インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ
ブログポータルサイト「ナムジャイ.CC」 › 子供に学ぶタイ語

【PR】

本広告は、一定期間更新の無いブログにのみ表示されます。
ブログ更新が行われると本広告は非表示となります。
  

Posted by namjai at

2012年02月17日

ミックのお店屋さん

 先日、恒例の定期検診のため、コラートの病院にに義母を連れて行って来た。

 本当は、出かけるのが早朝5時ということもあり、また幼稚園もあるので、ミックが起きる前に、こっそり出掛けてしまうはずだった。
 しかし、こういう日に限って何かの予感が働くのか、いつもなら7時過ぎに起こしてもなかなか起きないはずのミックが、何故か朝の5時前から起きて来て、そのままなだめて寝かそうとしても、頑として寝室に戻らず、結局、仕方ないかと言うことで、臨時で幼稚園をサボり、コラートに同行した。

 さて、コラート市内に入ると、義母をいつもの「軍隊病院」まで送り、その後は我々の自由時間となる。

 もし一人で行ったら、今回は俗に「スタバ」と呼ばれるコーヒー屋にでも入って、久しぶりに一人でゆっくりコーヒーでも満喫しようかな、などと密かに考えていたのだが、ミックが一緒ではそれどころではない。
 
 一日中、食事する時間も取れないまま、ミックの要求通り、「ロータスで6回ゲームをする!」「ザ モール(タイ語では「ド モー」だが)で、プラー カベン(エイ)などの大きな魚を見る!」というミックの計画通りのコースを辿ったが、最初に朝早すぎて、ロータスやザ モールが開いていないだろうという私の説得で、まず私の目的のMakroで、買い物をすることになった。

 ここも実はミックのお気に入りの場所で、自分の大好きなお菓子類が、大型パックで買えるので、普段はチマチマと小分けで買っている駄菓子やスナック菓子などを次々と買い物カートに投げ込んで行く。

 そこで買い物を済ませ、一通りミックのコースを回っていると、義母から「病院の用事が終わった。」という連絡が入り、義母を迎えに行った。

 その後は、コラートに来たからにはここに寄らずには帰れないという、コラートの旧バスターミナル付近にある、トラクター部品店で、あらかじめ注文しておいた商品を取りに行き、それをピックアップトラックの荷台いっぱいに積んで帰宅となる。

 さて、今回の話の本題はここからである。

 何気なく、自分の好物のお菓子を買い込んで来たミックだが、ふと小売店用の大型パックで買って来たお菓子類を見て何か思いついたらしかった。

 いきなり、「メー、このガム、うちの店の前で売っていいよ。」(うちはお菓子屋じゃないんだけど••••)と言い出すミック。

 私も、このミックの発言に面白くなり、「うん、じゃあ店の前に掛けて置こうか。」
するとすかさずミックが「ねえ、これ売値はいくら?」というので、私が見ると、ガムの包みには「1.-」の数字が•••。
 そして、私が答える前に、「アンラ5バーツ、マイナ、10バーツコーレオカン(じゃあ、一個5バーツ、いや、10バーツにして置こう)。」と勝手に値段を決めるミック。

 「ちょっと•••、ここに1バーツって書いてあるんだけど•••。そりゃ無理でしょう。」
というと、「エー!バーツディヤオ!!サオ•••(えー!1バーツ!!悲しい•••)。」
 
 と、勝手に滅茶苦茶な売値を決めようとしたミックの計画は、無惨にも夢に終わり、結局、包装紙に書いてある通りの定価で売ることに•••。

 さて、翌朝、ミックが幼稚園に出掛ける前に一言。

「メー、ファークカーイドゥワイナ、カーイディーディーナ。(ママ、売るの頼んだよ、いっぱい売ってね。)」
と親のお金で買って来て投資金額ゼロのお菓子を、すっかり自分の商品と思い込んでいる様子のミック。

 私も冗談のつもりで話に乗っただけなので、もし店の前に置いて、お客の連れの子供が欲しがったら、サービスで上げようくらいに思っていたのだが、ちょうどその日にバッテリーを買いに来た客の子供が、子供にとっては面白くもない自動車部品店の店先に掛けてあったガムの包みを見つけ、「ねえ、これ欲しいよー!」と騒ぎだしたので、私が分けてあげるつもりで、「何色にする?」と聞くと、その親が「ああ、欲しいのなら買え、5個ずつでいいだろう。」というので、思い掛けなく、ミックのお菓子屋さんの売り上げとなった。

 幼稚園から帰って来たミックは、さっそく店の前の商品をチェック。
「あれ、何で減ってるの?誰か買ったの?」と聞くので、「うん、お客の子供が2人来てね、それぞれ、5個ずつ買ったの。だからこれ。」
 と、売り上げの10バーツを見せると、初めての売り上げに大喜び。本当に躍り上がって喜んでいた。(さすがタイ人の血99%、何でもすぐに踊りだす•••。)

 そして、翌日からは、前日の売り上げに気を良くして、家の中のお菓子を探して来て、カゴに並べ、店舗の拡大に勤しむミック。

 残念ながら、今日は子供連れの客が全く来なかったので、ミックのお菓子店の方はサッパリだったのだが、昨日の踊りを見たくて、母が計算を間違えて余計に入った売り上げの40バーツをミックの売り上げ袋に入れて置いたら、帰宅したミックはお札が効いたのか、昨日よりさらに輪を掛けて盛大に踊りまくっていた。

 そして、夕方、用事で隣のチャトラット市にある「ロータスエクスプレス」に行ったミックは、そこでさらに店舗の充実を図って、またまた父親の出資の元、自分の好みのお菓子を買い込んだらしく、主人に「ほら、お前が余計な事させるからだ。またお菓子を大量に買い込んで来たぞ!」と文句を言われてしまったが、私は気の済むまでやらせてみたくて、ボードを用意して、「ミックのお菓子屋さん」の看板まで書かせてしまった。

 それを店の前の棚に貼って、大満足の様子のミック。
さて、明日のミックのお菓子屋さんの売り上げは、いかに? 

 そうそう、いつも有れば有るだけ使ってしまうミックだが、今回のこの売上金には、「カー クルアンビン(飛行機代)」という名前が付いている。
この売上金を貯めて、「ピーチャパーメーパイジープン(ボクはママを日本に連れて行ってあげる)」なのだそうである。そして、さらには「メー、パーピーパイティヤオナ、ピーチャチャーイグンエーン(ママ、ボクを遊びに連れてってね、お金はボクが出すから)」と言い切るミック。
 もうすぐ6歳になる子供はこんなことも考えるのだな•••と感心してしまった。
 
 きっと、お金がなくて、私が日本に帰れないと思っているのかも。
でも、本当はそうでもない。
単に面倒臭いだけなのだから•••。




もしかして、幼稚園でも友達相手に商売を企んでいるのか?




タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング   


Posted by バットニャオ at 02:00Comments(8)タイでの子育て

2012年02月02日

遠足の季節 ~当日~

 さて、ミックが待ちに待った遠足の当日・・・。
何と、肝心のミック本人が熱を出してしまったのだ。


 ここしばらく、天候の変化にも負けず、安定した健康状態を保っていたミックだったのに・・・。
それが何故こんなときになって・・・。

 その原因は?
 実は、数日前に何を思い立ったか、主人が、数年来壊れたままだったカー・オーディオを修理に出して、新しく小型DVDも見られるようなセットまで付けたのだ。
 そのため、DVDに目がないミックは、この遠足前の数日間、学校から帰ってくるとそのまま車の中でエアコンに当たりながら、一時間以上もDVDを見ている・・ということをしたのが原因だと思われた。


 以前から、義姉に無理やりタムブンツアーに連れて行かれたりすると、長時間エアコンの効いた車で移動するため、帰ってくると必ず発熱・・・という事が多かった。

 やはり、田舎生まれ田舎育ちのミックは、エアコンに弱いらしい。
 そういえば、話は逸れるが、日本で生まれた直後から車生活をしている日本の子供と違い、(バンコクの子供も違うと思うが)このイサーン辺りの子供は、車に慣れていない子供が多く、大抵は車の後ろの荷台に乗るが、たまに可哀相に思い、車内の座席に座らせたりすると、必ずと言っていいほど、5分もしないうちに真っ青になって吐く・・・という経験が何度もある。
 要は車酔いなのだが、日本の普通の子供は長時間のドライブならともかく、これくらいならまず吐く子供はいないと思う。

 ミックは酔うことはないが、身体がエアコンに対して弱いのだろう。


 そういう事情で、せっかくの年に一度のミックの遠足は、家で休養・・ということになってしまった。

  
 
 そうして終わってしまった今年の遠足、もとい「タサナ・スクサー(校外学習)」だったが、やはりこの時期、上の子供たちも順番に出掛けて、先週は長男、そして今日は次男の番で、長男同様、昨日登校してから、チャイヤプム市内にある友人の泊り掛けで、早朝の出発に備えていた。

 大抵の田舎のタイ人の行動と同じであるが、こういう学校行事の場合でも、無理やりな遠距離の旅行計画を立て、それを早朝というより、真夜中に出発し、何とか次の日付に変わらない程度の時間に帰ってくる・・という強行日程で、無理やりな「日帰り校外学習旅行」を決行するのである。

 集合時間は長男の日は、出発が午前3時、帰りが午後10時の予定で、我が家から30キロの道のりをそんな夜中に送迎するのは迷惑なので、長男は比較的学校に近い友人宅に泊まらせてもらった。

 それを真似して、今回次男も友人宅のお泊りに出掛けたのだが、何と、今朝5時半ごろに朝食の支度をしていると、思いがけなく電話が鳴って、次男が「寝坊した!バスに乗り遅れちゃったよ!」と言ってきた。

 わざわざ、近所の友人宅に泊まったのに、これでは意味がない・・・。
原因は、友人は次男が目覚ましをセットしたと思っていて、次男は友人が目覚ましをセットしたと思っていた・・・という笑い話にもならないようなものだった・・。

 まあそれでも、もし我が家に泊まっていたら、私か主人が自分で目覚ましを掛けて子供たちを起こすだろうと思うのだが、その友人宅の親は、そういう責任感はないらしい・・・というか、やはり常識の範囲が違うようである。


 結局、我が家の次男も今回の「ノンカーイ旅行」に行きそびれたのだった。

 これらの「タサナ・スクサー」は政府の政策の一環で、この旅行のために政府から援助金が出るため、せっかくただで旅行が出来るのだから、行かなきゃ損!ということで、ほとんど先生の趣味で、どこかの有名な市場や観光地などに行き先が決まるらしい。

 「校外学習」というより、買い物ツアー的な感が否めない旅程である。

 私は、毎回思うのだが、無理やりな旅程を立て、こんな夜中に出発し暴走する大型バスに大事な子供たちを預けるのは、無事帰宅するまで本当に気が気ではない・・・。

 前回の、保護者会議のときの意見書に引き続き、次回の保護者会では、このことについて意見しなくては・・・と思った。

 もっと、近くで、社会見学をするのでも構わない、農業体験や工場見学などもいいと思う。
婦人会の旅行ではないのだから、お買い物ツアーで終わっては、せっかくの「校外学習」の意味がない。
また、外国人母の意見を、学校の先生に発表する日を楽しみにしている。 



 更新しました!

タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  


Posted by バットニャオ at 02:57Comments(4)タイの学校

2012年01月26日

遠足の季節

 先週、ここチャイヤプムの中心部で行われる県の「ガーン・ジャオポー」が終わった。

 この行事の為に、市内の交通が規制されて、子供たちの乗る路線バスも郊外のターミナルまで行かないと乗れなかったり、朝のバスの時間も軒並みズレ込んで、いつもより遅れたりするので、遅刻してしまったりする・・という事態になる。

 その続きのように、お祭りが終わった今週も、バスが遅れることが続いたので、いぶかしく思っていたら、もう学校行事の「タサナ・スクサー(=校外学習)」という名目の学校遠足の時期になっていたらしい。

 何台もの、大型観光バスが、朝の6時前からカラオケの騒音を撒き散らしながら、列を組んで乗客を迎えに走って行く。

 こういう時期は、普通の路線バスも何台か借り出されて、遠足のお供に行ってしまうので、普通に路線バスを利用する我が家の子供たちが、いつもの時間通りに来ないバスのせいで、朝一番に乗って朝の朝礼に間に合わせるのに、2番目、3番目のバスの時間になってようやくその日の1番目が来る・・という事態になってしまい、朝礼やタイムカードを押すのに間に合わないという事になる。
 そして、遅刻になれば、生活指導点から引かれるので、子供はもちろん、親の私もこのことについて、先生に抗議したりしたこともある。

 まあ、そういう学校事情はさておき、この遠足の季節は、我が家の子供たちにも順番にやってきて、上の子供たちは、それぞれの日程で行ってくるが、来週の月曜日には、末っ子のミックの遠足も予定されている。

 さて、今年はここチャイヤプムの郊外にも、動物園が開園したので、今年はそこか?と期待していたら、昨年と同じ、コラートの動物園だった・・・・。


 そこで、昨年『幼稚園のทัศนศึกษา(校外学習)』 (http://lawan.namjai.cc/e33626.html参照)の記事にも書いた、悪夢?が甦った・・・。

 予定は未定の、成り行き任せの旅程、大幅に膨らむプログラム・・・。

 そして、私がチャイヤプムの出来立ての動物園にしたかった理由は、何よりも近いから。
また今年も、2時間以上も掛けて、あの音量全開のカラオケボックスのようなバスに揺られて行くのは、考えただけでも気が滅入る。

 それに、行き先のコラートの動物園。
学校側がワイロでももらっているのか、何故あそこに行かなければならないのか?

