと言うと、我が家の家の奥のリビングに通じる厚いガラスのドアがその音量に振動する。
この辺では地震はないが、軽い地震かと思わせる振動である。
それに、この振動に反応して、隣のサッシ屋の新車の防犯装置が毎回「ピーピーピーピー・・・・」と警報を鳴らす。
そのたびに、隣のサッシ屋の新妻は家の中から出てきて、リモコンでスイッチを切らなくてならなかった。


 そういえば、前回選挙が行われた4年前は、「シンメチョウダイ(新芽ちょうだい)」で有名な「アオ・フアチャイ・クーン・マー」の歌が流行っていて、選挙の宣伝活動に一役買っていた・・・確か「票をちょうだい」という風に替え歌にされていたと思う。


 今回の選挙では、古株の前市長軍団から、新顔の印刷工場の若旦那が市長の椅子を奪えるか、新しい風を起こせるか・・に焦点が絞られていたが、やはり金の力は強し。

 親戚一同を集めた豊富な資金源で、選挙活動に投資する古株軍団が勝利した・・・とさっき、夕飯を食べた食堂のおばさんたちが話していた。

 実は、若手軍団の若旦那に義理はないが、そのメンバーの一人に、うちの店のお得意さんの若い修理工がいたので、選挙権はないながらも気持ちは若手を応援していた。
 それに、古株軍団の中には、客を騙し、うちの店に借金したまま、夜逃げした悪徳修理工の父親がいたのだが、親は関係ないという顔で、息子の責任など知らん顔しているこのオヤジも気に入らなかった。
そういう息子を持ちながら、平気で公の仕事に係わるのだから、信用が置けない。

 だが、その古株軍団は、選挙戦に慣れているので、期間中何度も何度も足しげく市内を回ったらしい。我が家にも3回ほど来た。そして、投票日の前日には、有権者一人当たり、300バーツから1000バーツ程度をばら撒いて、「最後のお願い」をしたらしい。

 私は外国人で選挙権がないので、誰もくれなかったが、近所では、しばらくは「いくらもらったか・・・」という話で持ちきりだった。
 普通、こう言うことは、日本では「ワイロ」と呼ばれ、「あげた方ももらった方も罰せられます」などと書かれていたりするが、タイでは、そういうことはまずありえない。

 
 まあ、学校に入るにも就職するにも、「裏金」の世界なので、選挙の票を買うのは当然のことなのかも知れない。

 「それでは、公正な行政が行えない」などと思われるかも知れないが、そもそも公正な政治や行政などが存在しないのは、タイに長くいれば、自然と分かることである。
特に、公務員ほど「袖の下」を欲しがる職種はないと思われるくらいで、「お茶代」「クィッティヤオ代」などのささやかなワイロは公務員の役得だと思われているくらい、当然の行為である。
 

 まあ、堅い話になってしまったが、これで、またしばらくは静かな目覚めを迎えることが出来るようになった。
 明日からは、以前のように裏の畑をを歩いている鶏の声で目覚めることだろう。





                朝から大声を張り上げる天然目覚ましの鶏


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Posted by バットニャオ at 02:31Comments(3)TrackBack(0)タイの社会

2010年04月24日

「ファイ・ダップ」と「ナム・マイ・ライ」




            例年にない旱魃で干からびたキャッサバ芋の苗





 ソンクラーン以来、それまでも暑かった日々が更に更に暑くなっていくような気がする。
このまま、どこまで暑くなるのか?

