2010年03月13日
カイ・モットデーン(ไขมดแดง=赤アリの卵)
「ไขมดแดง ไขมดแดง・・・」(カイ・モットデーン カイ・モットデーン・・・)と歌いながら、もうすぐ4歳になるミックが歩いてくる。
養母ともいえる義姉の影響で、物心つかぬ頃からルークトゥン(タイの演歌)に慣れ親しんでいるミックは、昨年流行った「ジャンシーマントントーン・・・」から変わって、最近のマイブームがこの「カイ・モットデーン」なのである。
実のところ、この「カイ・モットデーン」の曲は、以前から歌われている曲で、目新しくはないのだが、ミックはつい最近聞き始めてすっかり気に入ってしまったようである。
歌詞は、カイ・モットデーンの捕獲方法などが歌われているのだが、何が面白いのか、一人で 「カイ・モットデーン~~」と歌いながら歩き回っている。
そんなわけで、いつも私の手洗い場の近くに生息する、モットデーンとカイ・モットデーンの生態を撮影してみた。
タイではよく見かける、大型の赤アリ=モットデーン。
咬まれると結構痛い・・・・・。
ペットボトルを切って水呑場を作っておくと、モットデーンがその木に巣作りを励む。
ここから水を吸収して身体の中に貯め、巣に運ぶ。水は、言うなれば「カイ・モットデーン」の栄養源。
これがモットデーンの巣。我が家の場合は、主に「トン・クーン(ゴールデン・シャワーの木)」に巣を作っているが、近くにある「トン・ヨー(ノニの木)」は一枚一枚の葉が大きいため、より巨大な巣を作っている。
二つの人だかりならぬアリだかりの真ん中にある白い物体が孵化しかけたカイ・モットデーン。
とある夕暮れ時の大引越しに、嵐でも来る前ぶれか?と直感した私だったが、結局、小雨一つ降らない旱魃のイサーン。
こうして、ミックの歌う「カイ・モットデーン」の歌詞の如く、赤アリの巣を突いて収穫された「カイ・モットデーン」。
翌日の朝食は、お決まりの「カイ・モットデーン入り卵焼き」になったのであった。
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2010年03月04日
コーハイ・ルワイルワイ・・・
イタズラ好きなクマーンの影響か?
このところ、と言っても先々月くらいなのだが、俄かに店が忙しくなり、気がついたら売り上げもだいぶ伸びていた・・・。
以前は、よく売れた日で、一日に2万バーツくらい、農閑期のカオパンサーなどだと、暇な日は一日営業していても2~3千バーツ程度しか売り上げが伸びない日もあり、そういう過去と比べたら、ここ最近の店の売り上げは奇跡と言うより、異常事態としか言いようがない・・・。
それでも、売り上げが伸びるのはいいことに他ならないので、ただ単に忙しい店の状況を喜んでいた。
ところが、今日、ふと車に乗っていて気がついたことがあった。
それは、末っ子のミックの最近の変わった言動である。
この4月で4歳になるミックは、普段大人とばかりいるので、何しろ言葉の発達が早い。
普段は、店に来て商品を待つ客やバンコクからのセールスマンなどと、大人顔負けの問答を繰り返し、大人を黙らせてしまうことも多い。
このミックの言葉の早さは、普段店で忙しい母に代わって、実母よりも一緒にいる時間が長い隣の義姉の影響もある。
普段、朝、午後とお寺へ通う義姉は、まだお座りが出来る以前からミックを連れて参拝するのが日課で、お寺は第二の我が家のようなところらしい。
お寺の大僧侶さまにも、本当の孫のように可愛がられて、「お寺に来て僧侶になれば、ミックにお寺を敷地ごと譲ろう」と言われているという。
そうした毎日から、義姉の言うことをよく聞いて(聞かないとマヨムの鞭が待っている・・・)、義姉からいろんな言葉を仕入れてくるのだった・・・・。
そして、最近、よく行っているのが、いつも次男の小学校に送っていく道中にある祠の前を通るとき、我々が車のクラクションを鳴らし「行ってきま~す!」(と無事を祈ったり)や「無事に帰ってきました~!」の挨拶をするのと一緒に、ミックは合掌して、
「コーハイ・ルワイルワイ!(ขอให้รวยรวย)」(金持ちになりますように!)
と、大声で熱心にお願いするのが最近の日常になっていた。
そう、この「コーハイ・ルワイルワイ!(ขอให้รวยรวย)」(金持ちになりますように!)は、他ならぬ「財布の紐が堅い」といえば聞こえがいいが、平たく言えば人一倍「ケチ」でお金に固執する義姉の口癖を、ミックが真似したものだった。
前置きがだいぶ長くなったが・・・・。
そう、私が気がついたことと言うのが、このミックの「コーハイ・ルワイルワイ!(ขอให้รวยรวย)」(金持ちになりますように!)が、我が家の好景気の原因ではないかと思ったのである。
確かに、今の時期は商品が売れ出す時期ではあるが、例年に比べると、「異常事態」と呼べるくらいあまりにも違いすぎる。
そして、約4年前・・・・。
このミックが誕生した2549年4月1日は、病院にいる私に代わって主人が一人で売った売り上げが、開店して以来初めて、5万バーツの大台に乗った。
その当時は、最初で最後だったのだから、主人も私も単にまぐれだと思っていたが、今から思えば、これがミックの誕生祝だったのかも知れない・・・。
そう考えて、背筋に寒気が走った。
以前も、お寺や霊能力者や易者が好きな義姉はどこかのお寺に行くたびに僧侶にみてもらったり、向こうから近寄ってきて、教えてくれるなどと言うことがよくあったらしいが、いつも、ミックには「高い身分の仏様の生まれ変わり」だとか、「特別な能力がある」とか言われていたが、私自身は無宗教のようなものなので、適当に話を聞いていた
しかし、先日も、また、どこかのお寺の高僧に、「この子の中にはクマーン(男児の精霊)がいる」と言われたとかで、このときは思わず、納得してしまったのだった。
クマーンは普通、霊能者などに仕えていると言うイタズラ好きな子供の精霊だが、このミックの話を聞いたときに、日本の民話に出てくる座敷童子を思い出した。
家に住み着いて、その家に幸せを招く福の神の姿である。
座敷童子の住んでいる間はその家は栄える、でも、座敷童子は気まぐれで不意にどこかへいなくなってしまう・・・・。
そう、ミックもしばらくしたら、この「コーハイ・ルワイルワイ!(ขอให้รวยรวย)」(金持ちになりますように!)に飽きて、お祈りをしなくなってしまうかも知れない。
そうだ!今がチャンス!稼げるうちに稼いで、早く銀行のローンを返して置かなくては・・・・。
こういう事に何の疑問を持たずに納得してしまうようになるのが、タイ化現象の一つかも知れない。
クマーンも照れます。
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2010年02月22日
スアック(เสือก)=でしゃばる
最近、兄弟げんかをしていると盛んに飛び交うのがこの「スアック(เสือก)=でしゃばる」。
本来、「押し出す」などという意味。
砕けた訳でも、「でしゃばる」などという意味だが、私的には普段の会話では、「せっかく~なのに」という意味に取っていた。
たとえば、「普段はあまり食事を作らないのに、今晩は久しぶりに豪華な夕食を用意した・・。なのに、急に友達から連絡が入って、出かけてしまった・・・。」などという場合に、「なのに・・・」のところで、「スアック」と入る。
ところが、最近、子供たちの間で、口喧嘩が始まると、すぐに「スアック」と入る。
それもいつも、長男か長女が生意気盛りの次男に向かって罵っている。
いつも一言多い次男だから 「スアック(でしゃばり)!」か・・と思っていたら、これは年下が年上に言ってはいけない言葉らしい。
こういう口喧嘩でも、年功序列があるなんて・・・・。さすがはタイ。
兄弟げんかに年上も年下もないと思うのだが、こういうことに気を遣いながら喧嘩するのって、面白くないなあと思ってしまう。
でも、本人たちは気を遣っているというより、もう自然にそういう禁句が身についてしまっているようだ。
そういえば、私も主人に「スアック!」と怒られることがよくある。
一度くらい、主人に向かって「スアック」と言い返してみたいが、それは家庭崩壊に繋がるので、想像の中に留めておこう・・・。
だが、いくら年長者や上司だからと言って、仕事場などでこの手の言葉を頻繁に使うと、仕事帰りとかに刺されたりしそうなので、それも止めておいたほうが無難である。
どうしても、言って見たかったら、「外国人が覚えたタイ語」という程度に冗談交じりでやってみる方がいいかもしれない。
本来、「押し出す」などという意味。
砕けた訳でも、「でしゃばる」などという意味だが、私的には普段の会話では、「せっかく~なのに」という意味に取っていた。
たとえば、「普段はあまり食事を作らないのに、今晩は久しぶりに豪華な夕食を用意した・・。なのに、急に友達から連絡が入って、出かけてしまった・・・。」などという場合に、「なのに・・・」のところで、「スアック」と入る。
ところが、最近、子供たちの間で、口喧嘩が始まると、すぐに「スアック」と入る。
それもいつも、長男か長女が生意気盛りの次男に向かって罵っている。
いつも一言多い次男だから 「スアック(でしゃばり)!」か・・と思っていたら、これは年下が年上に言ってはいけない言葉らしい。
こういう口喧嘩でも、年功序列があるなんて・・・・。さすがはタイ。
兄弟げんかに年上も年下もないと思うのだが、こういうことに気を遣いながら喧嘩するのって、面白くないなあと思ってしまう。
でも、本人たちは気を遣っているというより、もう自然にそういう禁句が身についてしまっているようだ。
そういえば、私も主人に「スアック!」と怒られることがよくある。
一度くらい、主人に向かって「スアック」と言い返してみたいが、それは家庭崩壊に繋がるので、想像の中に留めておこう・・・。
だが、いくら年長者や上司だからと言って、仕事場などでこの手の言葉を頻繁に使うと、仕事帰りとかに刺されたりしそうなので、それも止めておいたほうが無難である。
どうしても、言って見たかったら、「外国人が覚えたタイ語」という程度に冗談交じりでやってみる方がいいかもしれない。
2010年01月25日
三匹のこぶた
我が家の青年実業家候補?の長男が、厳しいお小遣い事情と大きくなるに伴って増す物欲を何とかしようと、以前たまたま路上で拾った子豚のケップ・トックが大金で売れたこと(『ケップ・トック(เก็บตก)』http://lawan.namjai.cc/e16931.html参照)を思い出して、中学生なのに、「副業に養豚をして、小遣い稼ぎ」という、まるでタイの公務員のような計画を立てたのだったが・・・。
すぐに、隣の空き地を整備し始めた長男。
もともと、隣の空き地は地元の老夫婦が借りて食堂をやっていたのだが、借地なのに勝手に床にセメントを敷いたり、勝手にトイレや部屋を増築した挙句、肝心の借地料は全く払わない・・という図々しさだったので、ついに地主の堪忍袋の緒が切れて立ち退きさせられたのだった。(その老夫婦の食堂の解体代金は、何故かその土地を買ったというだけで、人の良い我が主人が立て替えて、そのまま踏み倒された・・・・。)
だから、せめてトイレの建物はもったいないのでそのまま置いておこうということになり、義兄がカエルかナマズを養殖しようかなどと考えていたので、残っていたところをそのまま使い、豚くんたちの家は早々に出来ていた。
ところが、肝心の子豚が12月前に生まれていたのだが、45日は母豚の元に置いて授乳し、それ以後乳離れということだったので、しばらくの間、長男は何か残飯や熟れ過ぎた果物を見るたびに、「これも豚に上げるんだ!」と期待満々で待ち焦がれていたのだった・・・。
そうして、12月の半ば過ぎに、ようやく主役の豚くんたちが登場!
おそるおそる・・・・。

ちょっと緊張気味・・・・。
夜中に、麻袋に入れられて、生家である義母の近所のおばさんの家から連れられて来た「三匹の子豚」。
この響きに、思わず「ブー、フー、ウー」と命名してしまいそうになったのは私だけではないはず・・・。
その後、正月も挟み、最近はだいぶ慣れてきた子豚、いや、もうすでに中豚になりつつある豚くんたち。
最初はすごく緊張していた豚くんたちだったが、最近はだいぶ慣れてきて、人が近づくと「エサくれ!」と騒ぎ出す始末。

ポー(父親)作製の水飲み用の給水口。口で押すと水が滲み出る。

養豚用の飼料もモリモリ食べるが、カティンの木の葉も好物。

飲んで食べた後は、寝るだけ・・・・zzz・・・・。

飼育小屋の周囲にあるカティンの木。
何故かいつも採りに行くのは、使い走りの次男の仕事。
でも、このカティンという木の葉は、この辺で売っているソムタムによく付け合せてあるので、人間も食べている。
味はちょっと甘みがある草の感じ。
ソムタム屋は元手のいらない付け合せで経費節約だが、本当に皆、こういう木の葉が好きである。
話は逸れたが、こうして着々と養豚ビジネスは進行している。
もう、すでに次の豚のグループの話や、隣の囲いでアヒルを飼おうという話まで出ている・・・と思っていたら、先日、主人がまた実家の近所のおばさんから「地鶏」(?)のメスをもらってきた。
そして、せっかくだから子供を増やそうと、オスも買ってきてしまった・・・・。