 確かにタイ式らしく、まだ完成してはいないのに、開園してしまったらしいが、県内に動物園が開園したのだから、そこに行ってもいいのでは?

 私がコラート動物園に行きたくない理由が、園児たちが動物の見学よりも入り口付近のゴーカートに夢中になることである。

 昨年も、動物の見学は、歩きたくない幼稚園児と先生の意見一致で、園内の回覧車に乗ってぐるっとひと回り園内の様子を見た程度で、後はメインのアザラシショーを見て、その後動物園の大半の時間を、そのゴーカートや、乗り物のおもちゃで過ごした。

 一回、10バーツ、ミックは何百バーツ使っただろう?
そして、保護者が一緒に来ている子供はいいが、そうでない子供は指をくわえてカートに乗っている子供たちを眺めているだけである。
 そんなにお金をもらってきていないからである。
  
 先生方も自分たちの昼ごはんやその後の休憩でのんびりしていないで、そういう子供たちのことも考えて、肝心の動物を見たら、さっさと引き上げればいいのに・・・と思ったのであった。


 まあ、そういう昨年の記事にも書いたような出来事で、うんざりしているコラート遠足だが、今年もこの季節がやってきたので行くしかなさそうである。
 うちのミックは特に危なっかしいので、動物園で迷子にでもなってサルの檻の中にでも入れられてしまうのでは?・・・と皆で冗談を言っている。

 だから、行きたくはないが、つい同行してしまう私である。

 今年の遠足の様子も、また帰ってきたら書こうと思う。
今年はどんなことが待っているやら・・・・。
 
 更新しました!

タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  


Posted by バットニャオ at 07:27Comments(1)タイの学校

2012年01月08日

เงินปีใหม่(お年玉)

 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
こちらのブログでは、今日が今年の初更新になってしまいました。

 さて、もう正月早々から更新を・・と思っていたのですが、なかなか順番が回って来ず、ようやく今日の更新なので少し遅れた内容ですが・・・。

 今年の我が家は、1日つまり元旦を休みとし、それ以外はいつも通りの営業でしたが、今年も恒例の親族集合の新年会は昨年末から早々に計画されており、今年は2日の夕方から集合・・と主人が兄弟はもちろん、親戚の主人の従兄弟関係などにも声を掛けており、その晩の会場となった義母の家には、合わせて十数人の兄弟・親戚とその家族が集まり、ごった返しました。

 まあ、主人たちの目的は、親戚が顔を合わせて親睦を深める機会・・・という名目ですが、結局は自分たちが宴会をして楽しむのが真の目的なので、私たちは出来れば行きたくないくらいなのです。

 だから、長男や次男は顔には出さずとも、内心面倒くさがっていましたが、長女の目的は他にありました。

 正月に子供が楽しみにする・・と言えば、お年玉。
そう!普段からあれもこれも欲しい・・といろんな物欲に悩まされている長女には、臨時収入を得る最大のチャンスだったのです。

 基本的にタイでは、「お年玉を上げる」という習慣がありません。
・・というか、日本のように国民的習慣にはなっていないのです。
だから、「お年玉袋」などというものも存在しません。

 私の記憶では、最初にタイに来た頃は、この新年会でも、「子供にお金を上げる」などということをしたことがなかったので、タイでは「クリスマスと正月はない」と言うのが私の記憶に刻まれたのですが、ここ何年か主人たちが飲んでいる席で、酔った勢いか、子供たちにいくらかずつか、お金を渡すようになりました。

 我が家の子供たちには、私が毎年「日本にいたら貰えるはずだから」と言って、私のへそくりの中から、「お祖母ちゃんがくれたんだよ。」と言う名目で、お年玉を上げていました。


 そうしたら、今年は主人が、「今年の正月のเงินปีใหม่(お年玉)はどうする?いくらずつ上げようか?」などと言い出してきたので、正直驚きました。

 でも、子供たちの価値を親への貢献度で計る主人は、長男には500バーツ、長女と次男、末っ子のミックには200バーツで十分だ。」と言うのです。

 私は子供たちは誰でもそれぞれ同じに愛しているので、こういう「年齢」ならともかく「働きで金額に差をつける」という考え方は納得が行かないのですが、ここで反論するとせっかく少しでも子供にお金を渡す気になった主人が機嫌を損ねて「やらなくてもいい!」などと言い出すと困るので、ここはこれで、そのほかに毎年の私の側からのお年玉を上げることにして、納得しました。


 ところが!この当日の宴会の席で、主人は会場に来ている他の親戚の甥や姪たちにも一人ずつ「เงินปีใหม่(お年玉)」を上げたのですが、その金額が、我が家の長女たちと同じ・・・。
そう、その親戚の甥、姪たちにも200バーツずつを渡したのです。

 私は、何とも納得が行きませんでした。
確かに、主人が思うほど働きが良くないけれども、助けてくれることもあるし、何と言っても自分の子供なのに、200バーツ。

 確かに主人には身近なのかも知れないけど、年に数回合うかどうかの親戚の子供たちにも同じ200バーツ・・・・。

 私は甥や姪なんて100バーツでもいいのに・・。
その分、自分の子供に増やしてくれればいいのに、いや、甥や姪に200バーツでも300バーツでも構わないから、わが子たちにはせめて500バーツくらいにすればいいのに・・。
 なんで、自分の子供にケチるのか、親戚の子供に寛大なのか?
 私はこういうタイ人の親戚との距離感覚が、頭では分かっているつもりでも、未だに納得出来ないのです。
まあ、それは、その親戚が全て主人の側だからかも知れませんが・・・。


 というわけで、せっかく長女が期待していたお年玉は、今年は表面上、200バーツで終わったようです。
他に、「日本のお祖母ちゃんから・・」ということにして、私から別に渡しましたが、これは主人に内緒です。
 また、余計なお金があると分かると、いつ他の誰かに貸したいとも言い出しかねないので・・・。