 我が家は、ソンクラーン以来、何となく伸び悩んでいる客足の影響もあり、もう一週間以上、例のごとく家族総出での店の改装工事に精を出している。


 今日は、朝から蒸し蒸しする陽気だったが、午前中の無風状態とは打って変わって、昼過ぎからだいぶ強い風が吹き出したので、「おっ!これは、雨が来るかも知れない。」と期待していたのだった。
ところが、風はどんどん強くなるのだが、まだ蒸し暑い陽気が続いて、一向に雨粒が落ちて来ない。


 降りそうで降らない雨に余計にイライラしてくる。
ここで大雨が降れば、この猛暑が少し和らぐし、今年の旱魃で亀裂の入った、イサーンの赤い大地が潤い、さらに大雨が2,3日も続けば、我が家の裏の畑にもキャッサバ芋の苗を植えられる。
獲らぬ狸の皮算用で、勝手な妄想の世界に入っていく。
 
 そう、もう何ヶ月もこうして雨を待っているのである。


 だが、雨が降ればいい事ばかりではない。
水溜りも出来ないような、お湿り程度の雨でも、雨が降った前後には必ず起こる困った現象がある。

 それが、「ファイ・ダップ(ไฟดับ=停電)」「ナム・マイ・ライ(น้ำไม่ไหล=水が出ない=断水)」である。



 日本では、普通、あらかじめ予定されている停電や断水が多いので、それに対して心構えや準備が出来る。

 タイの田舎(バンコクは知らないが・・)での停電や断水は全く予告無しに起こる。
予知できるといえば、この「雨が降りそうな空模様から」くらいのものである。


 だから、こういう空模様のときは、普段貯めて置かない、浴室の大型バケツに水を張ったりするが、そう気がついたときには、大抵は手遅れである。
給水量が見る見る減り、バケツの半分も行かないうちに、断水・・・となることが多い。
バケツ半分では、我が家の人数ではとても足りない。

 

 そして、雨が降りそうなときには、必ず停電が併発する。

 巷の噂では、暴風雨で電線が切れるという説もあるが、こう毎回毎回だと、それも疑わしくなってくる。
それよりも、あらかじめ、電線が切れたりしての二次災害を予防するため、電電公社の人間が、故意に電気を遮断するという説の方が有力である。

 しかし、12月や1月の比較的涼しい季節ならまだいいが、こういう、猛暑の季節に停電にするというのは、大変な迷惑である。
じっとしているだけでも、汗が滲み出るのに、扇風機もエアコンも使えず、断水なので、涼を求めての水浴びも出来ない、この時間は大変な苦痛となる。

 
 実は、先ほども、我が家のメンバーがそれぞれのパソコンやテレビで楽しんでいるときに、

「ブツッ・・・・」


と、いきなりの停電になった。

しかし、雨は降らない・・・・いや、降りそうだが土俵際で踏ん張っているという感じである。それでも、降らないと思っていたら、

「ボッ・・・ボッ・・・・」と、俄か雨の粒が屋根に数粒落ちてきた・・・と思ったら、また静かになったという経緯があった。

 

 それから、5分くらいが過ぎただろうか?

ナムジャイの新規ブログを読んでいるといきなり、

「ブチッ・・・・」

と、音がしたかどうかわからないが、画面が暗黒の闇に変わった・・・・。


 とはいえ、今日の「ファイ・ダップ」は「なんちゃってファイ・ダップ」という感じだった。
一瞬の呼吸の後に、また復活したのである。

隣の部屋のパソコンでソリティアというタイ人お得意のトランプゲームをしていた主人の

「チッ!! 何だよ~!」

という、落胆とも怒りともつかない叫び声が聞こえた。

私は、読んでいただけなので、再起動すればいいだけの話であるが、主人は「いい勝負」の真最中だったのだろう。


 せっかくの勝負を邪魔された主人は、ふて寝したらしい。



 こういう現象は、たぶん、タイではあと10年後も20年後も変わらないような気がする。

毎年発生する都市部での洪水問題が一向に、何の対処もされないように・・・。

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というが、ここタイの行政問題は、まさにその通り。

その渦中では大変なパニックになるが、それを過ぎてしまえば、もう過去になる・・・・その繰り返しである。

「現世で何をあがいても意味のないことだ、それよりもタムブンで豊かな来世を手に入れよう」

こういう思想が根底にあるタイでは、一時の「ファイ・ダップ」や「ナム・マイ・ライ」などは些細な出来事なのである。





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Posted by バットニャオ at 02:45Comments(3)TrackBack(0)タイの日常茶飯事