大きい方がメス。小さいのがオス。(我が家同様、年下の旦那か?)
こちらも同じく、麻袋に入れて夜中に連れて来たのだが(別にやましいのではなく、店を閉めてから行くので・・)、オスが成熟していないので、まだ有精卵は出来ないだろうと勝手に決めていた。
ところが、その主人の予想を裏切って、こちらに来て二日目に卵(実はもう有精卵)を産んでいたのだが、主人の言葉を信じた私はその初有精卵を冷蔵庫に入れていまい、翌朝、卵とじにされてしまったのだった・・・。(泣)
この調子で行くと、我が家は本業の「ムアンチャイ・アライヨン」という部品屋ではなく、「ムアンチャイ・ファーム」になってしまいそうな気がする今日この頃である・・・・。
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すぐに、隣の空き地を整備し始めた長男。
もともと、隣の空き地は地元の老夫婦が借りて食堂をやっていたのだが、借地なのに勝手に床にセメントを敷いたり、勝手にトイレや部屋を増築した挙句、肝心の借地料は全く払わない・・という図々しさだったので、ついに地主の堪忍袋の緒が切れて立ち退きさせられたのだった。(その老夫婦の食堂の解体代金は、何故かその土地を買ったというだけで、人の良い我が主人が立て替えて、そのまま踏み倒された・・・・。)
だから、せめてトイレの建物はもったいないのでそのまま置いておこうということになり、義兄がカエルかナマズを養殖しようかなどと考えていたので、残っていたところをそのまま使い、豚くんたちの家は早々に出来ていた。
ところが、肝心の子豚が12月前に生まれていたのだが、45日は母豚の元に置いて授乳し、それ以後乳離れということだったので、しばらくの間、長男は何か残飯や熟れ過ぎた果物を見るたびに、「これも豚に上げるんだ!」と期待満々で待ち焦がれていたのだった・・・。
そうして、12月の半ば過ぎに、ようやく主役の豚くんたちが登場!
おそるおそる・・・・。
ちょっと緊張気味・・・・。
夜中に、麻袋に入れられて、生家である義母の近所のおばさんの家から連れられて来た「三匹の子豚」。
この響きに、思わず「ブー、フー、ウー」と命名してしまいそうになったのは私だけではないはず・・・。
その後、正月も挟み、最近はだいぶ慣れてきた子豚、いや、もうすでに中豚になりつつある豚くんたち。
最初はすごく緊張していた豚くんたちだったが、最近はだいぶ慣れてきて、人が近づくと「エサくれ!」と騒ぎ出す始末。
ポー(父親)作製の水飲み用の給水口。口で押すと水が滲み出る。
養豚用の飼料もモリモリ食べるが、カティンの木の葉も好物。
飲んで食べた後は、寝るだけ・・・・zzz・・・・。
飼育小屋の周囲にあるカティンの木。
何故かいつも採りに行くのは、使い走りの次男の仕事。
でも、このカティンという木の葉は、この辺で売っているソムタムによく付け合せてあるので、人間も食べている。
味はちょっと甘みがある草の感じ。
ソムタム屋は元手のいらない付け合せで経費節約だが、本当に皆、こういう木の葉が好きである。
話は逸れたが、こうして着々と養豚ビジネスは進行している。
もう、すでに次の豚のグループの話や、隣の囲いでアヒルを飼おうという話まで出ている・・・と思っていたら、先日、主人がまた実家の近所のおばさんから「地鶏」(?)のメスをもらってきた。
そして、せっかくだから子供を増やそうと、オスも買ってきてしまった・・・・。
大きい方がメス。小さいのがオス。(我が家同様、年下の旦那か?)
こちらも同じく、麻袋に入れて夜中に連れて来たのだが(別にやましいのではなく、店を閉めてから行くので・・)、オスが成熟していないので、まだ有精卵は出来ないだろうと勝手に決めていた。
ところが、その主人の予想を裏切って、こちらに来て二日目に卵(実はもう有精卵)を産んでいたのだが、主人の言葉を信じた私はその初有精卵を冷蔵庫に入れていまい、翌朝、卵とじにされてしまったのだった・・・。(泣)
この調子で行くと、我が家は本業の「ムアンチャイ・アライヨン」という部品屋ではなく、「ムアンチャイ・ファーム」になってしまいそうな気がする今日この頃である・・・・。
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2010年01月09日
今日は「ワン・デック・ヘンチャート」です。
素朴な学校の集会場で行われます。
「ワン・デック・ヘンチャート」のタイトルの下には、
アピシット首相のお祝いの言葉。
本日、1月9日は「ワン・デック・ヘンチャート」です。
「ワン・デック・ヘン(グ)・チャート」は後ろから「チャート」(国家)、「ヘン(グ)」(~の)、「デック」(子供)、「ワン」(日)ということで、「国のこどもの日」という意味になります。
本来なら9日なのですが、9日は土曜日にあたり、市などでイベントなどが催されるため、我が家の次男の通っている小学校は、昨日の金曜日に学校での「ワン・デック・ヘンチャート」のイベントを行いました。
毎年恒例の「ワン・デック」のイベントですが、この日は普段は制服で通う学校に、普段着というより、この特別な日のために、普段着とは思えない「お出かけ着」で張り切って参加します。
普段は制服姿しか見慣れない子供たちが、私服で勢ぞろいするので、普段とは違った楽しさがあります。
それに、「こんな服、どこで調達して来たの?」というような、ルークトゥンのバックダンサーの衣装のようなドレス?で来る子もいますが、それも見物です。
多分、美容院の貸衣装だと思われるダンサー服
ここぞとばかりに、化粧もバッチリの幼稚園児
保護者の寄付によるお菓子の山。
後でご褒美として、分けられます。
学校からのお誘いの手紙に、「有志による寄付もお願いします」という一言が添えてあるために、皆、半強制的にお菓子などの寄付を差し入れます。
我が家も数年前にやりましたが、オートバイで売り歩く、手作りアイスクリーム屋を買い占めて、子供たちにアイスクリームを振舞うという手もあります。(アイスクリーム一缶で600バーツでした。150人分くらい。)
さて内容はというと、朝から駆けつけた地区の「อบต」(オーボートー=地区の行政機関)お偉方のお祝いの挨拶から始まり、校長先生の祝辞とお説教?、それから「良い子の役割」の歌を歌い、それぞれの学年に拠る(我が息子の学校は小さい村の学校なので一学年一クラスしかない・・)歌や踊り、劇等の発表会が延々と続きます。
タイではよくありますが、この村の学校は幼稚園と小学校が一緒になっていて、まずは幼稚園児クラスの踊りの披露から始まりました。(タイの学校は、幼稚園+小学校、中学校+高校が一緒という組み合わせが一般的です。)
幼稚園児とは思えない色っぽい踊りも・・。
しかも衣装はヒョウ柄です。
この子の後姿も気になって、思わずシャッターを切っていた私。
きれいな背中が眩しすぎます。若いって素晴らしい。
我が小学校の先生は「ルークトゥン」がお好きらしく、バックミュージックはどれも「ルークトゥン」一色でした・・・。
「モーラム」でなかったのが唯一の救いですが、個人的には台湾ポップスは無理としても、韓国の「Wonder Girls」とか、「Girls Generation」の音楽とかだったら良かったのに・・と独り言。
タイ舞踊の踊り子たち
一通りの学年の発表が終わると、学校の代表のタイ舞踊の踊り子たちが踊りを披露。
このタイ舞踊はほぼ毎日、放課後に厳しい練習を重ねています。
彼女たちは、将来就職先が見つからなくても、バンコク辺りの、観光客向けレストランで働けそうです。
まさに「芸は身を助ける」です。
私も、学生時代には、タイの学校のイベントなどで「日本の歌や踊りを披露して欲しい」と言われたことがありますが、もともと芸の無い私は、「ドラえもん」や「スキヤキソング(「上を向いて歩こう」)」が精一杯だったので、羨ましい限りです。
と、こんな具合に進んだ毎年恒例の学校行事の一つですが、今回も何故か、ご指名を受けて、ご褒美の授与に参加させられました。
やはり、こういうところでは、地域に一人しかいない「日本人のお母さん」は特別扱いがあります。
それに普段、愛称でしか呼ばれていない私は、先生が覚えてくれた私の本名で「クン・メー〇〇子 〇〇〇〇」と呼んでくださったのに、慣れていないためかかなり焦ってしまいました。
愛称がまかり通っているタイの社会ですが、学校では基本的に本名で呼ぶのです。
先月の「ワン・ポー」(国王誕生日=父の日)、今月の「ワン・デック」、卒業式や入学式を除けば、「ワン・メー」(母の日)が学校の三大イベントです。
今回は、ごく普通のタイの田舎の学校行事の様子でした。
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2009年12月31日
フウ・バオ(หูเบา)
年末も押し迫って来た今日、とはいえ、バンコクなどの会社などで働く人々の帰省ラッシュはともかく、田舎では基本的に、日本の年末年始のような特別な雰囲気はなく、ただ何となく12月が終わり、1月が始まって、気がついたら年が明けていたという感じである。
それでも、昨日からは日曜日ということもあってか、我が家も何となく客足が鈍くなったような気がしたので、年末に到着した商品のチェックや品出しの合間のちょっとした暇に、もうかれこれ5年以上放っておいた耳のピアスの穴に、仕事用のクリップを刺して見た。