 そういえば、先日ようやく売れたロット・タイ(『イサーンに埋没中』 http://mic.namjai.cc/e66134.html・参照)のお金も、数日後に、さっそく義母が、「誰かに貸したいから・・・」と言って、半分の金額(15万バーツ)を借りて行きました。
いくらかの利息を取るつもりですが、こうして利息どころか元金さえ返って来ないお金もまだまだあるのに・・・。

 本当に、こういう余計なお金があるとすぐに儲け話(損をすることの方が多い?)を思いつくので困ります・・・。
 
  あけましておめでとうございます!のミック


タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  


Posted by バットニャオ at 08:25Comments(6)タイでの子育て

2011年12月11日

今年も懲りずに行きました。

 さて、次回からの続きです・・・。
 
 先々週くらいに、隣市・チャトラットのガーン・ジャオポーに偶然行ったところで終わりましたが、今月に入って、我が家の周囲も何気に騒がしくなりました。

 まず、9・10日に開催されるお祭りなのですが、もう商売っ気の強いタイ人のこと、すでにその前週から来て、風船割りや射的、輪投げなどのゲームを始めました。

 その準備が始まってからは、なるべくミックを市場の方には連れて行かないようにしたのですが、7日にしてすでに気づかれてしまい、7日から仕方なく日が暮れると夜な夜なお祭りのゲームに繰り出す・・・という日々が続きました。

 本来は、昨日から・・だったのですが、もう前々日から行き詰めていたので、今夜が最終日だったのですが、すでに飽きていました。

 今夜は、毎年恒例、お祭りの最大のイベント、オークションが開催されたのですが、うちは今年は何も競落としたいものがなかったとかで、主人は会食の席に座って、ただボーっと皆のオークションの様子を眺めていたそうです。

 
 さて、さほど目新しいものもないのですが、今年のお祭りの出店はというと・・・・。





 毎年恒例の風船割りダーツ。

 これは20バーツで7本のダーツを全て当てたら、商品が貰えるというのが基本ですが、最近は「5本=20バーツ」「3本=50バーツ」「1本=100バーツ」などと言う風に、チャンスを金で買うというか、いっぱい払えば、確立が高くなる・・・というルールにしている店が多く、長女が欲しがっていた紫色のスティッチのぬいぐるみは、娘のためにパパが頑張って、「1本=100バーツ」を払って、2回目にしてようやく手に入れました。
 ちょうど9日が長女の誕生日だったので、そのお祝いのプレゼントに・・というつもりだったようです。




 これも毎年恒例の射的。

 我が家は、長女と末っ子のミックだけで、この数日間でこれに1500バーツくらい注ぎ込みました。
どうせ大した商品のぬいぐるみもないのですが、普段ゲーム的なイベントから掛け離れた田舎世界にいるので、年に一度くらいはこういう出費も仕方ないか・・と思っています。
 これは、やはり20バーツで15個の空気銃の玉がもらえて、それを空気銃に差し込んで一メートル以上離れた場所に置かれた棚に並ぶぬいぐるみを撃つのですが、大人になると、片手で半身になり思い切り腕を伸ばして的のすぐそばまで銃先を向けて撃つので、当たるだろう・・と思いきや、それがなかなか当たらず、片手で持てない女の子や小さい子供がしっかり構えて狙って撃ったほうが当たるので面白いものです。
 我が家のミックも5歳児にしては、引き金を引くのも足を使ったりして何とか自力でセットして撃てるようになり、構えると結構当たって、鼻高々・・という様子でした。




 
 こちらも毎年やってくる、芸術的センス溢れる「回転木馬」ならぬ「回転動物園」です。
しかも何故か空飛ぶドラえもんまで・・・。
ミックが乗りたがるので、何度か乗せました。
待ち時間、あまりに暇なのでその舞台裏を見ようと、舞台の上と舞台の下の隙間から覗いたら、上の動物の乗り物の下には、自転車の車輪があって、その車輪の真ん中にある軸の両端から、上の動物にパイプが伸びていて、車輪の回転で動物が上下に動く仕組み(この説明で解かってもらえるか不安ですが・・・・)になっていました。
 そして、その車輪を回すのが、やはりどこでも大活躍の「タイでエンジンと言えばKUBOTA」のクボタ製エンジンでした。





 暗くて見難いですが、写真の下の方で、目のように輝いているのが、エンジンに付いているライトの反射板です。
舞台裏ならぬ、舞台下で大活躍のKUBOTA製エンジンです。
他でも、観覧車を回したり、エアークッションのスライダーなどの空気を送り込むのにも使われています。




これも見難いですが、写真の左端の方に置かれてベルトで観覧車を回しています。




このエアー・スラーダーの裏にもKUBOTAエンジンがあって、そこでフル回転で空気を送っています。


 とにかく、このお祭りの中にも、いったい何台のエンジンがあるのだろう・・と思ってしまうくらい、どこにでも使われる重宝なものなのです。




私的に気に入ったのが、このスライダーの入り口で不敵な笑みを浮かべる、「くまのプーさんもどき」です。
大体、これらは中国製なのですが、それにしても、似ていないのは仕方ないとして、この黒目と白目が完全に入れ替わってしまっているのは、まるで「プーさんお化け」のようで、すっかり気に入ってしまいました。


 とすっかり締めに入ってしまうところでしたが、肝心の「お祭りの最大の目玉」と言えば・・・・。

 そう、竹竿に電飾を飾っただけの、お祭りのオークションの目玉。
タイ人の見栄が火花を散らす・・という「フア・チャイジャオポー」です。






 今年は、若干電飾の飾りの本数が増えたような感じで、例年よりも多少派手になって、少しは競合う価値が出たような感じでしたが、今年も、隣の市から来た来賓の煽りで、昨年に引き続き「10万バーツ」の、我が市にしてはかなりの高値で競り落とされました。

 さて、今夜でお祭りも終わり。
また、明日から、平穏な日々が訪れる・・・といいのですが。



タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  


Posted by バットニャオ at 04:04Comments(2)

2011年12月08日

今年もやってきました。

 このところ、いつも以上にすっかり更新が滞っていた当ブログですが、その経緯はコメントでも指摘されたように、すっかりタイ人化した言い訳の連続になってしまったので、こちらでは省略して、気を新たに更新を開始したいと思います。


 さて、今年もやってきた・・というのは、この時期、秋の収穫の前後になると、こういう田舎では、あちこちの市町村単位で、それぞれの土地神様を祭ったお祭りが次々と行われます。