2010年04月16日

カー(ト)・タラート (市場での品切れ)

 



                  今日も暑かった・・イサーンの夕陽

 


 ソンクラーンも最終日の今日、我が家は13・14日を休んだだけで、今日から営業しているのだが、道路には、まだソンクラーンを楽しむ、人や水がめを乗せた車が数多く走っていた。


 我が家は、ソンクラーン前からやり掛けている、店の改装工事の外付け用の収納棚作りを再開し、この暑さの中、まさに汗水流しながら作業を続けた。

 そんな暑さなので、喉が渇くのだが、あいにく、半年ほど前に訪問販売で買った、我が家の浄水器が壊れてしまい、飲料水屋から、飲み水を買わなければならない事態になった・・・。


 私が、飲み水と氷を求めて、飲料水屋に行くと、水も氷も品切れだという。


 「カー(ト)・タラート(市場での品切れ)なんだよ。チャイヤプムの街中の製氷工場に行っても、業者が行列して順番待ちなんだ・・・。」

 

 どうやら、このイサーン地方の旱魃に加え、ソンクラーンで市民が水を使いたい放題使うので、県の貯水池も底をついてしまったらしい。

 そういえば、ソンクラーンで出かけて帰って来た日の夕方は、水道水が断水した後のように赤く濁っていた・・・。

 「工場でも、氷の製造や、飲料水の濾過が間に合わないんだ。」


 
 この「カー(ト)・タラート」という現象は、何も水に限った話ではなく、他の商品でもよくある。

 タイは、「在庫が切れないように計画的に生産」とかが苦手なようで、「切れたら切れたで、出来るまで待つ・・・」という状況になることが多い。

 それに、企業の評判とかイメージをあまり気にしないので、バッテリーなどで「もうすぐ価格が引き上げられる」という情報が伝わると、一斉にこの「カー(ト)・タラート」を宣言する。

 在庫は工場や倉庫にいっぱいなのに、平気で「カー(ト)・タラート」だと嘘をつく。

 もっとも、我々小売店やセールスマンは承知なのだが、商品が届かないことには売るわけにもいかない。


 日本では、こういう現象があるのだろうか?
私の記憶にはないが、オイルショックの時代の「トイレットペーパー」は「カー(ト)・タラート」だったのだろうか?
そういえば、いつかの「粗悪タイ米」騒動のときは、日本米が「カー(ト)・タラート」状態だったのだが、市内の米屋がたくさんの日本米を店の奥に仕舞いこんでいるのを見たが、販売を拒否したため、父は二度とその店に行かなくなった・・・ということがあった。

 日本なら、小売店レベルでは構わないが、企業でこういうことをしたら、即刻マスコミネタになりそうである。

 でも、タイ社会は心が広いのか、長い物には巻かれろなのか、企業や官僚のように金銭的に大きな物には盾突くものがいない。


 話が逸れたが、今回は本当の「カー(ト)・タラート」のようだ。

 誰も、利益を増やそうと、氷や水を貯め込む人はいない。

 しかも、一向に雨も降らない・・・カンカン照りの日々。

 このまま、田んぼの中の干からびたカエルになってしまいそうな暑さのイサーン地方である。  


 明日は、水と氷が手に入るといいのだが・・・。
仕方ないので、冷蔵庫に作ってあったわずかな氷で、少し温めの炭酸飲料で喉の渇きを癒した我が家である。




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Posted by バットニャオ at 02:33Comments(5)TrackBack(0)タイの社会

2010年04月13日

ソンクラーンと赤シャツ騒動

 





 バンコクでは、例の赤シャツ騒動で、ソンクラーンのお祭り騒ぎが規制されているそうですが、ここイサーンでは、どこ吹く風。

確かに、都会からの帰省者に混じって、赤シャツの一群を乗せたトラックなども走っていますが、その赤シャツ軍団もトラックの荷台に大きなポリバケツを載せて、手桶や、水鉄砲を構えているところが、イサーンならでは・・・というか、バンコクの赤シャツ紛争の緊張感もなく、微笑ましかったです。

