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ブログポータルサイト「ナムジャイ.CC」 › 子供に学ぶタイ語 › 2009年07月

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Posted by namjai at

2009年07月18日

ニックネームとタイ人

 タイ社会でニックネームが一般的に使われることは、タイ好きの人なら誰でも知っていることでしょう。

 一般の会社のオフィスや役所でさえも普段からニックネームで呼び合っているので、

「課長の本名は何て言うんだっけ?」 とか、外部の人から同僚の事を聞かれて、

「〇〇さんって誰だっけ?」 などと言う事態もよく起こります。



 日本人のタイ好きの皆さんもタイの友人からニックネームをつけられたなんてこともよくあることです。

ちなみに私の場合は、ずっと前にタイ人と付き合い始めて働いていたタイレストランのタイ人の同僚の女の子から付けられたニックネームが「プン」(アップル=アップンの略語の「プン」)で、そのときのニックネームで未だに呼ばれ続けています。
つまりは、これが私のタイ名のようなものです。

 なので、もう、結婚して15年以上にもなるのに、親戚の中でも私の本名を知っているのは、主人と義母、そしてよく私に付き合って病院などに行ってくれる義兄のお嫁さんの3人しかいません。

よく、日本人の名前でも「ヨーコ」とか「リョーコ」、「アイ」などのように、タイ人にも呼びやすい名前の場合は、そのままニックネームの代わりに通用することがありますが、私の場合は結婚前からすでにニックネームがついてしまっていたので、そのまま通用しているのです。

 
 ところで、この手のニックネームは短くて簡単な言葉がよく使われるので、まったく同じ名前の人が同じところに何人もいるなんてこともしばしばです。

 たとえば、我が家の客には「ポン」という人が2人いて、その上、隣の義姉の旦那も「ポン」(同じ綴り、同じ発音)なので、ただ「ポン」さんのことを話したのでは、どの「ポン」だか分かり難く、非常にややこしいことになります。
 そういう時は、肌の色や特徴を前置詞に持って来て「黒いポン」とか、「白いポン」(幸いお客の二人は肌の色に差があった・・)ということで、お客の「ポン」さんは片付きます。
そして、義姉の旦那の「ポン」さんは、「うちの(親戚の)ポン」という前置詞がついて一件落着です。

 そういう風に、他にも同じニックネームが揃ってしまった場合は、その人の特徴や、出身地などを付けたりして、「チビの〇〇」
「デカイ〇〇」「デブの〇〇」などで区別するようになります。

 ちなみに「プン」という名前はチェンマイなどの北部でよく付けられるニックネームで、一般的に色白が多いのですが、付けられた当時はともかく、最近は私はすっかり日に焼けて黒くなってしまったので、そのうち私も、「プン・ダム」と呼ばれる日が来るかも知れません・・・・。
 



  


Posted by バットニャオ at 01:23Comments(8)タイの社会

2009年07月09日

今日はカオパンサーでした。

 先週の土日から続いて、月火水と子供たちは連休です。
なぜかと言うと、平常通りの土日休日に加え、火・水が仏教上の重要な日 『ワン・アーサーンハブチャー』と『ワン・カオパンサー』なので、連休に挟まれた月曜日もついでに休んでしまおうという、タイのお気軽な学校の方針で、いつにない大型連休となったのです。
 (日本だったら、授業時間が足りないと大騒ぎしてるところですが・・・。)

 そういうわけで、思いがけない大型連休も今日で終わりとなったのですが、この数日間、店はヒマなのに、家の前の通りは赤信号で渋滞するくらい、バンコクをはじめ他県からの観光客で賑わっていました。


 ところで、そんな我が家でも昨日の 『ワン・アーサーンハブチャー』では、朝はお寺にタムブン(寄進)に行き、夕方は今日の
『ワン・カオパンサー』の前夜ということで、『ウィアン・ティアン』(線香とろうそく生花を束にしたお参りセットを作って、お寺にお参りに行く)をしてきました。