仕事机にあったクリップで穴を復活
思えば、19歳のときだった・・・。
今ではとても気軽には行けない、タイ南部の警戒地区・パッタニーにあるソンクラー・ナカリン大学パッタニー校に留学していたときのことだ。
何の気の迷いか、地元唯一のデパート「ダイアナ」の文房具売り場で、ふと目に付いた提灯のようなぶら下がり型のピアスが気に入った。
そして、その売り場のお姉さんに思い切って開けてもらったのだった。
あの頃は、「ピアスの穴を開けると運命が変わる」などと言われていたものだが、それが本当だったかどうかは知らないが、結婚はもちろん、自分が子供を産むなんて考えたこともなかったのに、結婚し、4人の子供の母になった。
ましてや日本を飛び出して、海外しかもタイで生活するようになるなどとは夢にも思わなかったのに、その私の人生は見事に、予想だにしなかった方向へ向かったのも事実である。
そもそも、19歳からずっとつけていたピアスをつけなくなったのには、理由があった。
それは、長男が小学校に入学する準備にと、私と子供だけで主人の実家で義母と同居した時期のことだった。
多少のタイ語は分かったが、まだタイの文化や社会構造など、基本的なタイを知らず、いきなりのタイの田舎生活からくるストレスに耐えられず、そこへ義母や日本からときどき電話をくれる主人の苦言を聞くほどの余裕がなく、そのとき近くにいた人たちの軽い言葉を信じてしまい、義母との間に溝が出来た。
そして、それを遠く離れた日本から非難する主人にも、信頼が置けなかった。
その結果、そこをいったん出て行かなければならぬような結果を招いてしまったのだった。
全ては私の『フウ・バオ(หูเบา)』が招いた結果だと、その後タイに戻って来てからも、何度となく主人に責められ、事あるごとに、私の耳のピアスを見ては、
「お前は『フウ・バオ(หูเบา)』だから、そんな重りをつけてなくちゃダメなんだろう!」
と嘲るように嫌味を言われたので、それが嫌で、
「私はもう『フウ・バオ(หูเบา)』じゃないんだから、重りなんていらないんだ!」
と主張する意味で、その19歳から付けていたピアスを外した。
実際、その事件以来、私は容易に他人(タイ人)を信じなくなった。
その頃だったら、純粋に好意として受け入れられた言葉も、今の私には届かない。
今の私は、『フウ・ナック(หูหนัก)』(耳が重い=信じ難い)どころか、『ไม่มีหูฟัง』(聞く耳持たない)と言ったほうが合っている。
とにかく、「他人(タイ人)の言葉は疑って掛かれ」という教訓になった。
そういう、事件の痛手にこだわり続けるのも、そろそろこの辺で終わりにしたいな・・・と、ふと思いついたのが、今回のピアス穴の復活である。
最近、いろいろなことがタイ感覚になりつつある。
もう、自分を許して、主人も許して、係わった全ての事柄を許してもいいのではないか・・・そう思えて来たので、その区切りのためのピアス穴である。
だが、何しろ急な思いつき、付けるピアスが無くなっていたし、今、金が高くてとてもすぐには手に入りそうもないから、これでいいや!と刺し込んだのが業務用クリップである。
来年は金のピアスの一対でも買えるといいな・・・と思う今日この頃である。
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それでも、昨日からは日曜日ということもあってか、我が家も何となく客足が鈍くなったような気がしたので、年末に到着した商品のチェックや品出しの合間のちょっとした暇に、もうかれこれ5年以上放っておいた耳のピアスの穴に、仕事用のクリップを刺して見た。
仕事机にあったクリップで穴を復活
思えば、19歳のときだった・・・。
今ではとても気軽には行けない、タイ南部の警戒地区・パッタニーにあるソンクラー・ナカリン大学パッタニー校に留学していたときのことだ。
何の気の迷いか、地元唯一のデパート「ダイアナ」の文房具売り場で、ふと目に付いた提灯のようなぶら下がり型のピアスが気に入った。
そして、その売り場のお姉さんに思い切って開けてもらったのだった。
あの頃は、「ピアスの穴を開けると運命が変わる」などと言われていたものだが、それが本当だったかどうかは知らないが、結婚はもちろん、自分が子供を産むなんて考えたこともなかったのに、結婚し、4人の子供の母になった。
ましてや日本を飛び出して、海外しかもタイで生活するようになるなどとは夢にも思わなかったのに、その私の人生は見事に、予想だにしなかった方向へ向かったのも事実である。
そもそも、19歳からずっとつけていたピアスをつけなくなったのには、理由があった。
それは、長男が小学校に入学する準備にと、私と子供だけで主人の実家で義母と同居した時期のことだった。
多少のタイ語は分かったが、まだタイの文化や社会構造など、基本的なタイを知らず、いきなりのタイの田舎生活からくるストレスに耐えられず、そこへ義母や日本からときどき電話をくれる主人の苦言を聞くほどの余裕がなく、そのとき近くにいた人たちの軽い言葉を信じてしまい、義母との間に溝が出来た。
そして、それを遠く離れた日本から非難する主人にも、信頼が置けなかった。
その結果、そこをいったん出て行かなければならぬような結果を招いてしまったのだった。
全ては私の『フウ・バオ(หูเบา)』が招いた結果だと、その後タイに戻って来てからも、何度となく主人に責められ、事あるごとに、私の耳のピアスを見ては、
「お前は『フウ・バオ(หูเบา)』だから、そんな重りをつけてなくちゃダメなんだろう!」
と嘲るように嫌味を言われたので、それが嫌で、
「私はもう『フウ・バオ(หูเบา)』じゃないんだから、重りなんていらないんだ!」
と主張する意味で、その19歳から付けていたピアスを外した。
実際、その事件以来、私は容易に他人(タイ人)を信じなくなった。
その頃だったら、純粋に好意として受け入れられた言葉も、今の私には届かない。
今の私は、『フウ・ナック(หูหนัก)』(耳が重い=信じ難い)どころか、『ไม่มีหูฟัง』(聞く耳持たない)と言ったほうが合っている。
とにかく、「他人(タイ人)の言葉は疑って掛かれ」という教訓になった。
そういう、事件の痛手にこだわり続けるのも、そろそろこの辺で終わりにしたいな・・・と、ふと思いついたのが、今回のピアス穴の復活である。
最近、いろいろなことがタイ感覚になりつつある。
もう、自分を許して、主人も許して、係わった全ての事柄を許してもいいのではないか・・・そう思えて来たので、その区切りのためのピアス穴である。
だが、何しろ急な思いつき、付けるピアスが無くなっていたし、今、金が高くてとてもすぐには手に入りそうもないから、これでいいや!と刺し込んだのが業務用クリップである。
来年は金のピアスの一対でも買えるといいな・・・と思う今日この頃である。
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2009年12月27日
ムー・ナック (มือหนัก)
中学1年の我が家の長女は、幼少時日本育ちだったせいか、もともと恥かしがりやなのか、他のタイ人の子供のように、知っている大人に会っても、何とか「ワイ(合掌)」でちょこっと挨拶はするものの、「サワッディーカー」という言葉が出てこない。
それが、親しい親戚の伯父さんなどが相手だと、そのワイさえ忘れるので、よく、親戚の伯父さんたちから、
「〇〇(長女)はมือหนัก(ムー・ナック=手が重い)だなあ。」とからかわれることが多い。
手が重い=「手を上げてワイするのが難儀だ」という意味で、挨拶が出来ないことを冷やかしているのだ。
確かに、ワイはタイの礼儀なので、日本で言えば、「最近の若者はお辞儀が出来ず、礼儀がなっていない!」などと言われるようなものである。
我が家の長女の場合、日本で育ったため、ワイが自然に身についていないということもある。
しかも、身近な見本で有るべき母親が日本人なので、見本にならないというのもある。
そして、国を問わず、どこでもそうであるように、思春期の少年・少女は、恥じらいや見た目などいろいろ気にするものである。
だから、私は長女が「มือหนัก(ムー・ナック)」と呼ばれることに、反発を感じるのだが、ここはそういう見方が普通なので仕方がない。
ところで、この長女と同級生の近所の女の子がいる。
彼女は、長女と正反対の社交的な性格で、誰にでも愛想を振りまくし、さっき会って、
「 ワッディーカー!」(「サワッディーカー」のくだけた感じ)と挨拶したばかりなのに、5分もしないうちにまた目が会うと、
「ワッディーカー!」と繰り返してくるという、超「ムー・バオ(มือเบา)」(=「手が軽い」)少女である。
どちらが、いいとも言いきれないが、タイにいる限りでは「ムー・バオ(มือเบา)」の方が受けがいいに決まっているかも知れない。
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それが、親しい親戚の伯父さんなどが相手だと、そのワイさえ忘れるので、よく、親戚の伯父さんたちから、
「〇〇(長女)はมือหนัก(ムー・ナック=手が重い)だなあ。」とからかわれることが多い。
手が重い=「手を上げてワイするのが難儀だ」という意味で、挨拶が出来ないことを冷やかしているのだ。
確かに、ワイはタイの礼儀なので、日本で言えば、「最近の若者はお辞儀が出来ず、礼儀がなっていない!」などと言われるようなものである。
我が家の長女の場合、日本で育ったため、ワイが自然に身についていないということもある。
しかも、身近な見本で有るべき母親が日本人なので、見本にならないというのもある。
そして、国を問わず、どこでもそうであるように、思春期の少年・少女は、恥じらいや見た目などいろいろ気にするものである。
だから、私は長女が「มือหนัก(ムー・ナック)」と呼ばれることに、反発を感じるのだが、ここはそういう見方が普通なので仕方がない。
ところで、この長女と同級生の近所の女の子がいる。
彼女は、長女と正反対の社交的な性格で、誰にでも愛想を振りまくし、さっき会って、
「 ワッディーカー!」(「サワッディーカー」のくだけた感じ)と挨拶したばかりなのに、5分もしないうちにまた目が会うと、
「ワッディーカー!」と繰り返してくるという、超「ムー・バオ(มือเบา)」(=「手が軽い」)少女である。
どちらが、いいとも言いきれないが、タイにいる限りでは「ムー・バオ(มือเบา)」の方が受けがいいに決まっているかも知れない。
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2009年12月06日
タイ式育児の必需品『ウー(อู่)』または『ペー(เปล)』
タイの育児に欠かせない物・・・それはいろいろありますが、まずタイ人の性質(楽するのが大好き、外見を気にする)から必然性から生まれた育児用品がこれです。

そう、ハンモック。
タイ語では 『ウー(อู่)』または『ペー(เปล)』 と言います。
このタイ人の性質からと言うのは、
①抱っこやおんぶ散歩して、ひたすら心地よい振動を与えながら寝かすのが面倒。
②ハンモックに突っ込んで、テレビを見たり、外で世間話をしながらヒモを引っ張って揺すっていれば、いつかは寝入る。
③床などの平らなところに寝かせると、軟らかい赤ちゃんの頭の形が崩れるのが気になる。(外見重視の法則)
④途中で起きそうになっても、更に揺すってなるべく寝かせておく方が楽。
という、タイ風の思考回路です。
ちなみに、何でも作ってしまう我が家の主人はタイで三男が生まれた途端に、階段の手すりだった鉄くずを再利用して、この自家製の『ウー(อู่)』を作ってしまいました。
骨格部分は鉄棒の溶接、ハンモック部分は田舎のタイ人の普段着、パー・カンマという腰巻布に子供がルーク・スア(ボーイスカウト)で年に数回使うロープを縛って完成しました。
よく見るのは、木製のタオルハンガーを大きくしたような木の骨格のハンモックです。
正月やソンクラーンなどの帰省や親戚訪問、旅行などにも、これをピックアップトラックの荷台に載せて移動し、出先でもこれで寝かすのがタイ流です。
確かに、これで寝るクセがつくと、普通に布団に寝かせても寝付かない、またはすぐに起きてしまうという、困った事態も起きます。
私も、三男が1歳くらいのときは、学校の運動会にもこれを持って出掛け、午後には校庭の隅でハンモックを揺らしたこともあります。
ですが、基本的に私はあまり揺すり方が上手くないらしく、寝かしつけに成功する率は10%にも満たない、タイ育児の落ちこぼれ母なのです。
この寝かしつけのプロはやはり隣に住む義姉で、ほとんど毎日昼過ぎにはミックを抱えて寝かしつけるために、ドカドカと我が家に乗り込んできます。
私など母親の面子もあったものではないですが、最近は慣れたというか、タイの育児より、私は商売!と割り切って、昼間の母役は義姉に任せきりにしています。

バンコクのような核家族化が進んだ都会では、だいぶ少なくなっているかも知れませんが、タイのほぼ全土で見られるのは、生後すぐから赤ちゃんをハンモックに寝かす育児方法です。
ハンモックらしい物を見ることが少ない都会でも、箱型のベッドを吊るした形の、ハンモックと言うには程遠いものの、ハンモックの原理を利用したベビーべッドが大型スーパーの育児用品売り場でも売られています。
私が日本で長男を初出産したときも、抱っこでもなかなか眠らない長男に、主人がタオルケットを取り出し、それを床に敷いて長男をその上に寝かせ、片方の端を主人が持ち、もう片方の端を私が持って、大縄跳びで『大波小波』でもするような感じで、手動簡易ハンモックにして寝かせたことがありました。
そして、翌日、主人は2間あった部屋のふすまを取り払って、賃貸なのにも関わらず、両端の柱に大釘を打ち込んで、カーテンしていたコットンの布にヒモをくくり付け、2Kのアパートの部屋の間にハンモックを吊るしてしまいました。
それは、二人目にも、三人目にも使われ、ハンモック揺すりでの寝かしつけ育児は主人の役目でした。

生まれたばかりの頃は、3分の1にも満たなかった体長も、今ではこのハンモックからはみ出るくらいになりました。
しかし、この名残か、道端でもよくハンモックを売っているし、そのハンモックを買ってきて玄関先にでも、どこにでもくくりつけて
昼間からゴロゴロしているタイ人の多いこと・・・・。
暑いから・・・だけでは言い訳にならないような気がしますが・・・。
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そう、ハンモック。
タイ語では 『ウー(อู่)』または『ペー(เปล)』 と言います。
このタイ人の性質からと言うのは、
①抱っこやおんぶ散歩して、ひたすら心地よい振動を与えながら寝かすのが面倒。
②ハンモックに突っ込んで、テレビを見たり、外で世間話をしながらヒモを引っ張って揺すっていれば、いつかは寝入る。
③床などの平らなところに寝かせると、軟らかい赤ちゃんの頭の形が崩れるのが気になる。(外見重視の法則)
④途中で起きそうになっても、更に揺すってなるべく寝かせておく方が楽。
という、タイ風の思考回路です。
ちなみに、何でも作ってしまう我が家の主人はタイで三男が生まれた途端に、階段の手すりだった鉄くずを再利用して、この自家製の『ウー(อู่)』を作ってしまいました。
骨格部分は鉄棒の溶接、ハンモック部分は田舎のタイ人の普段着、パー・カンマという腰巻布に子供がルーク・スア(ボーイスカウト)で年に数回使うロープを縛って完成しました。
よく見るのは、木製のタオルハンガーを大きくしたような木の骨格のハンモックです。
正月やソンクラーンなどの帰省や親戚訪問、旅行などにも、これをピックアップトラックの荷台に載せて移動し、出先でもこれで寝かすのがタイ流です。
確かに、これで寝るクセがつくと、普通に布団に寝かせても寝付かない、またはすぐに起きてしまうという、困った事態も起きます。
私も、三男が1歳くらいのときは、学校の運動会にもこれを持って出掛け、午後には校庭の隅でハンモックを揺らしたこともあります。
ですが、基本的に私はあまり揺すり方が上手くないらしく、寝かしつけに成功する率は10%にも満たない、タイ育児の落ちこぼれ母なのです。
この寝かしつけのプロはやはり隣に住む義姉で、ほとんど毎日昼過ぎにはミックを抱えて寝かしつけるために、ドカドカと我が家に乗り込んできます。
私など母親の面子もあったものではないですが、最近は慣れたというか、タイの育児より、私は商売!と割り切って、昼間の母役は義姉に任せきりにしています。
バンコクのような核家族化が進んだ都会では、だいぶ少なくなっているかも知れませんが、タイのほぼ全土で見られるのは、生後すぐから赤ちゃんをハンモックに寝かす育児方法です。
ハンモックらしい物を見ることが少ない都会でも、箱型のベッドを吊るした形の、ハンモックと言うには程遠いものの、ハンモックの原理を利用したベビーべッドが大型スーパーの育児用品売り場でも売られています。
私が日本で長男を初出産したときも、抱っこでもなかなか眠らない長男に、主人がタオルケットを取り出し、それを床に敷いて長男をその上に寝かせ、片方の端を主人が持ち、もう片方の端を私が持って、大縄跳びで『大波小波』でもするような感じで、手動簡易ハンモックにして寝かせたことがありました。
そして、翌日、主人は2間あった部屋のふすまを取り払って、賃貸なのにも関わらず、両端の柱に大釘を打ち込んで、カーテンしていたコットンの布にヒモをくくり付け、2Kのアパートの部屋の間にハンモックを吊るしてしまいました。
それは、二人目にも、三人目にも使われ、ハンモック揺すりでの寝かしつけ育児は主人の役目でした。
生まれたばかりの頃は、3分の1にも満たなかった体長も、今ではこのハンモックからはみ出るくらいになりました。
しかし、この名残か、道端でもよくハンモックを売っているし、そのハンモックを買ってきて玄関先にでも、どこにでもくくりつけて
昼間からゴロゴロしているタイ人の多いこと・・・・。
暑いから・・・だけでは言い訳にならないような気がしますが・・・。
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2009年11月26日
ミックの将来
昨日、自称「熱心な仏教徒」である義姉がじ我が家の三男・ミックを連れて、いつものごとくお寺参りに出掛けた。
今回は、ただのお寺訪問ではなく、有名な高僧に前世や来世を診てもらうという目的だったらしい。
そして、帰宅した義姉は、興奮気味な表情でさっそく、その報告に来たのだった・・・・。
内容はというと・・・・。
まず、その高僧はミックの見るなり、頭を四方から覗き込むように見て、
「おや!これは!・・・・」と言うなり黙り込んでしまった。
「どうなんですか? いくつ 『コ』があるんですか?」
義姉が待ちきれずに答えを急かすと、
「『コ』は普通、一つか二つ、三つある人間は『素晴らしい、只者ではない』、だが、この子には4つある・・・。」
『コ』とは、そういう類の能力者にしか見えない、頭の上にある瘤のような髷(古代のタイ人の子供の髪型のような)のことだそうである。
その『コ』がいくつあるかで、その人間の能力や運命が分かるらしい。
「それで、『コ』が4つあるとどうなんですか?」 という義姉の問いに、高僧はニヤッと笑って、
「『コ』が4つ・・それは『ジャオ・チュウ』(浮気者)ということだ。」
「・・・?『ジャオ・チュウ』ですか?」とがっかり気味の義姉に、高僧は続けた。
「『ジャオ・チュウ』とは、何も男女関係の事だけを意味するのではない。全てにおいて、長けているから、何にでも手を出す。そういう意味の『ジャオ・チュウ』でもあるんだ。」
高僧の話では、ミックは第六感の感覚も優れていて、凡人には見えないものも見える能力があると言う。
そう言われて見れば、言葉の使い方も3歳児とは思えない言葉まで使いこなすし、ときどき、宙を見て何かを見つめていることもあるし、我々凡人には見えない何かが、ミックの目には見えているのかも知れない。
さらに、義姉が言うには、ミックは、他のお寺の高僧からも何件か、「自分の寺で出家して僧侶にならないか?」というスカウトが来ているらしい。
そういう能力を持った人間は、出家して僧侶として、さらに修行を積み、その能力を役立てるべきだというのが、義姉たちの考えである。
まだ、3歳なのに、何だか伯母たちの手によって、将来設計が進んでしまっているミック・・・・。
タイでは、こういう風に、本人の希望を聞く前に、親や親戚が子供の将来を勝手に決めてしまう場合も多い。
出家したら、そう簡単には還俗できないのだから、小僧になってしまった子供たちは、それが自分の運命だと思い込むのだろう。
確かに、出家することが悪いことだとは言わないが、出家したら体験できないことも、子供の未来にはたくさん待っていると思う。
こうして、親戚の手によって、決められて行く我が子の将来を不安に思う今日この頃である・・・・。