 まず、我が家が行くのは、オークパンサーのすぐあとに行われる、主人の実家のお寺の寄付集めのためのお祭り。

 これは、「トート・カティン」「ブン・ドゥアンサーム」などと呼ばれ、このお祭りで色々なオークションや寄付を募り、いつも以上にお寺への寄進が増加します。
 お寺は、そんなに儲けてどうするの?・・・と思われそうですが、この少しでも多くの人出を集めるために、お寺の境内で「リケー」と呼ばれる伝統喜劇や、ここイサーンでは欠かせない方言を使った歌有り、踊り有りの喜劇「モーラム」、そして最新の劇場版映画などを屋外の巨大スクリーンで公開したり・・・と、かなりの投資をするので、実際のところそれほど大した収入にもならない、地元貢献型のお祭り・・という気がします。


 そして今年は、今までは行ったことがなかったのですが、我が家から主人の実家に行く途中のチャトラットという町のガーン・ジャオポーまで行くことになりました。

 今までは、隣町のお祭りなので、わざわざ30キロの道のりを行くほどのことはしなかったのですが、今年はバンコクの洪水の影響で、我が家に来ていた運送屋が一月の休業の末、廃業してしまい、直接家の前まで配送してくれる業者がなくなってしまったので、隣町まで定期的に荷物を取りに行くことになってしまいました。
 そのため、荷物を受け取ってくれる主人の友人宅に行くついでに、お祭りを見てきただけなのです。


 初めて行ったチャトラットのお祭りは、さすがに市の発展度が違うため、我が市のガーン・ジャオポーより大規模な気がしました。
 この市のジャオポー(建市の父?)は、中国人だということで、入り口のジャオポーの祠の真ん前に設置された大舞台では、なんとタイなのに、中国語劇が上演されていました。

 はっきり言って、タイ語しか解からないタイ人には理解できません。
中国語を話しながら育った二世・三世でも、あまり解からないそうです。
それなのに、中3の長女の友人は、毎年、舞台の最前列で観覧し、何が面白いのか、大笑いして見てしまうそうです。
上演内容は悲劇なのに・・・。

 まあ、そういうよく解からないタイ人のいまどきの若者の話は置いておいて、そこを入って行くと、その前の週に、主人の実家の村のお寺祭りで、ミックが2時間くらい粘ってやり続けた、「射的」
がありました。
 しかも、よく見るとその射的屋さんのおばさんに見覚えがありました。
そう、先週主人の実家に行ったときの射的屋と同じ人たちだったのです。
 向こうも、こんな5歳のちびっ子と中3の娘、その母親という組み合わせで、何度も何度も続けてやっていたので、覚えていたようでした。
そんな偶然(まあ、向こうは商売で各所のお祭りを回っているので、当たり前なのですが・・)に、娘が、

「今度、来月のうちの方のお祭りでも会うかな?」と言っていたのですが、今日、まだ完全にお祭りになっていない我が市のプレ屋台を見物に行ってきたら、やはり、予想通りいました、あのおばさんたちの射的屋が・・・。

 
 ・・・・思わず、すでに我が市のお祭りに話が突入しそうになりましたが、このチャトラットのお祭りについてまだ書き残したことがありました。

 ひとつは、恒例の「フアチャイ・ジャオポー」(竹竿などに電飾を飾っただけの、お祭りのオークションの最大の目玉。これを制したものは、その年のお祭りの王者になれる。)のオークション金額ですが、今年のチャトラットの競り落とし金額は、何と30万バーツ!!

 昨年、我が市でも異例の10万バーツが出ましたが、さすがチャトラットは桁が違う・・・。
競り落としたのは、土建屋をやっている国会議員の弟だとか・・・。
 
 やはりお金があるところにはある。
私にしてみれば、ただの竹竿に電飾なのですが、それが名誉なのですね。


 それから、話は変わりますが、子供たちが乗った移動遊園地のジェットコースター。

 こういうのは、何でも作りが危なげで子供を乗せるのは心配なのですが、今回のは本当にこれでいいのか・・・?
というものを見つけてしまったので、これは是非皆さんに見せたいと写真を撮って来ました。








 このジェットコースター、携帯式なので鉄パイプをその場で組み立てて完成するのですが、ナットが一個見つからなかったのか、とりあえずキーム・ロック(すみません、我が家でも売っているのですが、日本語が出てきません・・・)で、挟んで留めて置こう・・・ということか、いつもこれで済ませているのか・・・。
 絶対に安全性を疑ってしまう出来事でした。
ここは、下にタイヤがあってジェットコースターを引き上げて行く場所なのですが、この下には、こういうタイのエンジン使用物にはお約束の「KUBOTA」のエンジンが隠れています。

 こういうお祭りでは、エアー・クッションの遊具や、ミニ鉄道、回転木馬など・・・何でも、このKUBOTA製エンジンが欠かせません。





下で目を光らせるように潜んでいるのが、そのKUBOTAエンジンです。

 ということで、我が市のガーン・ジャオポーは、9日から始まります。

 次回は、その様子を書きたいと思います。


 
タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング

 

 
 
  


Posted by バットニャオ at 01:42Comments(2)

2011年10月09日

「アイ・サット」「サンダーン・マー」

 5歳になり、幼稚園の年中クラスになったミックは、入園当初の心配はどこへやら・・・すっかり学校にも慣れて、幼稚園生活をエンジョイするようになった。

 しかし、それとともに増えて来たのが、子供たちの間で使われる語彙の数々・・・・。

 もともと、田舎の村立小学校の付属幼稚園なので、一歩足を踏み入れれば、そこはもう『イサーン語ワールド』
 一応先生方も気を遣ってか、外国人の私には、標準語のタイ語で話しかけてくれるので、授業中などはまさか、標準語で教えるだろうと思っていた私の予想とは違い、普段の会話もイサーン語なら、授業中はもちろん、保護者のほとんどが地元の村人なので、保護者会や各種イベントでの司会や挨拶も、バリバリのイサーン語で進行する。

 そういう状況なので、ミックの中でイサーン語の語彙が増殖するのは自然の成り行きだが、それ以上に、子供同士の口喧嘩から得た成果か、ミックの罵詈雑言は日増しに凄くなっている。 

 
 まず、学校で友達同士が喧嘩したり、ふざけて言い争ったりしているのを、しっかり聞いてきて、家に帰ってきてから、我が家のメンバーでも特に口の減らない長女相手に、その復習をするのである。