 実際、バンコクに集まっている「その他大勢」のサクラ赤シャツ軍団は、「一日いくら」という日当を目当てに、現金収入の少ない田舎から上京した人たちだと聞きます。
 
 その金額も、最初の3日くらいは、「一日500バーツと食事の支給」という条件が守られていたそうですが、それを過ぎると、今度は1バーツもくれないばかりか、その集会場所から出してもらえず、帰ることも許されない・・・という状況だとか。
これでは、約束が違う・・・という可哀想な雇われ赤シャツ軍団の話が噂になっています。

 しかも、昨日の騒動では大勢の犠牲者が出たと言うことですが、この犠牲者も、多くはこういうわずかなお金で騒動の矢面に立たされて、命を後まで落とし、実際にこの騒動で数千万バーツという大金を懐に仕舞いこむ首謀者たちは、命の危険もなく、のうのうとエアコンの部屋でおいしい物でも食べている・・・。

 「正直者が馬鹿を見る」と言いますが、まさにそれが今回の赤シャツ騒動の真実のようです。

 田舎から、この農閑期に、一日500バーツの日当を目当てに集会に参加して、そこで、矢面に立たされて死んでしまっては、本人はもちろん、田舎の妻子も無念だと思います。

 「こういう奴らは本当にマヌケだよ。数百バーツのために、命を落として・・・。旦那がいても収入が少ないのに、これで旦那が死んだら、田舎の妻子はどうやって食っていけばいいんだ。」と、主人は一日中、来る客来る客に話していました。
 
 そういうわけで、何はともあれ妻子と暮らすのが一番だ・・・と思っているらしい主人は、明日から、また恒例の「家族総出」で義母への「水送り」、それから義母と隣村の姪たちも連れてのアジャーン(主人の人生の師)の訪問&水送り、それから、今度は全く逆の県の端へ行って、ワット・タムケーオ(鍾乳洞寺)の僧侶さまに水送りをし、参拝するという計画を立てました。

 私は、せっかく年に一日、二日の休みなのだから、店を閉め切って、ゆっくりDVD鑑賞でもしたいところなのに、そういうわけにも行きません。

 もう、さっそく、今夜から親戚集合の予兆として、甥である、一番上の義兄の息子が泊まりに来ています。
明日も、一人また一人と増えていく甥、姪たち・・・。

 今年のソンクラーンはどうなることやら・・・・。

 ソンクラーンの様子は、この続きで書くことにします。





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Posted by バットニャオ at 02:30Comments(4)TrackBack(0)タイの行事

2010年03月28日

タイ人の性格『マック・ガーイ(มักง่าย=いい加減な)』

 あれは、まだこの家に越してきて半年くらいの頃だったろうか・・・。

 その頃は、まだ私の心もそれほど擦れていなかったので、適当にご近所付き合いの井戸端会議などにも参加したこともあった。

 その頃、ちょうどこの近所の建物の一軒に住んで、ソムタムやカキ氷を売っていた女性と、やはり隣の建物の一軒に住んでいた女性がちょうど年齢的にも近かったので、二人の話に便乗することが多かった。


 二人は、私が日本人なので、話のネタによく、

「日本とタイはどっちが住みやすい?」とか

「タイと日本ではどう違う?」などと、

タイ人がよくする、ごくありふれた質問を投げかけてきたのだが、そのとき私がどう答えたかはもう定かではないが、一つだけ記憶に残っている言葉がある。



 それは、「マック・ガーイ 」(มักง่าย=いい加減な)
辞書では、「軽はずみの・軽率な・無思慮の・不注意な・無分別な・・」などとなっているが、私は「いい加減な」という表現が一番会うと思っている。


 確か、話がどう転んだかは覚えていないが、話の成り行きで、タイの良くない所として、私が、

「タイ人はごみ箱にゴミを捨てない。どこでもポイポイ捨てる。しかも小さい子供なら分かるけど、やっているのはほとんど大人だ。タイ人は『ゴミはごみ箱に』と教えないのか?」