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今回は、ただのお寺訪問ではなく、有名な高僧に前世や来世を診てもらうという目的だったらしい。
そして、帰宅した義姉は、興奮気味な表情でさっそく、その報告に来たのだった・・・・。
内容はというと・・・・。
まず、その高僧はミックの見るなり、頭を四方から覗き込むように見て、
「おや!これは!・・・・」と言うなり黙り込んでしまった。
「どうなんですか? いくつ 『コ』があるんですか?」
義姉が待ちきれずに答えを急かすと、
「『コ』は普通、一つか二つ、三つある人間は『素晴らしい、只者ではない』、だが、この子には4つある・・・。」
『コ』とは、そういう類の能力者にしか見えない、頭の上にある瘤のような髷(古代のタイ人の子供の髪型のような)のことだそうである。
その『コ』がいくつあるかで、その人間の能力や運命が分かるらしい。
「それで、『コ』が4つあるとどうなんですか?」 という義姉の問いに、高僧はニヤッと笑って、
「『コ』が4つ・・それは『ジャオ・チュウ』(浮気者)ということだ。」
「・・・?『ジャオ・チュウ』ですか?」とがっかり気味の義姉に、高僧は続けた。
「『ジャオ・チュウ』とは、何も男女関係の事だけを意味するのではない。全てにおいて、長けているから、何にでも手を出す。そういう意味の『ジャオ・チュウ』でもあるんだ。」
高僧の話では、ミックは第六感の感覚も優れていて、凡人には見えないものも見える能力があると言う。
そう言われて見れば、言葉の使い方も3歳児とは思えない言葉まで使いこなすし、ときどき、宙を見て何かを見つめていることもあるし、我々凡人には見えない何かが、ミックの目には見えているのかも知れない。
さらに、義姉が言うには、ミックは、他のお寺の高僧からも何件か、「自分の寺で出家して僧侶にならないか?」というスカウトが来ているらしい。
そういう能力を持った人間は、出家して僧侶として、さらに修行を積み、その能力を役立てるべきだというのが、義姉たちの考えである。
まだ、3歳なのに、何だか伯母たちの手によって、将来設計が進んでしまっているミック・・・・。
タイでは、こういう風に、本人の希望を聞く前に、親や親戚が子供の将来を勝手に決めてしまう場合も多い。
出家したら、そう簡単には還俗できないのだから、小僧になってしまった子供たちは、それが自分の運命だと思い込むのだろう。
確かに、出家することが悪いことだとは言わないが、出家したら体験できないことも、子供の未来にはたくさん待っていると思う。
こうして、親戚の手によって、決められて行く我が子の将来を不安に思う今日この頃である・・・・。
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2009年11月06日
ケップ・トック(เก็บตก)
เก็บตก・・・これは、3~4年前に我が家が飼っていた豚の名前である。
大体、飼い犬ならともかく、飼い豚に名前をつける人もあんまりいないと思うが、それには理由がある。
さて、この名前の由来はこの豚との出会いに起因する。
そのケップ・トックが我が家に来たのは、4年前のある日のことだった。
いつものように、主人と長男が三男を連れて、牛飼いに飼わせている牛を見に行ったときのこと。
バイクで山道から大通りに出てきた主人と長男が、道路の脇から林の中へ、何かが逃げ込んだのを見つけた。
「タヌキかな~(タイにはいない。)キツネ?(これもこの辺にはいない。)・・リスにしては大きかったし。犬だったかも・・・。」
という主人に、目がいい長男が、
「でも、豚みたいな肌色だったよ。」と言ったので、一旦家に帰ってきたところを引き返して、またその物体が消えた現場に戻った。
普通に考えれば、こんなトラックのビュンビュン通る大通りに豚が歩いているはずもなく、しかも何だか知らないが、足があって歩けるのなら、もうとっくにどこかに逃げているはずだという我々の予想をすっかり裏切って、その物体はそのまま現場をうろついていたのだった。
そして、身体の大きさの割りに素早かった長男が見事に捕まえて、主人が運転し、長男がまだ中型犬くらいの大きさの赤ちゃん豚を抱えてきた。
結局のところ、この豚があんな場所にいたのは、養豚業者が子豚を運搬中に小さかったため、トラックの荷台の柵から落っこちてしまったらしい・・・ということだった。
それは、本来なら「遺失物拾得」で届けなければならないところだが、我が家の主人と長男はどうせ業者も探すまい。
「ラッキー!」ということで、フトコロならぬ家の裏庭に収めてしまったのである。
この「遺失物拾得」というのがまさに「เก็บตก」の名前の由来で、
「เก็บ」が「拾う・拾い物」、「ตก」が「落ちる・落し物」であるので、「落し物の拾い物」という感じである。
ところで、長男は自分の体型に共通点があるのか、異常に豚が好きである。
普通、臭いとか汚い(豚は本来、清潔好きなのだが・・・)と嫌う人が多いのに、我が家の長男はこの突然現れた子豚が気に入って、毎日、毎日世話をしていた。
時は流れ・・・。
最初は、愛玩用として飼っていたのだが、飼い始めてから、数ヵ月後には体重も数十倍になり、裏庭の一角から横の空き地へと引越しすることに・・。
しかも、その空き地の柵も一杯になり、体重が百キロを越えたと思われた頃、主人が言いだした。
「このまま、飼って行くわけには行かない。もう大きさも限界だ。知り合いの業者に売ろうと思う。」
子供たちは「可哀想・・・」と言いながら、もうテレビのドラマに夢中である。
一番、大事にしていた長男が少し寂しそうな顔をした。
業者は長男が学校に行っている間に買い付けに来た。
引渡し時の体重は108キログラム。
値段は6,700バーツほどで売れたような記憶がある。
学校から帰ってきた長男は、横の空き地のガランとした豚の柵を見て、「ケップ・トックは?・・・もう持っていったの?」
と寂しそうに聞いてきた。
私は、「うん、さっきね・・・。」
としか答えられなかった。
しばらくして、主人が「ケップ・トックを売ったお金は、子供たちに分けてあげよう。〇〇(長男の名)が一番世話をしていたから、あいつに多く分けてやれ。」と言ったので、売上金を分けて、長男に渡した。
すると、長男が「いくらで売れたの?」というので、話すと、少し不思議な表情になって、
「ケップ・トックは肉にされるんだね。可哀想だけど、仕方ないね。」
と言いながら、お金を数えていた・・・・。
時は流れて、今年中3になった長男だが、今日学校から帰ってくると、いきなり、
「ねえ、メー、オレ豚を飼おうと思うんだけど・・・。」
「え?また拾ったの?」と私。
「違うよ、今度はちゃんと買って売るために育てるんだ。」
「へ~。何で?」
「いや~、オレいろいろ欲しいものがあってお金が必要なんだ。だから豚を飼って育てて儲けるの。」
・・・・いや~、我が長男ながら逞しい。
ケップ・トックの件で、センチメンタルになっていたと思ったのは気のせいだった・・・。
今は中学生にして、「養豚ビジネスで一儲け」を考える、立派な青年実業家への道を歩み始めている・・とは大げさか。
でも自分でお金を稼ごう、しかも悪い道ではなく堂々と労働力を換金するという考えに育ってくれて、母は感無量である。
ちゃっかりしているので、「今は資金がないから、メーに融資をお願いしたいんだ。」という条件も忘れない。
そういいながら、さっそく帰宅後の夕暮れ時に、横の空き地の整備を始めた長男であった。
さて、果たして今度の豚くんたちに、名前は付くのだろうか?
大体、飼い犬ならともかく、飼い豚に名前をつける人もあんまりいないと思うが、それには理由がある。
さて、この名前の由来はこの豚との出会いに起因する。
そのケップ・トックが我が家に来たのは、4年前のある日のことだった。
いつものように、主人と長男が三男を連れて、牛飼いに飼わせている牛を見に行ったときのこと。
バイクで山道から大通りに出てきた主人と長男が、道路の脇から林の中へ、何かが逃げ込んだのを見つけた。
「タヌキかな~(タイにはいない。)キツネ?(これもこの辺にはいない。)・・リスにしては大きかったし。犬だったかも・・・。」
という主人に、目がいい長男が、
「でも、豚みたいな肌色だったよ。」と言ったので、一旦家に帰ってきたところを引き返して、またその物体が消えた現場に戻った。
普通に考えれば、こんなトラックのビュンビュン通る大通りに豚が歩いているはずもなく、しかも何だか知らないが、足があって歩けるのなら、もうとっくにどこかに逃げているはずだという我々の予想をすっかり裏切って、その物体はそのまま現場をうろついていたのだった。
そして、身体の大きさの割りに素早かった長男が見事に捕まえて、主人が運転し、長男がまだ中型犬くらいの大きさの赤ちゃん豚を抱えてきた。
結局のところ、この豚があんな場所にいたのは、養豚業者が子豚を運搬中に小さかったため、トラックの荷台の柵から落っこちてしまったらしい・・・ということだった。
それは、本来なら「遺失物拾得」で届けなければならないところだが、我が家の主人と長男はどうせ業者も探すまい。
「ラッキー!」ということで、フトコロならぬ家の裏庭に収めてしまったのである。
この「遺失物拾得」というのがまさに「เก็บตก」の名前の由来で、
「เก็บ」が「拾う・拾い物」、「ตก」が「落ちる・落し物」であるので、「落し物の拾い物」という感じである。
ところで、長男は自分の体型に共通点があるのか、異常に豚が好きである。
普通、臭いとか汚い(豚は本来、清潔好きなのだが・・・)と嫌う人が多いのに、我が家の長男はこの突然現れた子豚が気に入って、毎日、毎日世話をしていた。
時は流れ・・・。
最初は、愛玩用として飼っていたのだが、飼い始めてから、数ヵ月後には体重も数十倍になり、裏庭の一角から横の空き地へと引越しすることに・・。
しかも、その空き地の柵も一杯になり、体重が百キロを越えたと思われた頃、主人が言いだした。
「このまま、飼って行くわけには行かない。もう大きさも限界だ。知り合いの業者に売ろうと思う。」
子供たちは「可哀想・・・」と言いながら、もうテレビのドラマに夢中である。
一番、大事にしていた長男が少し寂しそうな顔をした。
業者は長男が学校に行っている間に買い付けに来た。
引渡し時の体重は108キログラム。
値段は6,700バーツほどで売れたような記憶がある。
学校から帰ってきた長男は、横の空き地のガランとした豚の柵を見て、「ケップ・トックは?・・・もう持っていったの?」
と寂しそうに聞いてきた。
私は、「うん、さっきね・・・。」
としか答えられなかった。
しばらくして、主人が「ケップ・トックを売ったお金は、子供たちに分けてあげよう。〇〇(長男の名)が一番世話をしていたから、あいつに多く分けてやれ。」と言ったので、売上金を分けて、長男に渡した。
すると、長男が「いくらで売れたの?」というので、話すと、少し不思議な表情になって、
「ケップ・トックは肉にされるんだね。可哀想だけど、仕方ないね。」
と言いながら、お金を数えていた・・・・。
時は流れて、今年中3になった長男だが、今日学校から帰ってくると、いきなり、
「ねえ、メー、オレ豚を飼おうと思うんだけど・・・。」
「え?また拾ったの?」と私。
「違うよ、今度はちゃんと買って売るために育てるんだ。」
「へ~。何で?」
「いや~、オレいろいろ欲しいものがあってお金が必要なんだ。だから豚を飼って育てて儲けるの。」
・・・・いや~、我が長男ながら逞しい。
ケップ・トックの件で、センチメンタルになっていたと思ったのは気のせいだった・・・。
今は中学生にして、「養豚ビジネスで一儲け」を考える、立派な青年実業家への道を歩み始めている・・とは大げさか。
でも自分でお金を稼ごう、しかも悪い道ではなく堂々と労働力を換金するという考えに育ってくれて、母は感無量である。
ちゃっかりしているので、「今は資金がないから、メーに融資をお願いしたいんだ。」という条件も忘れない。
そういいながら、さっそく帰宅後の夕暮れ時に、横の空き地の整備を始めた長男であった。
さて、果たして今度の豚くんたちに、名前は付くのだろうか?
2009年10月21日
ノイナーの葉
どうも、このところ、長女が頭が痒いと言いはじめた。
そう言われてみると、一緒の部屋で隣に寝ている私も痒いような気がしてくる。
そうして、親子でサルの毛づくろいのような「シラミ探し」が始まった・・・。
タイではヒマな昼下がりなどに、夫婦で、親子で、友達同士でも・・・ごく普通に見かける光景である。
特に、ヒマ人が多い田舎では、みんなが、白髪やシラミを探して「サルの毛づくろい」をやっている。
日本では衛生状態がタイよりいいし、冬はかなり寒くなるので、タイほど様々な虫や寄生虫などが発生しないかも知れないが、(でも、日本の小学校でも今だに発生するという話も聞いたが・・・)タイの(田舎だけかも知れないが・・)学校に通っている女生徒は大部分と言っても過言ではないくらい、この「ハオ(毛じらみ)」が寄生している。
私が育った時代・・・。
小学生のころ、「あいつの頭にはシラミがいるぞ!」と言って、クラスでつまはじきにされていた女の子がいた。
確かに清潔とはいえない感じだったが、その子にシラミがいたかどうかは定かではない。
今で言うイジメのようなものだったのだろう。
そのせいか、「シラミ」と言うと「=不潔・不衛生」なイメージがある。
だが、タイで発生するシラミは、毎日どころか、朝晩洗髪を欠かさない長女にも住み着くのである。
大体、クラスの友達同士で、休み時間にシラミ探しをしているそうだから、その普及率は相当な物である。
この状態だと、シラミがいても、仲間はずれなどということにはならない。運命共同体である。
でも、そのシラミを家にもらって帰ってくるのだから、私としてはたまったものではない・・・。
もちろん、私も毎日洗髪するが、そんな程度では一向にこのシラミはなくならない。
そこで、これの登場である。