 たまには、一人芝居のように、独り言でブツブツ何かつぶやいていることもあるが、そういう時は決まって、イサーン語と罵声が混じっている。楽しい幼稚園生活を思い出して再現しているのかも知れない。


 そこで、最近のミックの定番が、

「アイ・サット」である。

 何か、気に入らないことがあると、すかさず吐き捨てるように、「アイ・サット!」。
兄弟げんかで、勝てないときも「アイ・サット!」。
父親に怒られて、気が収まらないときも「アイ・サット!」・・・・。


「アイ」は、標準語の「~野郎」「~な奴」の意味。
「サット」は、「動物」という意味だが、ここでは「畜生」と言った方がしっくり来るかもしれない。
日本語なら、「今畜生!」とでもいう感じだろうか。

 これが出ると、我が家のメンバーは皆、「あ~あ、またミックの罵言が始まった・・。」と呆れ顔になる。
まだ幼稚園児だから許されるが、これがいい若者だったら、相手によっては命を落としかねない、見ず知らずの他人相手に簡単に発するべきではない、いわゆる禁句である。

 そして、中間休みに入ったころから言い始めたのが、
「サンダーン・マー」
 これは以前書いた気がするが、私たちがここに越してきたばかりの頃、近所の兄妹の妹が兄に向かって吐いた罵声である。
私は、その頃意味がいまひとつ分からず、急いで辞書で調べたりしたものだから、今でもしっかり覚えている言葉なのだ。

「サンダーン」は、「性質」とか「性格」と訳されているが、ここでは「性根」と訳したほうが分かりやすいと思う。
「マー」は、カタカナ表記だと声調が分別できないので、「犬」か「馬」かはっきり分からないが、「犬」の意味の「マー」である。

 「犬」はタイでは、飼い犬というより野良犬のイメージが強いので、「犬」と言えば、「弱いくせにすぐに吠え、ゴミ箱を漁り、いつもゴロゴロ寝ていて、あたり構わず発情し、人目も気にせず交尾する」・・・等々、とにかく野卑な生き物としての認識が強い。
普段、人間の一番近くにいる動物であるが、それと同時にタイ語で「犬」と言えば、「クワーイ」(水牛)の「のろい、愚劣、馬鹿だ」というイメージ同様、「犬」と同等だと言うだけで、「最低な生き物」の代名詞となる。
 
 というわけで、この『サンダーン・マー』という言葉も、我が家の中でも、特に口の悪い父親や長女でさえ口にしたことがなく、私の記憶の中では、あの9年前の兄妹の言い争いで聞いただけだったと思う。


 これから、一ヶ月弱の中間休みを過ごし、新学期が始まったら、今度はまたどんな言葉を覚えてくるのか・・・。
いつまでこういう言葉を躊躇せず発するのか、心配とともに、実は内心、少し楽しみでもある。




タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  
タグ :罵言畜生


Posted by バットニャオ at 04:51Comments(7)罵詈雑言

2011年10月01日

ダット・ファン(歯の矯正)

 もうすぐ、10月に入る。
いや、日本時間ではもう10月になっているのか。

 もう、我が家の子供たちのうち3人は中間休みに入り、先日の洪水で学校が冠水したために一週間臨時休校になって、期末試験が延期された長女だけが、まだ学校に行っている。


 さて、その長女だが、もう数ヶ月前から切望していることがある。
それは、若いタイ女性の憧れ的ファッションでもある、「歯の矯正」である。

 一昔前は「歯の矯正」と言えば、かなりのお金が掛かるので、笑ったときに見える前歯に嵌められた矯正器具は、ちょっとしたお金持ちのお嬢様やタレントなどのステイタスでもあった。
 

 だが、日本人の私の感覚では、歯を矯正するということは、歯並びが悪い証拠でもあるので、それを治療している段階を見られるのは「恥ずかしい」と言う感じなのか、日本ではあまり歯に治療器具を嵌めている人は見ないし、それでも必要な人は寝ている間だけ使用したりする・・・というような記憶がある。

 だから、タイ人のように、わざわざ歯の矯正器具を見せびらかすようなことはしないと思っている。(もう、日本の生活を離れて長いので、今の日本はどうなっているか分からないのだが・・・。)

 ところが、タイ人はこれ見よがしに見せびらかすし、最近では若い男子も同じように歯の矯正が流行っているらしい。
しかも治療器具の前歯の部分にはダイヤモンド風のガラス玉の飾りまで付いているというから、もう本当にファッションなのである。
 
 というわけで、長女の学校でも、この治療一式で数万バーツするという「歯の矯正」をする友達がかなりいるらしい。
まあ、金額が金額なので、誰でも出来るわけではないが、ある程度生活に余裕がある家の子供たちが続々とやっているらしい。

 長女もそんな友達の影響もあり、しかも以前から爪噛みの癖があったせいか、前歯が少し重なってしまっていて、この前歯を矯正したいのは、長女の場合は単なるファッションだけではないのである。
 もうすっかり人生の春も終わってしまって、自分の姿を省みることもなくなった母と違い、思春期真っ盛りの長女はこのところ自分の容姿や、体型、色々なものが気になるらしく、この「歯の矯正」も本気で切望しているのである。


 普段から口に何かが入っているのが嫌いで、飴もガムも食べない私にしてみれば、あの針金で出来たような歯の矯正器具を一日中、しかも何年も付けると思うだけで、ゾッとするが、それをわざわざ好んで付けたいなどというのは、さすがタイ人の血が流れている長女である。

 私は、タイのうら若き乙女たちが、「ニッ!」と笑ったときに、前歯に嵌っている治療器具が見えるだけで、寒気がして、「ご苦労様です・・・。」と言いたくなるのだが、あれを誇りに思い、自慢しているとは、これも理解し難いタイ人の感覚の一つである。

 中身はどうあれ、何よりも外見を重要視するタイ人の美的感覚と、お金第一の虚栄心の相乗効果がこのタイ人の「歯の矯正」ブームに拍車を掛けているのだろう。



 さて、もう数ヶ月続いている長女の「歯の矯正」計画・・・。
この時期、店の売れ行きの方も停滞気味なので、いつになることやら・・・。
この計画が難航している原因の一つは、本日更新の姉妹ブログ『イサーンに埋没中』に続きます。




更新しました。

タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  


Posted by バットニャオ at 01:25Comments(7)タイの社会

2011年09月22日

น้ำท่วม(ナム・トゥワム=洪水)~その後

 さて、先日から封鎖された我が家の前の道路も、昨日から開放され、例の陥没した道路も、何故かいきなり大型バスまでが通過出来るようになったそうで、昨日から長男たちは、平常の通学路へ戻りました。

 しかし、つい一昨日まで一部の区間で道路のほとんどが陥没して、オートバイも通れないと言われていたのに、この復興の速さは、一体どうしたのか?と疑問でなりませんでした。

 日本のような「やる気と技術に裏付けられた団結力」が、とてもこのイサーンの田舎の人たちにあるとは思えない、なのに何故、こんなに早くこの道路が通れるのか?