 『ウィアン・ティアン』というのは、私はこの8年間、主人の亡父のお墓に行くくらいで、こうしたお寺で行われるのには、今回が初参加でした。


 我が家は店を閉めてから出かけたので、もう日が落ちた頃お寺に着いたのですが、薄暗い暗闇の大堂の前にはもう、百人近い白装束の信者がひしめいていました。

 着くと間もなく、皆の後をついて大堂に入って行き、正面の大仏さまに向かって正座をし、頭の上で手を合わせてから手を下げてきて、頭と一緒に床に着け、という礼を三回繰り返します。
これは、タイのお寺でもお参りの基本で、お坊さんにも同じことをします。
 その後、お坊さんの先導で、皆がお経を合唱し、一通り終わったら、今度は外へ出ました。

 私たちも、白装束の人々の後に続いて外に出て、用意してきたお参りセットのろうそくに火をつけ歩き始めました。
そのとき、主人に「靴は履くなよ」と言われたのですが、そういえば、皆サンダルは置いたままで歩いて行きます。
 もちろん、私も言われた通りに歩き始めたのですが、これが痛い!
砂の上に広がる砂利道は歩くたびに 「うっ!うっ!!・・・・!」
と嗚咽をあげてしまうくらい足の裏に突き刺さるようでした。
私が、普段から精進が足りないから、仏様の罰が当たったのでしょうか?
 とにかく、手を合わせてお参りセットを掲げて歩くこうにも、足の裏が痛くて、日頃は痛みに特に強い私なのに、情けなくて泣きそうになりました。

 ところが、そんな私の横をスタスタ・ピョンピョン・・・足取りも軽く歩いていく者がいます。
よく見ると、私が手を引いているはずの末っ子・ミックでした。
私は痛みに我を忘れて子供の手を握っていないことに気がつかなかったのですが、そんなことはお構いなし。

 普段から裸足に慣れていて、しかもお寺はほぼ毎朝伯母さんと来ているため、勝手知ったる自分の庭のように嬉しそうに歩いています。

 さすがは、歩き始めた頃からほとんど裸足で、靴を履かせてもいつもどこかに脱いで失くしてしまう我が息子。
あんなにやわらかい足の裏なのに、全く痛くもないようです。

 そうしているうちに、ようやく大堂の周りを一周し終わりました。
内心 「ほっ・・・やっと終わった・・・。」と思っていたら、行列の前はまだまだ歩き続けています。

 「まさか・・・」と思い、主人に小声で 「ねえ、これ何周回るの?」と聞いたら、

「3周。」(・。・;

 「え~~!?」
 やはり、予想した答えが返ってきました。
先ほどの仏様への拝礼も3回。タイ仏教は「3」が好きなのです。(いや、本来はきちんと理由があるのですが・・)

 まあ、とにかく、残りの2周はご想像にお任せします。
最後の最後にはもう、ゴールを目指すマラソンランナーの気分でした。

そして、痛む足の裏を踏みしめながら、改めて我が子のすごさを思い知った私でした。
私は、3歳の息子に完敗しました。

 そして今でも納得がいきません。こんなに鉄板のように硬くなった私の足の裏が、あんなにやわらかい息子の足に負けたのか・・?
やはり、信心深さの問題でしょうか?

恐るべし、タイ仏教の底深さ・・・・。

 ちなみに、カオパンサーは禁酒する人が増えます。

「よっ!飲んで行かない?」
「いや~、今、オレ『カオパンサー』してるからさ。」

などと言うような会話が交わされるのがこの時期です。

『カオパンサー』といえば、「=飲酒を慎む(禁酒)」の意味に使われます。

 一年中、カオパンサーしてくれるといいな・・・といつも思っている私です。

 



  


Posted by バットニャオ at 02:52Comments(5)タイの行事