ノイナーの葉っぱ
有名なタイの映画 『フェーン・チャン』 でも、ヒロインのノイナーが、毛じらみがいるということで、母親にこのノイナーの葉っぱの汁で洗髪されて、その後、長かった髪をショートにしてしまうという場面があるが、我が家の長女も、このノイナーの葉っぱを横の空き地からどっさり摘んで来て、入浴前に丁寧に水で洗い、葉を揉んでノイナーの葉の汁を絞り、水で薄めて洗髪の用意をした。
タイでは、これがシラミ退治の特効薬なのである。
冨田 竹次郎先生の『タイ日辞典』には、ノイナーの種を使うと出ていた記憶があるが、一般庶民はこの葉っぱを使う。
使い方は、このノイナーの汁を何度か掛けて、よく頭皮や髪に揉みこんだあと、軽くすすぎ、後はいつもの通りシャンプーすればいい。
一度で効かない時は、数日続けると効果があるそうだ。
でも、それを横で見ていた主人が、「もっといい特効薬があるぞ!」と言いながら、
殺虫剤のスプレーを指差した。
「これを頭から掛ければ一発だ!」
「おいおい、それじゃシラミじゃなくて、人間が死んじゃうでしょ!」
と言ったが、実際にそれをするタイ人もかなりいるらしい。
さすがは、タイ人! 彼らに常識は通用しない。
そう言われてみると、一緒の部屋で隣に寝ている私も痒いような気がしてくる。
そうして、親子でサルの毛づくろいのような「シラミ探し」が始まった・・・。
タイではヒマな昼下がりなどに、夫婦で、親子で、友達同士でも・・・ごく普通に見かける光景である。
特に、ヒマ人が多い田舎では、みんなが、白髪やシラミを探して「サルの毛づくろい」をやっている。
日本では衛生状態がタイよりいいし、冬はかなり寒くなるので、タイほど様々な虫や寄生虫などが発生しないかも知れないが、(でも、日本の小学校でも今だに発生するという話も聞いたが・・・)タイの(田舎だけかも知れないが・・)学校に通っている女生徒は大部分と言っても過言ではないくらい、この「ハオ(毛じらみ)」が寄生している。
私が育った時代・・・。
小学生のころ、「あいつの頭にはシラミがいるぞ!」と言って、クラスでつまはじきにされていた女の子がいた。
確かに清潔とはいえない感じだったが、その子にシラミがいたかどうかは定かではない。
今で言うイジメのようなものだったのだろう。
そのせいか、「シラミ」と言うと「=不潔・不衛生」なイメージがある。
だが、タイで発生するシラミは、毎日どころか、朝晩洗髪を欠かさない長女にも住み着くのである。
大体、クラスの友達同士で、休み時間にシラミ探しをしているそうだから、その普及率は相当な物である。
この状態だと、シラミがいても、仲間はずれなどということにはならない。運命共同体である。
でも、そのシラミを家にもらって帰ってくるのだから、私としてはたまったものではない・・・。
もちろん、私も毎日洗髪するが、そんな程度では一向にこのシラミはなくならない。
そこで、これの登場である。
ノイナーの葉っぱ
有名なタイの映画 『フェーン・チャン』 でも、ヒロインのノイナーが、毛じらみがいるということで、母親にこのノイナーの葉っぱの汁で洗髪されて、その後、長かった髪をショートにしてしまうという場面があるが、我が家の長女も、このノイナーの葉っぱを横の空き地からどっさり摘んで来て、入浴前に丁寧に水で洗い、葉を揉んでノイナーの葉の汁を絞り、水で薄めて洗髪の用意をした。
タイでは、これがシラミ退治の特効薬なのである。
冨田 竹次郎先生の『タイ日辞典』には、ノイナーの種を使うと出ていた記憶があるが、一般庶民はこの葉っぱを使う。
使い方は、このノイナーの汁を何度か掛けて、よく頭皮や髪に揉みこんだあと、軽くすすぎ、後はいつもの通りシャンプーすればいい。
一度で効かない時は、数日続けると効果があるそうだ。
でも、それを横で見ていた主人が、「もっといい特効薬があるぞ!」と言いながら、
殺虫剤のスプレーを指差した。
「これを頭から掛ければ一発だ!」
「おいおい、それじゃシラミじゃなくて、人間が死んじゃうでしょ!」
と言ったが、実際にそれをするタイ人もかなりいるらしい。
さすがは、タイ人! 彼らに常識は通用しない。
2009年10月10日
クィッティヤオを注文するような・・・
昨日の夕方、我が家から45キロ離れた主人の実家の母から電話があった。
「池の養殖魚の損害請求の書類にサインが必要だから、ちょっと来て!」
ということで、急きょ閉店後に、一家総出で義母の待つ実家へお出かけとなった。
本来なら、サインだけなので主人が行けば済むことなのだが、何故か私たちまで巻き込まれてしまった。
閉店後は家でのんびりしたい私はもちろん、子供たちも面倒なので不満顔。
しかも、自分の母のいきなりの命令に、息子である主人までブツブツ文句を言い始めた。
「ヤーンカッ サン クィッティヤオ ルーイ」(まるで、クィッティヤオでも注文するかのように、簡単に呼び出すんだから・・・。)」
これは、よく我が家で使われる表現である。(タイ全土でポピュラーな表現かどうかは自信がない・・・)
クィッティヤオ(タイの麺類)は、そこら中にどこでも屋台を出して売っていて、注文すると、サッと湯がいて、すぐに出来上がって来る。そういう風に簡単に物事が運ぶかのように気軽に物を頼むことを、皮肉って言うのである。
困難なことを気軽に頼むと、こういう文句を言われることになる。
頼むほうは相手の都合を考えるべきであるが、タイ人は往々にして、相手の都合は頭に入れないものである。
「池の養殖魚の損害請求の書類にサインが必要だから、ちょっと来て!」
ということで、急きょ閉店後に、一家総出で義母の待つ実家へお出かけとなった。
本来なら、サインだけなので主人が行けば済むことなのだが、何故か私たちまで巻き込まれてしまった。
閉店後は家でのんびりしたい私はもちろん、子供たちも面倒なので不満顔。
しかも、自分の母のいきなりの命令に、息子である主人までブツブツ文句を言い始めた。
「ヤーンカッ サン クィッティヤオ ルーイ」(まるで、クィッティヤオでも注文するかのように、簡単に呼び出すんだから・・・。)」
これは、よく我が家で使われる表現である。(タイ全土でポピュラーな表現かどうかは自信がない・・・)
クィッティヤオ(タイの麺類)は、そこら中にどこでも屋台を出して売っていて、注文すると、サッと湯がいて、すぐに出来上がって来る。そういう風に簡単に物事が運ぶかのように気軽に物を頼むことを、皮肉って言うのである。
困難なことを気軽に頼むと、こういう文句を言われることになる。
頼むほうは相手の都合を考えるべきであるが、タイ人は往々にして、相手の都合は頭に入れないものである。
2009年10月04日
ピット・トゥーム・レック(中間休み)
タイの学校に通っている子供が身近にいる方には、当たり前の事ですが、タイの学校の学期の区切りは、5月から新学期が始まり、9月の末ごろに第一学期が終わります。
そして、10月は学校にも拠りますが、2週間から3週間くらいの中間休み(ピット・トゥーム・レック)があって、10月の下旬から11月初めごろから第二学期が始まります。
それから、3月までノンストップで学校が続くわけです。日本なら冬休みが入りますが、タイの正月休みは大晦日・元旦・多くて2日までで、3日から何事もなかったかのように通常授業に戻ります。
そして、3月の上旬からタイの真夏である4月を挟んで、5月の上旬まで二ヶ月の「ピット・トゥーム・ヤイ」(長期の夏休み)が続きます。
こういう休みの前には、学期末テストが控えているのですが、我が家の子供たちは田舎ののんびり育ちのせいか、「テスト勉強」と言う観念がありません。
テスト前の勉強はおろか、明日がテストと言う日にも、普段と至って変わらない生活ぶりです。
そんな子供たちを見て主人や隣に住む伯母さんたちが、皮肉で、テストを終えて帰ってきた子供たちに聞きます。
「ソープ・ダイマイ?」(テスト出来た?)
いまいち自信がないのか、そんな質問に答えずにいる子供に、
「ソープ・ダイ・ルーワー・・・ダイ・ソープ」(テスト出来た?それとも、テスト受けた?(だけ))
と追い討ちを掛けます。
タイ語で「ダイ」は、「~ダイ」と動詞などのあとについて「~出来る」という意味ですが、「ダイ~」と動詞の前に来ると、「~した」という単純な過去を表します。
なので、そういう意味に掛けて、大人たちは言葉遊びの冗談で子供たちをからかっているのでした。
そんな大人たちのからかいにも、自信がある子供は、得意げに「ソープ・ダイ!」(テスト出来たよ!)と元気に答えますが、自信のない子供は「・・・ダイ・ソープ」(テスト受けた・・・)とぼそぼそつぶやいています。
さてそんなお決まりのやりとりも終わり、我が家の子供たちにも束の間の中間休みが訪れました。
とはいっても、学校は休みでも店は休まないので、家でのんびり過ごすだけですが・・・・。