 

 話によると、陥没した部分の道路に、一時的にコンクリートの板を渡し、それでなんとか通行できるようにした、まさに「その場しのぎの苦渋の策」ということでした。

 さすがは、タイ人。お得意の「とりあえず」作戦です。
これが壊れて、車が一台くらい落ちたら、今度は別の方法を考えよう・・というわけです。

 ちょうど、まだ通行止めが解除されていないときに、長女と主人が見物に行って来たときの写真です。

 タイ人の行動パターンを理解するのに、非常に参考になると思います。


 まずは、問題の陥没した道路。
これは、タイの政府予算が、一部の公務員を潤して、国民のために使われていない証拠です。
 自分たちの腹を膨らませるために、なるべく経費を節約しようとする役所の無理な注文で、材料を節約したお粗末な工事のために、出来る限り薄~く敷かれたアスファルトがすぐに壊れました。
 我が家の客の話によると、例えば、1千万バーツの予算が出ると、それを請負業者に発注して、9百万バーツくらいに予算を抑えさせ、その浮いた百万バーツは、役所の職員たちが着服するという仕組みだそうです。
一介の公務員がこういう金額を工事発注の度に「食っている」わけですから、まさに美味しいに違いありません。



                半分以上が陥没した道路




                激流の横で魚捕りをするのがタイ人





                大漁大漁・・とさっそく売り始める村人





           何故か目に付いた、こんな状況でいちゃつく若いカップル




                洪水の現場で買って来た魚
          



                主人が捌いてさっそく今夜の食卓へ







タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング

  


Posted by バットニャオ at 05:13Comments(6)

2011年09月18日

น้ำท่วม(ナム・トゥワム=洪水)~再び

 


                我が家の前の交差点の道路閉鎖


 今年も、恒例のน้ำท่วม(ナム・トゥワム=洪水) 』の季節がやってきました。
今年のチャイヤプム市内は、雨季の前にここチャイヤプムでは、上初と言ってもいいほどの、巨大な排水管を道路に埋め込む大工事をしたので、毎年恒例のチャイヤプム市内の洪水は、だいぶ緩和されたようです。

 我が家の子供たちも、今年は洪水で膝まで浸かる洪水の街中を歩いたのは二日くらいで、それ以降は、洪水と呼べるほどの洪水にはなっていないようです。

 まあ、あれだけの大工事をしても、やはり完全には対処しきれていない・・ということに、タイの行政の詰めの甘さといい加減さを感じますが、それでも、少しは進歩した・・と思うべきなのでしょう。


 ところで、こうした街中の洪水が緩和されたのもつかの間、一昨日の朝、6時半に店のシャターを開けると、ちょうど我が家の前の交差点に、警察が何人か立っており、チャイヤプムの街中に続く方面に行く道路を封鎖していました。

 朝から、何か覚せい剤とかの検問でもするのかと思っていたら、どうやら、ここからチャイヤプムの街中に入る道路の中間点にある『メナム・チー』(チー川)の増水で、道路が水浸しになり、その川の上に掛かっていた、長さ20メートルほどの橋の橋脚部分の下の地面が崩れ、橋の真ん中が落ちた・・という話です。


 しかも、そこを無理に通ろうとした高利貸しの取立て屋の2人が乗ったオートバイが流れに飲まれてしまって、行方不明になった・・・ということでした。

 そのため、その現場から約10キロ以上離れた、うちの前の交差点で道路を閉鎖し、庶民を危険から守ろうという方針らしいのですが、ここから、その洪水現場までの間に用事がある人が、閉鎖された道路の合間を縫って、無理やり通行し、道路上でUターンを繰り返し、そこへ直進の車がぶつかりそうになるという、余計に危険な道路状況になっています。


 それを見ていた私は、「行きたいヤツには行かせればいいのに・・・、せっかくの人の忠告を信じなければ仕方ないのだから、無理に閉鎖しなくても・・・。」と思いました。                                                    
 その後、昨日、今日も橋は通行不可能なまま、子供たちは一昨日の夕方から、50キロくらい遠回りになる道を帰宅するためにいつもの路線(を外れた)バス乗って帰って来ました。

 いつもなら1時間弱で着くところが、この遠回りのせいで、1時間半以上掛かるようです。

 今朝の話では、行方不明になったオートバイはすでに5~6台になり、どれも未だに見つからないそうです。

 この前の日本の東北大震災で壊れた高速道路が、6日くらいで元通りになった・・というニュースが世界中で高い評価を受けましたが、このタイの田舎の小さな橋が復旧するのはいつのことやら・・・・。


 ちょうど、後一週間余りで学期休みになるので、出来ればその間に直す努力をして欲しいものだと思いますが、新しく首相に就任した、インラック女史は、自国の国民が困っている全国的な洪水問題よりも、外国のサッカーや、外交の方が大切な様子なので、こうした末端の小さな橋に修築の予算が回ってくるのかは、いつのことやら・・・。
まず、外交とサッカーを済ませてからの問題となるのでしょうか?


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            
タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  


Posted by バットニャオ at 03:37Comments(4)タイの日常茶飯事

2011年09月10日

キラー・シィー(運動会)

 家の事、商売の事で、このところゴタゴタしていて、こちらの更新がすっかりご無沙汰していました。
前回の『ワン・メー』からでは、ほぼひと月ぶりの更新になってしまいそうです。


             運動会の順番待ちの合間にサボって遊んでいるミック
 


 さて、今月の初めに、上の3人が通う中学・高校のキラー・シィー(運動会)が行われたのですが、もう中学生になると親が見に行く行事はほとんどありません。
 この運動会も例外ではなく、それぞれ一週間連続で体操服を着て登校し、中学一年の次男は応援で参加(強制参加)、中学3年の長女も同じく応援部隊として、それぞれ2週間前くらいから、応援の練習のために放課後の特訓まで参加していました。

 今年高校2年になって、晴れて応援部隊の義務が終了した(中1から高1までが義務)長男は、息抜きのための遊戯王カードと、宿題をするためのノートブックを持って登校し、ほぼ毎日一日中、図書館や校内のベンチでのんびり自由な時間を満喫していたようです。