と言ったのだった。


 すると、聞いていた二人が、タイ式のマナーとでも言おうか、内心はどう思っているか知らないが、その場は私に合わせて、

「そうそう!タイ人は『マック・ガーイ』だから!ごみ箱があるのに、そこまで行くのが面倒なのよね。それに、車の上で食べたゴミなんかも、窓の外に「ポイッ!」ってしちゃうのよね。本当に、マック・ガーイだから、タイ人は!」

 と、さっきまで、食べ終わった果物の入っていたビニール袋をすぐ下の地面に捨てていた二人が、まるで、自分たちはタイ人ではないかのような言い方で、タイ人のマナーを批判していた。

 私は、そのとき初めて、『マック・ガーイ』という言い方を覚えたのだが、それ以来、『タイ人=マック・ガーイ』という方式が私の頭の中に植えつけられてしまった。

 でも、これが、私がタイ人の性格を理解する上での『カギ』にでもなったように、以後のタイ人の性格に対する拒否反応のようなものがすっかり無くなったのである。
 そう、「タイ人はマック・ガーイだから仕方ない」のだ。

 ゴミをポイ捨てするのも仕方ない。
 列に割り込みするのも仕方ない。
 平気で夜中に雄叫びを上げるのも仕方ない。
 交通規則なんか無視するのも仕方ない。
 裏金でいくらでも人が動く、裏口入学、裏口入社、裏口昇進何でも有りなのも仕方ない。
 人に借金をしても返すどころか逆ギレするのも仕方ない・・・・。

 本当に全てのタイの事象は、「マック・ガーイ」で済んでしまうのである。

 よく、タイ人の性格の理解に苦しむという話を聞くが、『タイ人=マック・ガーイ』と悟ってしまえば、よくガイドブックに紹介されているような、「タイ人は『サバーイ・サバーイ』を好む」とか言われる、タイ人理解の一般論がスッと頭の中に入ってくる。

 今の若者はそうでもないかも知れないが、一昔前の日本人が好んだ 「忍耐」とか、「試練」とか、「苦行」「我慢」「練磨」「修行」・・・などその他たくさんの、日本式の「難行こそ美徳」という考えは、タイ人にとっては、「何のためにそんな『トラマーン』(ทรมาน=苦行)をするのか?」と、全く相容れない。

 この辺りが、タイ人と日本人の考え方のギャップを生む理由で、タイに馴染んだ日本人と言うのは、この「苦」から「楽」への価値観の転換を済ませた人なのだと思う。
そういう私もかなり、そうなっているので、もう日本では生活できないような気がする。


 最初は大嫌いだったこのタイ人の性格が、いつの間にか身についてしまっているような気がする今日この頃である。






           学校の壁には堂々と書かれている「礼儀」「清潔」の文字。


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Posted by バットニャオ at 01:10Comments(8)TrackBack(0)タイの社会

2010年03月13日

カイ・モットデーン(ไข่มดแดง=赤アリの卵)



 

 「ไข่มดแดง ไข่มดแดง・・・」(カイ・モットデーン カイ・モットデーン・・・)と歌いながら、もうすぐ4歳になるミックが歩いてくる。

 養母ともいえる義姉の影響で、物心つかぬ頃からルークトゥン(タイの演歌)に慣れ親しんでいるミックは、昨年流行った「ジャンシーマントントーン・・・」から変わって、最近のマイブームがこの「カイ・モットデーン」なのである。


 実のところ、この「カイ・モットデーン」の曲は、以前から歌われている曲で、目新しくはないのだが、ミックはつい最近聞き始めてすっかり気に入ってしまったようである。


 歌詞は、カイ・モットデーンの捕獲方法などが歌われているのだが、何が面白いのか、一人で 「カイ・モットデーン~~」と歌いながら歩き回っている。


 そんなわけで、いつも私の手洗い場の近くに生息する、モットデーンとカイ・モットデーンの生態を撮影してみた。


 