来年から学校の末っ子ミックは、毎日がピット・トゥームです。
そして、10月は学校にも拠りますが、2週間から3週間くらいの中間休み(ピット・トゥーム・レック)があって、10月の下旬から11月初めごろから第二学期が始まります。
それから、3月までノンストップで学校が続くわけです。日本なら冬休みが入りますが、タイの正月休みは大晦日・元旦・多くて2日までで、3日から何事もなかったかのように通常授業に戻ります。
そして、3月の上旬からタイの真夏である4月を挟んで、5月の上旬まで二ヶ月の「ピット・トゥーム・ヤイ」(長期の夏休み)が続きます。
こういう休みの前には、学期末テストが控えているのですが、我が家の子供たちは田舎ののんびり育ちのせいか、「テスト勉強」と言う観念がありません。
テスト前の勉強はおろか、明日がテストと言う日にも、普段と至って変わらない生活ぶりです。
そんな子供たちを見て主人や隣に住む伯母さんたちが、皮肉で、テストを終えて帰ってきた子供たちに聞きます。
「ソープ・ダイマイ?」(テスト出来た?)
いまいち自信がないのか、そんな質問に答えずにいる子供に、
「ソープ・ダイ・ルーワー・・・ダイ・ソープ」(テスト出来た?それとも、テスト受けた?(だけ))
と追い討ちを掛けます。
タイ語で「ダイ」は、「~ダイ」と動詞などのあとについて「~出来る」という意味ですが、「ダイ~」と動詞の前に来ると、「~した」という単純な過去を表します。
なので、そういう意味に掛けて、大人たちは言葉遊びの冗談で子供たちをからかっているのでした。
そんな大人たちのからかいにも、自信がある子供は、得意げに「ソープ・ダイ!」(テスト出来たよ!)と元気に答えますが、自信のない子供は「・・・ダイ・ソープ」(テスト受けた・・・)とぼそぼそつぶやいています。
さてそんなお決まりのやりとりも終わり、我が家の子供たちにも束の間の中間休みが訪れました。
とはいっても、学校は休みでも店は休まないので、家でのんびり過ごすだけですが・・・・。
来年から学校の末っ子ミックは、毎日がピット・トゥームです。
2009年09月08日
サモーン・ノーン
最近、中3になった我が家の長男が学校で流行っているのか、よく使っているのが、
「サモーン・ノーン」である。
小5の弟を小ばかにしたような口調で使っている。
「サモーン=脳ミソ」、「ノーン」はカタカナで表記するといろんな意味に取れて分かり難いかも知れない。
もっとも、初めて耳にしたころは、ヒアリング能力がない私なので、「ノーン」=「寝る」(で、脳みそが眠ってる?)、「ノーン」=「化膿(膿み)」(で、脳みそが腐ってる?)とか、自分の推定する範囲の意味を考えたが、答えは以外にも、「ノーン=青虫」だった。
意味としては、「脳みそが寝てる」でも、「脳みそが腐ってる」でもなく、
「青虫の(ように小さい)脳みそ」であった。
つまりお粗末な脳みそで、平たく言えば、「馬鹿」とか、「脳タリン」とか?
昔、タイ語のスラングとして、「サームサルン」(1サルン=25サタンで、4サルン=1バーツなので、つまり1バーツにも欠けるという意味で、「脳タリン」(死語か?)とか、「知的障害者」を呼ぶときに使ったりもする。)という言葉を習ったが、この「サモーン・ノーン」はその現代版か?若者の流行の言葉ではあるらしい。
ちなみに、「知的障害者」と「脳タリン」という言葉を並べるのには、私自身は気が引けるのだが、普通、タイ人はその生まれた境遇を前世の業と結びつけて、ありのままに受け止めるため、差別意識があまりないので、学校などでも、知的障害児などに対して、陰口だが平気で、「サームサルン」とか、「マイテムバーツ」(「1バーツに足りない」という同義語)などと言ったりする。
さて、この「サモーン・ノーン」は、最近の我が家ではほぼ毎日飛び交っていて、とうとう末っ子の三歳児・ミックも、例にもれず使い始めた。
でも、ミックの「ノーン」の発音はしっかりはっきり発音出来ていて、悔しいが日本人の母の私などは足元にも及ばないのを見せ付けられている。