            タイではよく見かける、大型の赤アリ=モットデーン。
               咬まれると結構痛い・・・・・。






 ペットボトルを切って水呑場を作っておくと、モットデーンがその木に巣作りを励む。
ここから水を吸収して身体の中に貯め、巣に運ぶ。水は、言うなれば「カイ・モットデーン」の栄養源。






 これがモットデーンの巣。我が家の場合は、主に「トン・クーン(ゴールデン・シャワーの木)」に巣を作っているが、近くにある「トン・ヨー(ノニの木)」は一枚一枚の葉が大きいため、より巨大な巣を作っている。






二つの人だかりならぬアリだかりの真ん中にある白い物体が孵化しかけたカイ・モットデーン。






とある夕暮れ時の大引越しに、嵐でも来る前ぶれか?と直感した私だったが、結局、小雨一つ降らない旱魃のイサーン。







こうして、ミックの歌う「カイ・モットデーン」の歌詞の如く、赤アリの巣を突いて収穫された「カイ・モットデーン」。
翌日の朝食は、お決まりの「カイ・モットデーン入り卵焼き」になったのであった。



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Posted by バットニャオ at 01:20Comments(5)TrackBack(0)タイでの子育て

2010年03月04日

コーハイ・ルワイルワイ・・・

 
        イタズラ好きなクマーンの影響か?

 このところ、と言っても先々月くらいなのだが、俄かに店が忙しくなり、気がついたら売り上げもだいぶ伸びていた・・・。

 以前は、よく売れた日で、一日に2万バーツくらい、農閑期のカオパンサーなどだと、暇な日は一日営業していても2~3千バーツ程度しか売り上げが伸びない日もあり、そういう過去と比べたら、ここ最近の店の売り上げは奇跡と言うより、異常事態としか言いようがない・・・。


 それでも、売り上げが伸びるのはいいことに他ならないので、ただ単に忙しい店の状況を喜んでいた。


 ところが、今日、ふと車に乗っていて気がついたことがあった。
それは、末っ子のミックの最近の変わった言動である。

 この4月で4歳になるミックは、普段大人とばかりいるので、何しろ言葉の発達が早い。
普段は、店に来て商品を待つ客やバンコクからのセールスマンなどと、大人顔負けの問答を繰り返し、大人を黙らせてしまうことも多い。

 このミックの言葉の早さは、普段店で忙しい母に代わって、実母よりも一緒にいる時間が長い隣の義姉の影響もある。

 普段、朝、午後とお寺へ通う義姉は、まだお座りが出来る以前からミックを連れて参拝するのが日課で、お寺は第二の我が家のようなところらしい。
 お寺の大僧侶さまにも、本当の孫のように可愛がられて、「お寺に来て僧侶になれば、ミックにお寺を敷地ごと譲ろう」と言われているという。
 
 そうした毎日から、義姉の言うことをよく聞いて(聞かないとマヨムの鞭が待っている・・・)、義姉からいろんな言葉を仕入れてくるのだった・・・・。

 そして、最近、よく行っているのが、いつも次男の小学校に送っていく道中にある祠の前を通るとき、我々が車のクラクションを鳴らし「行ってきま~す!」(と無事を祈ったり)や「無事に帰ってきました~!」の挨拶をするのと一緒に、ミックは合掌して、


「コーハイ・ルワイルワイ!(ขอให้รวยรวย)」(金持ちになりますように!)

と、大声で熱心にお願いするのが最近の日常になっていた。



 そう、この「コーハイ・ルワイルワイ!(ขอให้รวยรวย)」(金持ちになりますように!)は、他ならぬ「財布の紐が堅い」といえば聞こえがいいが、平たく言えば人一倍「ケチ」でお金に固執する義姉の口癖を、ミックが真似したものだった。


 前置きがだいぶ長くなったが・・・・。

 そう、私が気がついたことと言うのが、このミックの「コーハイ・ルワイルワイ!(ขอให้รวยรวย)」(金持ちになりますように!)が、我が家の好景気の原因ではないかと思ったのである。