「サモーン・ノーン」である。
小5の弟を小ばかにしたような口調で使っている。
「サモーン=脳ミソ」、「ノーン」はカタカナで表記するといろんな意味に取れて分かり難いかも知れない。
もっとも、初めて耳にしたころは、ヒアリング能力がない私なので、「ノーン」=「寝る」(で、脳みそが眠ってる?)、「ノーン」=「化膿(膿み)」(で、脳みそが腐ってる?)とか、自分の推定する範囲の意味を考えたが、答えは以外にも、「ノーン=青虫」だった。
意味としては、「脳みそが寝てる」でも、「脳みそが腐ってる」でもなく、
「青虫の(ように小さい)脳みそ」であった。
つまりお粗末な脳みそで、平たく言えば、「馬鹿」とか、「脳タリン」とか?
昔、タイ語のスラングとして、「サームサルン」(1サルン=25サタンで、4サルン=1バーツなので、つまり1バーツにも欠けるという意味で、「脳タリン」(死語か?)とか、「知的障害者」を呼ぶときに使ったりもする。)という言葉を習ったが、この「サモーン・ノーン」はその現代版か?若者の流行の言葉ではあるらしい。
ちなみに、「知的障害者」と「脳タリン」という言葉を並べるのには、私自身は気が引けるのだが、普通、タイ人はその生まれた境遇を前世の業と結びつけて、ありのままに受け止めるため、差別意識があまりないので、学校などでも、知的障害児などに対して、陰口だが平気で、「サームサルン」とか、「マイテムバーツ」(「1バーツに足りない」という同義語)などと言ったりする。
さて、この「サモーン・ノーン」は、最近の我が家ではほぼ毎日飛び交っていて、とうとう末っ子の三歳児・ミックも、例にもれず使い始めた。
でも、ミックの「ノーン」の発音はしっかりはっきり発音出来ていて、悔しいが日本人の母の私などは足元にも及ばないのを見せ付けられている。
2009年08月23日
マヨムの木
奥にあるのがマヨムの木です。
先日のNAPPYさんのブログに「マヨムの木」が紹介されていて、コメントをしていたら、とても書き足りなくなってしまったので、こちらのタイ語ブログの記事にすることにしました。
こちらが私を刺激した、NAPPYさんの記事です。
http://www.daco.co.th/my/nappytnk/item/8026
コメントにも書いたのですが、タイ人は「マヨム」と「ニヨム」を掛けて、マヨムの木を家の庭先に植えることで、人がたくさん集まるようにという縁起担ぎをするので、商店や会社など、人が集まって欲しいところにはよく植えられています。
よく店先にあるのはそのためです。
我が家も例外ではなく、8年前の開店当時に、主人の実家の庭から枝で取り分けたマヨムの木を植えましたが、すぐに背の高さを越え、何度も枝きりをされています。
実は、一年中いつというでもなく実っていて、実がついているのが当たり前の状態です。
元の木の実家のマヨムは、実家の隣村に住む義兄のお嫁さんがたまにやってきて、実をもぎ取って行き、「マヨム・ドーン(漬ける)」という塩漬けにして学校の前などで近所の小学生のおやつとして売って、わずかながらも農閑期の間の家計の足しにしているそうです。
他にも、あまりに大量に収穫できるので、「マヨム・チュアム(煮詰める)」というマヨムの甘露煮にしたりして、保存食とします。
どれも、ヒマな昼下がりとかにサーラー(あずまや=日射し避けの屋根付きのベンチ)に集まっての井戸端会議などで、ちょっとしたおやつになります。
NAPPYさんの記事では「マヨム」や「マカーム・テート」(花輪型の別種のタマリンド)は果物か?というコメントがありましたが、
タイ語の「ポンラマイ」(木の実)という意味ではどれも「ポンラマイ」ですね。
さて、もう一つのマヨムの使い方・・・・・。
我が家の末っ子・ミックは、今3歳児なのですが、もう1歳を過ぎた頃から、イタズラや危ないことをすると、隣の伯母さん(義姉)が、ささっとマヨムの木の方へ歩いて行き、マヨムの枝を一枝折って、ついている葉っぱをサーッと手で落として、細いムチのようにしながら近づき、
「言うことを聞かないとこうだよ!」
と、マヨムの枝でピシッと叩きます。(細い針金のようですが、結構痛いです。)
つまり、マヨムの木は子供にとっては怖ろしい子供のしつけ道具なのです。
今でも、調子に乗ってイタズラをしていると、伯母さんがやってきて、
「ヤーク・キン・カーン・マヨム・マイ?(マヨムの枝を食いたいのか?)」と聞きます。
そうすると、それでしつけられて来たミックは、すぐにおとなしくなって、ひとまずイタズラを中止します。
タイ・イサーンの田舎の子育ては、かなりスパルタです・・・・。
それでも、一向に懲りない強者のミックです。
2009年08月02日
タイの地下鉄にて。
イサーンはチャイヤプムに埋没してからこの7年ほど、年間でも数えるほどしか県外にでることもなく、日本への一時帰国など全く出来なかった私だったが、今年に入ってから、実家の父の体調が悪くなり、それにともなって、決意の帰国。
その実家への帰省を3,4,5月の間に3回繰り返し、帰国後は実家へ送る証明書類等を取得するために、ここ数年行っていなかったバンコクへのこれまた3回の日帰り出張。
しかも毎年7月のビザの更新は、今までの管轄であったコラートからルーイ県の外れ「ター・リー」という出張所に飛ばされ、片道4時間ものビザ更新の旅となった。
考えてみると、今年はというかこの数ヶ月は、いつになく、イサーン埋没生活から掛け離れた生活を送っていた。
さて、前置きはこの辺にして、その3回のバンコク行きの際に、3回ともモーチットから路線バスを乗り継いで、最寄の地下鉄の駅「スワン・チャトゥチャック」から地下鉄で日本大使館のあるルンピニー駅まで行くということを往復で6回繰り返した。
このタイの唯一の地下鉄というのは、どうも日頃から、叫ばないと会話にならないという田舎の騒音の中で生活している私には違和感のある空間で、落ち着かない乗り物だった。
乗客のほとんどは、いま時の若者や高給取りらしいサラリーマン、おしゃれな女性やファランが多かったので、私は浮いて見えるだろうか・・・と気になった。
地下鉄の至るところに、「日本の技術協力で完成した・・」云々の看板が貼られていたが、日本の地下鉄の雰囲気、いやそれ以上に冷房が効き過ぎ、タイにはあり得ない「シ~~~~ン」とした雰囲気が、どこかタイではない別の空間に迷い込んだような錯覚さえ起こさせた。
そんな緊張した気分で6回目の地下鉄の車内に乗り込んだときだった。
ルンピニー駅から2駅ほどだっただろうか、その男性が乗ってきたのは・・。
はじめはごく普通の20代くらいの男の子だったから、気にも留めなかった。
すると、しばらくして「ルルルル・・・・」だったかケイタイの呼び出し音が鳴った。
タイの地下鉄は「シ~~ン」としているとは言っても、日本の社会のように「乗り物などの公共の場所ではマナーモードにしましょう」という規制はないらしい。(実は私が「マナーモード」というのを知ったのは今回の帰省のときである。)
すると、その男の子がバックを探りケイタイを取った。
「ハロー・・・ユウサイ?・・・クウ ユウナイ ロットファイタイディン。 ティ? ウー・・ウー・・・シ ホート レーオ。 ディヤオ シ パイ ソーイ ドーック。」
(もしもし、どこ?・・・オレは地下鉄に乗ってるよ。 そっか? ああ・・ああ・・・もうすぐ着く。手伝いに行くからさ。)
・・・えっ?
一瞬耳を疑ったが、彼の口から出てきたのは紛れもない「パサー・ラーオ」(イサーン方言)であった。
地下鉄の「シ~~ン」とした車内に彼のラーオ語だけが響いた。でも、誰も気に留める様子もない。
日本の若者だったら、こうなるだろうか?
大阪弁は別として、他県の田舎の若者も東京へ出たら、何となく標準語にならないだろうか?
実は、私も埼玉の田舎の出身なので、高校生くらいまでは、地元の方言で家族はもちろん友達とも話していた。
しかし、千葉の学校に進学して全国どころか外国からも集まった人々と寮生活を送るうちに、自然と標準語しか話さなくなり、東京で就職、結婚して神奈川で新居を構えたころには、地元の方言はすっかり使えなくなっていた。もう、口から出てこないのである。今、実家に帰っても方言が出てこない。・・・寂しいものである。
そういう意味では、バンコクの真ん中で、堂々と故郷の方言を話せる環境は素晴らしいと思う。
でも、家に帰って主人に聞いてみたら、以前は田舎の人間はやはり引け目があったらしく、バンコクでは無理して標準語を話していたものだと言うが、やはりそこは田舎の出身、同郷の人間にはアクセントなどで分かってしまうものらしい。
でも、最近ではモーラムやルークトゥンなどの田舎の文化がバンコクでも有名になり、田舎の方言に自信を持つ若者が増えてきたようだ。
その実家への帰省を3,4,5月の間に3回繰り返し、帰国後は実家へ送る証明書類等を取得するために、ここ数年行っていなかったバンコクへのこれまた3回の日帰り出張。
しかも毎年7月のビザの更新は、今までの管轄であったコラートからルーイ県の外れ「ター・リー」という出張所に飛ばされ、片道4時間ものビザ更新の旅となった。
考えてみると、今年はというかこの数ヶ月は、いつになく、イサーン埋没生活から掛け離れた生活を送っていた。
さて、前置きはこの辺にして、その3回のバンコク行きの際に、3回ともモーチットから路線バスを乗り継いで、最寄の地下鉄の駅「スワン・チャトゥチャック」から地下鉄で日本大使館のあるルンピニー駅まで行くということを往復で6回繰り返した。
このタイの唯一の地下鉄というのは、どうも日頃から、叫ばないと会話にならないという田舎の騒音の中で生活している私には違和感のある空間で、落ち着かない乗り物だった。
乗客のほとんどは、いま時の若者や高給取りらしいサラリーマン、おしゃれな女性やファランが多かったので、私は浮いて見えるだろうか・・・と気になった。
地下鉄の至るところに、「日本の技術協力で完成した・・」云々の看板が貼られていたが、日本の地下鉄の雰囲気、いやそれ以上に冷房が効き過ぎ、タイにはあり得ない「シ~~~~ン」とした雰囲気が、どこかタイではない別の空間に迷い込んだような錯覚さえ起こさせた。
そんな緊張した気分で6回目の地下鉄の車内に乗り込んだときだった。
ルンピニー駅から2駅ほどだっただろうか、その男性が乗ってきたのは・・。
はじめはごく普通の20代くらいの男の子だったから、気にも留めなかった。
すると、しばらくして「ルルルル・・・・」だったかケイタイの呼び出し音が鳴った。
タイの地下鉄は「シ~~ン」としているとは言っても、日本の社会のように「乗り物などの公共の場所ではマナーモードにしましょう」という規制はないらしい。(実は私が「マナーモード」というのを知ったのは今回の帰省のときである。)
すると、その男の子がバックを探りケイタイを取った。
「ハロー・・・ユウサイ?・・・クウ ユウナイ ロットファイタイディン。 ティ? ウー・・ウー・・・シ ホート レーオ。 ディヤオ シ パイ ソーイ ドーック。」
(もしもし、どこ?・・・オレは地下鉄に乗ってるよ。 そっか? ああ・・ああ・・・もうすぐ着く。手伝いに行くからさ。)
・・・えっ?
一瞬耳を疑ったが、彼の口から出てきたのは紛れもない「パサー・ラーオ」(イサーン方言)であった。
地下鉄の「シ~~ン」とした車内に彼のラーオ語だけが響いた。でも、誰も気に留める様子もない。
日本の若者だったら、こうなるだろうか?
大阪弁は別として、他県の田舎の若者も東京へ出たら、何となく標準語にならないだろうか?
実は、私も埼玉の田舎の出身なので、高校生くらいまでは、地元の方言で家族はもちろん友達とも話していた。
しかし、千葉の学校に進学して全国どころか外国からも集まった人々と寮生活を送るうちに、自然と標準語しか話さなくなり、東京で就職、結婚して神奈川で新居を構えたころには、地元の方言はすっかり使えなくなっていた。もう、口から出てこないのである。今、実家に帰っても方言が出てこない。・・・寂しいものである。
そういう意味では、バンコクの真ん中で、堂々と故郷の方言を話せる環境は素晴らしいと思う。
でも、家に帰って主人に聞いてみたら、以前は田舎の人間はやはり引け目があったらしく、バンコクでは無理して標準語を話していたものだと言うが、やはりそこは田舎の出身、同郷の人間にはアクセントなどで分かってしまうものらしい。
でも、最近ではモーラムやルークトゥンなどの田舎の文化がバンコクでも有名になり、田舎の方言に自信を持つ若者が増えてきたようだ。
2009年07月18日
ニックネームとタイ人
タイ社会でニックネームが一般的に使われることは、タイ好きの人なら誰でも知っていることでしょう。
一般の会社のオフィスや役所でさえも普段からニックネームで呼び合っているので、
「課長の本名は何て言うんだっけ?」 とか、外部の人から同僚の事を聞かれて、
「〇〇さんって誰だっけ?」 などと言う事態もよく起こります。
日本人のタイ好きの皆さんもタイの友人からニックネームをつけられたなんてこともよくあることです。
ちなみに私の場合は、ずっと前にタイ人と付き合い始めて働いていたタイレストランのタイ人の同僚の女の子から付けられたニックネームが「プン」(アップル=アップンの略語の「プン」)で、そのときのニックネームで未だに呼ばれ続けています。
つまりは、これが私のタイ名のようなものです。
なので、もう、結婚して15年以上にもなるのに、親戚の中でも私の本名を知っているのは、主人と義母、そしてよく私に付き合って病院などに行ってくれる義兄のお嫁さんの3人しかいません。
よく、日本人の名前でも「ヨーコ」とか「リョーコ」、「アイ」などのように、タイ人にも呼びやすい名前の場合は、そのままニックネームの代わりに通用することがありますが、私の場合は結婚前からすでにニックネームがついてしまっていたので、そのまま通用しているのです。
ところで、この手のニックネームは短くて簡単な言葉がよく使われるので、まったく同じ名前の人が同じところに何人もいるなんてこともしばしばです。
たとえば、我が家の客には「ポン」という人が2人いて、その上、隣の義姉の旦那も「ポン」(同じ綴り、同じ発音)なので、ただ「ポン」さんのことを話したのでは、どの「ポン」だか分かり難く、非常にややこしいことになります。
そういう時は、肌の色や特徴を前置詞に持って来て「黒いポン」とか、「白いポン」(幸いお客の二人は肌の色に差があった・・)ということで、お客の「ポン」さんは片付きます。
そして、義姉の旦那の「ポン」さんは、「うちの(親戚の)ポン」という前置詞がついて一件落着です。
そういう風に、他にも同じニックネームが揃ってしまった場合は、その人の特徴や、出身地などを付けたりして、「チビの〇〇」
「デカイ〇〇」「デブの〇〇」などで区別するようになります。
ちなみに「プン」という名前はチェンマイなどの北部でよく付けられるニックネームで、一般的に色白が多いのですが、付けられた当時はともかく、最近は私はすっかり日に焼けて黒くなってしまったので、そのうち私も、「プン・ダム」と呼ばれる日が来るかも知れません・・・・。
一般の会社のオフィスや役所でさえも普段からニックネームで呼び合っているので、
「課長の本名は何て言うんだっけ?」 とか、外部の人から同僚の事を聞かれて、
「〇〇さんって誰だっけ?」 などと言う事態もよく起こります。
日本人のタイ好きの皆さんもタイの友人からニックネームをつけられたなんてこともよくあることです。
ちなみに私の場合は、ずっと前にタイ人と付き合い始めて働いていたタイレストランのタイ人の同僚の女の子から付けられたニックネームが「プン」(アップル=アップンの略語の「プン」)で、そのときのニックネームで未だに呼ばれ続けています。
つまりは、これが私のタイ名のようなものです。
なので、もう、結婚して15年以上にもなるのに、親戚の中でも私の本名を知っているのは、主人と義母、そしてよく私に付き合って病院などに行ってくれる義兄のお嫁さんの3人しかいません。
よく、日本人の名前でも「ヨーコ」とか「リョーコ」、「アイ」などのように、タイ人にも呼びやすい名前の場合は、そのままニックネームの代わりに通用することがありますが、私の場合は結婚前からすでにニックネームがついてしまっていたので、そのまま通用しているのです。
ところで、この手のニックネームは短くて簡単な言葉がよく使われるので、まったく同じ名前の人が同じところに何人もいるなんてこともしばしばです。
たとえば、我が家の客には「ポン」という人が2人いて、その上、隣の義姉の旦那も「ポン」(同じ綴り、同じ発音)なので、ただ「ポン」さんのことを話したのでは、どの「ポン」だか分かり難く、非常にややこしいことになります。
そういう時は、肌の色や特徴を前置詞に持って来て「黒いポン」とか、「白いポン」(幸いお客の二人は肌の色に差があった・・)ということで、お客の「ポン」さんは片付きます。
そして、義姉の旦那の「ポン」さんは、「うちの(親戚の)ポン」という前置詞がついて一件落着です。
そういう風に、他にも同じニックネームが揃ってしまった場合は、その人の特徴や、出身地などを付けたりして、「チビの〇〇」
「デカイ〇〇」「デブの〇〇」などで区別するようになります。
ちなみに「プン」という名前はチェンマイなどの北部でよく付けられるニックネームで、一般的に色白が多いのですが、付けられた当時はともかく、最近は私はすっかり日に焼けて黒くなってしまったので、そのうち私も、「プン・ダム」と呼ばれる日が来るかも知れません・・・・。
2009年07月09日
今日はカオパンサーでした。
先週の土日から続いて、月火水と子供たちは連休です。
なぜかと言うと、平常通りの土日休日に加え、火・水が仏教上の重要な日 『ワン・アーサーンハブチャー』と『ワン・カオパンサー』なので、連休に挟まれた月曜日もついでに休んでしまおうという、タイのお気軽な学校の方針で、いつにない大型連休となったのです。
(日本だったら、授業時間が足りないと大騒ぎしてるところですが・・・。)
そういうわけで、思いがけない大型連休も今日で終わりとなったのですが、この数日間、店はヒマなのに、家の前の通りは赤信号で渋滞するくらい、バンコクをはじめ他県からの観光客で賑わっていました。
ところで、そんな我が家でも昨日の 『ワン・アーサーンハブチャー』では、朝はお寺にタムブン(寄進)に行き、夕方は今日の
『ワン・カオパンサー』の前夜ということで、『ウィアン・ティアン』(線香とろうそく生花を束にしたお参りセットを作って、お寺にお参りに行く)をしてきました。
『ウィアン・ティアン』というのは、私はこの8年間、主人の亡父のお墓に行くくらいで、こうしたお寺で行われるのには、今回が初参加でした。
我が家は店を閉めてから出かけたので、もう日が落ちた頃お寺に着いたのですが、薄暗い暗闇の大堂の前にはもう、百人近い白装束の信者がひしめいていました。
着くと間もなく、皆の後をついて大堂に入って行き、正面の大仏さまに向かって正座をし、頭の上で手を合わせてから手を下げてきて、頭と一緒に床に着け、という礼を三回繰り返します。
これは、タイのお寺でもお参りの基本で、お坊さんにも同じことをします。
その後、お坊さんの先導で、皆がお経を合唱し、一通り終わったら、今度は外へ出ました。
私たちも、白装束の人々の後に続いて外に出て、用意してきたお参りセットのろうそくに火をつけ歩き始めました。
そのとき、主人に「靴は履くなよ」と言われたのですが、そういえば、皆サンダルは置いたままで歩いて行きます。
もちろん、私も言われた通りに歩き始めたのですが、これが痛い!
砂の上に広がる砂利道は歩くたびに 「うっ!うっ!!・・・・!」
と嗚咽をあげてしまうくらい足の裏に突き刺さるようでした。
私が、普段から精進が足りないから、仏様の罰が当たったのでしょうか?
とにかく、手を合わせてお参りセットを掲げて歩くこうにも、足の裏が痛くて、日頃は痛みに特に強い私なのに、情けなくて泣きそうになりました。
ところが、そんな私の横をスタスタ・ピョンピョン・・・足取りも軽く歩いていく者がいます。
よく見ると、私が手を引いているはずの末っ子・ミックでした。
私は痛みに我を忘れて子供の手を握っていないことに気がつかなかったのですが、そんなことはお構いなし。
普段から裸足に慣れていて、しかもお寺はほぼ毎朝伯母さんと来ているため、勝手知ったる自分の庭のように嬉しそうに歩いています。
さすがは、歩き始めた頃からほとんど裸足で、靴を履かせてもいつもどこかに脱いで失くしてしまう我が息子。
あんなにやわらかい足の裏なのに、全く痛くもないようです。
そうしているうちに、ようやく大堂の周りを一周し終わりました。
内心 「ほっ・・・やっと終わった・・・。」と思っていたら、行列の前はまだまだ歩き続けています。
「まさか・・・」と思い、主人に小声で 「ねえ、これ何周回るの?」と聞いたら、
「3周。」(・。・;
「え~~!?」
やはり、予想した答えが返ってきました。
先ほどの仏様への拝礼も3回。タイ仏教は「3」が好きなのです。(いや、本来はきちんと理由があるのですが・・)
まあ、とにかく、残りの2周はご想像にお任せします。
最後の最後にはもう、ゴールを目指すマラソンランナーの気分でした。
そして、痛む足の裏を踏みしめながら、改めて我が子のすごさを思い知った私でした。
私は、3歳の息子に完敗しました。
そして今でも納得がいきません。こんなに鉄板のように硬くなった私の足の裏が、あんなにやわらかい息子の足に負けたのか・・?
やはり、信心深さの問題でしょうか?
恐るべし、タイ仏教の底深さ・・・・。
ちなみに、カオパンサーは禁酒する人が増えます。
「よっ!飲んで行かない?」
「いや~、今、オレ『カオパンサー』してるからさ。」
などと言うような会話が交わされるのがこの時期です。
『カオパンサー』といえば、「=飲酒を慎む(禁酒)」の意味に使われます。
一年中、カオパンサーしてくれるといいな・・・といつも思っている私です。
なぜかと言うと、平常通りの土日休日に加え、火・水が仏教上の重要な日 『ワン・アーサーンハブチャー』と『ワン・カオパンサー』なので、連休に挟まれた月曜日もついでに休んでしまおうという、タイのお気軽な学校の方針で、いつにない大型連休となったのです。
(日本だったら、授業時間が足りないと大騒ぎしてるところですが・・・。)
そういうわけで、思いがけない大型連休も今日で終わりとなったのですが、この数日間、店はヒマなのに、家の前の通りは赤信号で渋滞するくらい、バンコクをはじめ他県からの観光客で賑わっていました。
ところで、そんな我が家でも昨日の 『ワン・アーサーンハブチャー』では、朝はお寺にタムブン(寄進)に行き、夕方は今日の
『ワン・カオパンサー』の前夜ということで、『ウィアン・ティアン』(線香とろうそく生花を束にしたお参りセットを作って、お寺にお参りに行く)をしてきました。
『ウィアン・ティアン』というのは、私はこの8年間、主人の亡父のお墓に行くくらいで、こうしたお寺で行われるのには、今回が初参加でした。
我が家は店を閉めてから出かけたので、もう日が落ちた頃お寺に着いたのですが、薄暗い暗闇の大堂の前にはもう、百人近い白装束の信者がひしめいていました。
着くと間もなく、皆の後をついて大堂に入って行き、正面の大仏さまに向かって正座をし、頭の上で手を合わせてから手を下げてきて、頭と一緒に床に着け、という礼を三回繰り返します。
これは、タイのお寺でもお参りの基本で、お坊さんにも同じことをします。
その後、お坊さんの先導で、皆がお経を合唱し、一通り終わったら、今度は外へ出ました。
私たちも、白装束の人々の後に続いて外に出て、用意してきたお参りセットのろうそくに火をつけ歩き始めました。
そのとき、主人に「靴は履くなよ」と言われたのですが、そういえば、皆サンダルは置いたままで歩いて行きます。
もちろん、私も言われた通りに歩き始めたのですが、これが痛い!
砂の上に広がる砂利道は歩くたびに 「うっ!うっ!!・・・・!」
と嗚咽をあげてしまうくらい足の裏に突き刺さるようでした。
私が、普段から精進が足りないから、仏様の罰が当たったのでしょうか?
とにかく、手を合わせてお参りセットを掲げて歩くこうにも、足の裏が痛くて、日頃は痛みに特に強い私なのに、情けなくて泣きそうになりました。
ところが、そんな私の横をスタスタ・ピョンピョン・・・足取りも軽く歩いていく者がいます。
よく見ると、私が手を引いているはずの末っ子・ミックでした。
私は痛みに我を忘れて子供の手を握っていないことに気がつかなかったのですが、そんなことはお構いなし。
普段から裸足に慣れていて、しかもお寺はほぼ毎朝伯母さんと来ているため、勝手知ったる自分の庭のように嬉しそうに歩いています。
さすがは、歩き始めた頃からほとんど裸足で、靴を履かせてもいつもどこかに脱いで失くしてしまう我が息子。
あんなにやわらかい足の裏なのに、全く痛くもないようです。
そうしているうちに、ようやく大堂の周りを一周し終わりました。
内心 「ほっ・・・やっと終わった・・・。」と思っていたら、行列の前はまだまだ歩き続けています。
「まさか・・・」と思い、主人に小声で 「ねえ、これ何周回るの?」と聞いたら、
「3周。」(・。・;
「え~~!?」
やはり、予想した答えが返ってきました。
先ほどの仏様への拝礼も3回。タイ仏教は「3」が好きなのです。(いや、本来はきちんと理由があるのですが・・)
まあ、とにかく、残りの2周はご想像にお任せします。
最後の最後にはもう、ゴールを目指すマラソンランナーの気分でした。
そして、痛む足の裏を踏みしめながら、改めて我が子のすごさを思い知った私でした。
私は、3歳の息子に完敗しました。
そして今でも納得がいきません。こんなに鉄板のように硬くなった私の足の裏が、あんなにやわらかい息子の足に負けたのか・・?
やはり、信心深さの問題でしょうか?
恐るべし、タイ仏教の底深さ・・・・。
ちなみに、カオパンサーは禁酒する人が増えます。
「よっ!飲んで行かない?」
「いや~、今、オレ『カオパンサー』してるからさ。」
などと言うような会話が交わされるのがこの時期です。
『カオパンサー』といえば、「=飲酒を慎む(禁酒)」の意味に使われます。
一年中、カオパンサーしてくれるといいな・・・といつも思っている私です。
2009年06月28日
タイ文字とボールペン
私が初めて来タイしたのは、今から20年以上前になる。
その当時、学生だった私は、タマサートやチュラーと言ったタイを代表するような有名大学を訪問する「スタディ・ツアー」に参加したのだったが、そのときにふと、タイ人の学生たちの文字の書き方に興味を持った。
普通、タイ文字は小さな丸から始まる文字がほとんどなので、皆、ボールペンの先をクルクルと同じ位置で数回まわして、その小さな丸をしつこいくらいに書いていた。
私は、そのときからこの十数年後にタイに本格的に移住するまで、その書き出しの小さな〇はタイ文字の書き方の特性だと信じて疑わなかったのだが、この数年、その確信が疑わしくなってきた。
それは、ここに生活し始めて、タイ製品の質を思い知らされてからのことである。
タイ製品だけではなく、外国製(中国、韓国、ベトナムなど・・)も多いのだが、とにかくタイで日常的に庶民向けに販売されている商品は、電気製品や自動車のような高級品ばかりでなく、このボールペンや鉛筆、消しゴムのような学生向けの筆記用具も含めて、とにかく「品質に問題あり」の場合が多い。
店先でグルグルと試し書きをしても、まったくインクが出ないか、途切れ途切れになってしまう場合が多い。
まあ、一本当たり、1,2バーツの仕入れ値くらいの商品だから無理もないのかも知れないが、もっと質に力を入れて欲しいものである。
以前、我が家も仕事用にパックで50本くらい入っているボールペンを買ったことがあったが、そのまますぐに書けたのは1,2本・・・。
そのほかの物は、旦那がライターで先を熱してから書いてみろというので、それも試したが、それで書けたのも10本に満たなかった。
つまり、ほとんどは不良品ということである。
以来、大量買いはやめて、町の文房具やで15バーツくらいの物を試し書きした上で買うことにしている。
それでも、もともとのインク量が少ないのか、すぐにインクがなくなったり、我が家は月々の仕入れの支払いにチェックを切るのだが、それを書き間違えたり、インクが出にくくて、重ね書きしたりすると、銀行でお金が下りないそうで、いちいちサインで訂正するのが面倒なので、チェック用には、日本からの来客があるときに救援物資として買ってきてもらう、ゲルインクのボールペンを愛用している。
たとえ、それがコンビニで売っている中国製だとしても、日本の規格に従って輸入されている品物と、タイの中国製とは雲泥の差である。
日本は、「消費者相談センター」などがあって消費者の権利が守られているが、タイにはそういうことはないようである。
その当時、学生だった私は、タマサートやチュラーと言ったタイを代表するような有名大学を訪問する「スタディ・ツアー」に参加したのだったが、そのときにふと、タイ人の学生たちの文字の書き方に興味を持った。
普通、タイ文字は小さな丸から始まる文字がほとんどなので、皆、ボールペンの先をクルクルと同じ位置で数回まわして、その小さな丸をしつこいくらいに書いていた。
私は、そのときからこの十数年後にタイに本格的に移住するまで、その書き出しの小さな〇はタイ文字の書き方の特性だと信じて疑わなかったのだが、この数年、その確信が疑わしくなってきた。
それは、ここに生活し始めて、タイ製品の質を思い知らされてからのことである。
タイ製品だけではなく、外国製(中国、韓国、ベトナムなど・・)も多いのだが、とにかくタイで日常的に庶民向けに販売されている商品は、電気製品や自動車のような高級品ばかりでなく、このボールペンや鉛筆、消しゴムのような学生向けの筆記用具も含めて、とにかく「品質に問題あり」の場合が多い。
店先でグルグルと試し書きをしても、まったくインクが出ないか、途切れ途切れになってしまう場合が多い。
まあ、一本当たり、1,2バーツの仕入れ値くらいの商品だから無理もないのかも知れないが、もっと質に力を入れて欲しいものである。
以前、我が家も仕事用にパックで50本くらい入っているボールペンを買ったことがあったが、そのまますぐに書けたのは1,2本・・・。
そのほかの物は、旦那がライターで先を熱してから書いてみろというので、それも試したが、それで書けたのも10本に満たなかった。
つまり、ほとんどは不良品ということである。
以来、大量買いはやめて、町の文房具やで15バーツくらいの物を試し書きした上で買うことにしている。
それでも、もともとのインク量が少ないのか、すぐにインクがなくなったり、我が家は月々の仕入れの支払いにチェックを切るのだが、それを書き間違えたり、インクが出にくくて、重ね書きしたりすると、銀行でお金が下りないそうで、いちいちサインで訂正するのが面倒なので、チェック用には、日本からの来客があるときに救援物資として買ってきてもらう、ゲルインクのボールペンを愛用している。
たとえ、それがコンビニで売っている中国製だとしても、日本の規格に従って輸入されている品物と、タイの中国製とは雲泥の差である。
日本は、「消費者相談センター」などがあって消費者の権利が守られているが、タイにはそういうことはないようである。
2009年06月19日
ラップ・ピット・チョープ (責任を取る)
長い間、ご無沙汰していました。バットニャオです。
約三ヶ月間に渡り、家庭の事情でお休みしていました。
ブログが再開できてとても嬉しいです。
ブログ休止となった事情は、本家・『イサーンに埋没中』に書かせていただきましたので、こちらでは省略させていただきます。
さて、このところ、我が家では朝早くから、家の前(店の前)に大きなカラマン(たらい)を並べて、いまどきイサーンの田舎でも珍しい手洗いで、毎日出る山盛りの洗濯物を片付けています。(6人家族で、しかも学校の制服とかがあるので大量です。)
そもそも、今月の初めから、昨年の4月に我が家が初めて購入した13㎏サイズの全自動洗濯機が故障してしまったのです。
私は、急いで保証書を探し、購入年月日と保障期間を調べたのですが、どうやら保障期間内であるので、販売店に持ち込もうということになったのですが、購入したのは隣の県のコラートの電気屋さんで、もちろんタイなので出張サービスなどもあるわけがなく、今月末に例の病院に通院する日まで「手洗い」の日々が続きます。
ところで、この保障期間ですが、私はタイのメーカーや販売店の「保障」という言葉はまったく信じていません。
あれは、タイに来てまだ1年目のことでした。
買って3ヶ月もしない冷蔵庫内の棚のプラスティック板が割れてしまったのです。
そのころはまだ、日本的感覚の残っていた私は、急いで販売店に電話しましたが、取り合ってくれず、メーカーに直接電話しろというので、メーカーに電話すると(その冷蔵庫はタイのシャープ製でした)、お客様相談係らしき女性が対応したのですが、
「あなたが重いものを載せたんでしょう。」
とこちらに責任をなすりつけられてしまいました。
私は、「冷蔵庫に入れる範囲の物しか入れてませんが・・・」と言っても、
一向に取り合ってくれず、
「あなたが、重いものを載せたからだ!」
と勝手に決めつけ、責任逃れをしようとするばかりでした。
この一件以来、私はタイの社会全体の性格を見たような気がしました。
その証拠に、子供に、「『ラップ・ピット・チョープ』ってどういうことかわかる?」
と聞いてみると、その説明の内容はどうしても、日本的な意味の「切腹」だとか「~生命を賭けて」とかいう「責任を取る」ではなく、「誤魔化す」「お茶を濁す」「言い逃れをする」という意味合いの言葉しか出てきませんでした。
やはり、一般的な辞書の『ラップ・ピット・チョープ=責任、責任を取る』というのは間違っているとは言えないけれど、実際のタイにはそぐわない、「サワッディー」のような浮いた言葉だなと感じました。
さて、我が家の店先での手洗いは、いつまで続くのやら・・・・。
店に出入りするお客に、
「どうしたの?いまどき手洗いなんて。洗濯機くらい買えばいいのに・・。」
などと、言われて、
「あんたたちがみんなさっさとツケを払ってくれないから買えないんだよ!」
と心の中でつぶやく私でした・・・。