 
 確かに、今の時期は商品が売れ出す時期ではあるが、例年に比べると、「異常事態」と呼べるくらいあまりにも違いすぎる。

 そして、約4年前・・・・。

 このミックが誕生した2549年4月1日は、病院にいる私に代わって主人が一人で売った売り上げが、開店して以来初めて、5万バーツの大台に乗った。
 その当時は、最初で最後だったのだから、主人も私も単にまぐれだと思っていたが、今から思えば、これがミックの誕生祝だったのかも知れない・・・。


 そう考えて、背筋に寒気が走った。

 以前も、お寺や霊能力者や易者が好きな義姉はどこかのお寺に行くたびに僧侶にみてもらったり、向こうから近寄ってきて、教えてくれるなどと言うことがよくあったらしいが、いつも、ミックには「高い身分の仏様の生まれ変わり」だとか、「特別な能力がある」とか言われていたが、私自身は無宗教のようなものなので、適当に話を聞いていた
 しかし、先日も、また、どこかのお寺の高僧に、「この子の中にはクマーン(男児の精霊)がいる」と言われたとかで、このときは思わず、納得してしまったのだった。


 クマーンは普通、霊能者などに仕えていると言うイタズラ好きな子供の精霊だが、このミックの話を聞いたときに、日本の民話に出てくる座敷童子を思い出した。

 家に住み着いて、その家に幸せを招く福の神の姿である。


 座敷童子の住んでいる間はその家は栄える、でも、座敷童子は気まぐれで不意にどこかへいなくなってしまう・・・・。

 そう、ミックもしばらくしたら、この「コーハイ・ルワイルワイ!(ขอให้รวยรวย)」(金持ちになりますように!)に飽きて、お祈りをしなくなってしまうかも知れない。

 そうだ!今がチャンス!稼げるうちに稼いで、早く銀行のローンを返して置かなくては・・・・。

 
 こういう事に何の疑問を持たずに納得してしまうようになるのが、タイ化現象の一つかも知れない。





                   クマーンも照れます。







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Posted by バットニャオ at 02:58Comments(5)TrackBack(0)普段着のタイ語

2010年02月22日

スアック(เสือก)=でしゃばる

 最近、兄弟げんかをしていると盛んに飛び交うのがこの「スアック(เสือก)=でしゃばる」

 本来、「押し出す」などという意味。
砕けた訳でも、「でしゃばる」などという意味だが、私的には普段の会話では、「せっかく~なのに」という意味に取っていた。

 たとえば、「普段はあまり食事を作らないのに、今晩は久しぶりに豪華な夕食を用意した・・。なのに、急に友達から連絡が入って、出かけてしまった・・・。」などという場合に、「なのに・・・」のところで、「スアック」と入る。



 ところが、最近、子供たちの間で、口喧嘩が始まると、すぐに「スアック」と入る。
それもいつも、長男か長女が生意気盛りの次男に向かって罵っている。

 いつも一言多い次男だから 「スアック(でしゃばり)!」か・・と思っていたら、これは年下が年上に言ってはいけない言葉らしい。

 こういう口喧嘩でも、年功序列があるなんて・・・・。さすがはタイ。
兄弟げんかに年上も年下もないと思うのだが、こういうことに気を遣いながら喧嘩するのって、面白くないなあと思ってしまう。
でも、本人たちは気を遣っているというより、もう自然にそういう禁句が身についてしまっているようだ。

 そういえば、私も主人に「スアック!」と怒られることがよくある。
一度くらい、主人に向かって「スアック」と言い返してみたいが、それは家庭崩壊に繋がるので、想像の中に留めておこう・・・。


 だが、いくら年長者や上司だからと言って、仕事場などでこの手の言葉を頻繁に使うと、仕事帰りとかに刺されたりしそうなので、それも止めておいたほうが無難である。
 どうしても、言って見たかったら、「外国人が覚えたタイ語」という程度に冗談交じりでやってみる方がいいかもしれない。
 
  

Posted by バットニャオ at 01:56Comments(3)TrackBack(0)罵詈雑言