約三ヶ月間に渡り、家庭の事情でお休みしていました。
ブログが再開できてとても嬉しいです。
ブログ休止となった事情は、本家・『イサーンに埋没中』に書かせていただきましたので、こちらでは省略させていただきます。
さて、このところ、我が家では朝早くから、家の前(店の前)に大きなカラマン(たらい)を並べて、いまどきイサーンの田舎でも珍しい手洗いで、毎日出る山盛りの洗濯物を片付けています。(6人家族で、しかも学校の制服とかがあるので大量です。)
そもそも、今月の初めから、昨年の4月に我が家が初めて購入した13㎏サイズの全自動洗濯機が故障してしまったのです。
私は、急いで保証書を探し、購入年月日と保障期間を調べたのですが、どうやら保障期間内であるので、販売店に持ち込もうということになったのですが、購入したのは隣の県のコラートの電気屋さんで、もちろんタイなので出張サービスなどもあるわけがなく、今月末に例の病院に通院する日まで「手洗い」の日々が続きます。
ところで、この保障期間ですが、私はタイのメーカーや販売店の「保障」という言葉はまったく信じていません。
あれは、タイに来てまだ1年目のことでした。
買って3ヶ月もしない冷蔵庫内の棚のプラスティック板が割れてしまったのです。
そのころはまだ、日本的感覚の残っていた私は、急いで販売店に電話しましたが、取り合ってくれず、メーカーに直接電話しろというので、メーカーに電話すると(その冷蔵庫はタイのシャープ製でした)、お客様相談係らしき女性が対応したのですが、
「あなたが重いものを載せたんでしょう。」
とこちらに責任をなすりつけられてしまいました。
私は、「冷蔵庫に入れる範囲の物しか入れてませんが・・・」と言っても、
一向に取り合ってくれず、
「あなたが、重いものを載せたからだ!」
と勝手に決めつけ、責任逃れをしようとするばかりでした。
この一件以来、私はタイの社会全体の性格を見たような気がしました。
その証拠に、子供に、「『ラップ・ピット・チョープ』ってどういうことかわかる?」
と聞いてみると、その説明の内容はどうしても、日本的な意味の「切腹」だとか「~生命を賭けて」とかいう「責任を取る」ではなく、「誤魔化す」「お茶を濁す」「言い逃れをする」という意味合いの言葉しか出てきませんでした。
やはり、一般的な辞書の『ラップ・ピット・チョープ=責任、責任を取る』というのは間違っているとは言えないけれど、実際のタイにはそぐわない、「サワッディー」のような浮いた言葉だなと感じました。
さて、我が家の店先での手洗いは、いつまで続くのやら・・・・。
店に出入りするお客に、
「どうしたの?いまどき手洗いなんて。洗濯機くらい買えばいいのに・・。」
などと、言われて、
「あんたたちがみんなさっさとツケを払ってくれないから買えないんだよ!」
と心の中でつぶやく私でした・・・。