  
 それが終わって、今週の6~8日の三日間は、末っ子・ミックの通う小学校のキラー・シィーが行われました。

 私が毎年思うのは、何故このタイで、この時期に運動会などをやろうと思うのか?ということです。
皆さんもご存知の通り、日本では「運動会は秋」というのが当然のことですが、タイはこの時期は毎年変わらずやってくる雨季です。
 毎日、毎日が晴れ間もあるけれど曇ったり土砂降りが続いたり・・・という日々で、地面の状態も散々です。

 こんな時期なので、上の中高生の運動会も、2日目にして大雨に見舞われ、履いて行った運動靴が浸水。
中止になり、早く帰ってきて乾かしても、この天気で乾くはずもなく、翌日も濡れたままの運動靴を履いていくという有様。
何も、一年で一番天気の悪い時期に行わなくてもいいのに・・・と、毎回思う私です。


 そういうわけで、今週行われたミックの運動会も、初日から同じように曇よりした雲に覆われ、時々小雨がぱらつく・・という天気だったので、果たしてこれで決行するのか?と家でもたもたしているうちに、10時くらいになって晴れてきたので、それから重役出勤のように出掛けました。
 日本のように、「朝6時に合図の花火を上げる」などという気の利いた連絡方法が決まっているわけでもなく、まあ、家にいても仕方がないから、とりあえず学校に行こうという感じの村人が通う学校です。

 結局、小雨の中、「どうせそのうち晴れるだろう・・・」というタイ人らしい、楽観的な予測で、何となく運動会は始まっていたのでした。

 
 さて、この運動会に先駆け、学校から父兄の参観と肝心の「お菓子の寄付」を募るプリントが渡されます。
この「寄付されたお菓子」こそが、子供たちの活力源になるので、これを少しでも多くの父兄から寄付してもらうのが運動会を盛り上げる決め手になるのです。

 特に幼稚園組のミックたちは、運動場のテントの中のテーブルに積まれたお菓子の山に目を輝かせて狙っています。
しかし、これをもらえるのは、各種目に参加した子供たちが優先で、要はこのお菓子が参加賞として配られるのです。

 もう最初から、お菓子の山に目が釘付けのミックも、2日目に園児サッカーの選手として参加し、負けでしたが、スナック菓子を一袋もらって嬉しそうでした。
 最終日の3日目には、またもやサッカーの敗者復活で参加、それから20メートル走にも参加し、お菓子を2袋ゲット。
あの体型ながら、3位になれたので、御褒美の5バーツ硬貨が包装された銅メダルも手にしたのですが、中にお金が入っていることを知ると、すぐに速効で開けてしまい、そのお金を持って、運動会で来ている屋台に走り、すぐにお菓子を買ってしまったそうです。

 実は、この硬貨を包装して折り紙で包みリボンを付けた金・銀・銅メダルは、上の3人も毎年いくつも貰ってきたものですが、誰一人として、開けて使ってしまう・・という子はいませんでした。
中には、しばらくして、開けたものもありますが、そのほとんどは今も我が家の今に飾られています。

 ミックがこれを開けて使ってしまったときには、私は家に戻って仕事をしていたので後で聞いたのですが、このミックの現金さには、もう笑うしかありませんでした。

 ところで、何故「キラー・シィー」というかというと、学校全体で3~4色に分けて、運動会を行うからということ、つまり、「キラー=運動」「シィー=色」で、言ってみればそのままなのです。

 しかしその配色は、さすがタイ。
ミックの学校は今年は「水色」「紫色」「ピンク色」でした。上の子たちの学校も、水色」「黄色」「オレンジ色」「紫色」など。
 ちなみに、昨年まで毎年あった「赤色」が何故か今年は我が家の子供が通う小中高のどこにも使われないのは、やはり政治絡みのイメージで、使わないことになったのでしょうか?


                   パステルカラーがタイらしい  



 それから、今更もう見慣れた光景だったのですが、日本の運動会を思い出したら、これはタイらしいな・・と思ったのが、この白線引きのお兄さんたちです。
日本なら、赤い石灰入れに入れて、ころころ転がしながら線を引いたのを思い出しました。





 日本の運動会といえば、普通は走る、跳ぶなどの陸上競技が主ですが、タイの運動会はそのほとんどが球技です。
日本の運動会を陸上大会+その他というのか、タイの運動会を球技大会+その他というのか、それぞれメインが違います。
タイ語の「キラー」には、もちろん、広い意味での「運動」という意味がありますが、多くのタイ人が好むのは断然「球技」です。

 この小学校でも、サッカーがメインで、バスケット、バレーボール、卓球、ハンドボールとバスケットボールを混ぜたような、ゴールの子がカゴを持って、それにシュートするという球技もあります。
さらには、これは運動?と思うのが「ベートン」、ハンドボールより小さめの重い鉄の玉を投げ、当たったか、追い越したかなどで勝負が決まる、タイ人公務員の暇つぶしのような球技です。
 タイの伝統球技ということで、毎年行われています。

 それから、開会式での全員参加の準備体操が、タイの演歌・ルーク・トゥンに合わせた、ムエタイ技の振り付け。
これも、タイの伝統を大事にしていると言えるのでしょうか。
私には、単に、夜な夜な各地のムエタイ試合に現れる、ムエタイ観戦狂の芸術の先生の、個人的な趣味という気がしてなりませんが・・・。


タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  


Posted by バットニャオ at 04:46Comments(6)タイの学校

2011年08月14日

ワン・メー(母の日)

 少し遅れましたが、8月12日は毎年恒例の「ワン・メー」(母の日)でした。

 主人が言うには、主人の世代では学校も、12日にワン・メーの行事を行ったそうですが、いまどきの学校では、その前日や前々日に行事を済ませてしまい、12日はきちんと休みを取るようです。

 そのため、我が家のミックの通う小学校&幼稚園も、11日に学校の「ワン・メー行事」を執り行いました。

 とは言え、何も特別なこともなく、朝、子供と学校へ行き、校長先生の話を聞いた後、招待されている僧侶とともに、念仏を唱え、その後、大きな輪になって、僧侶を囲み、僧侶が托鉢をしていく・・・というものです。
 その後、陛下に捧げるタイ舞踊の披露があり、それから学年ごとに舞台の上に上り、子供がお母さんや代理の伯母さん、お祖母さんなどにジャスミンの花を捧げ、抱擁しあう・・・という毎年恒例の行事です。

 ところが、今年の「母の日」は私にとって、かなりがっかり・・・の出来事でした。

 私は、長男、長女、次男をこの学校に入れて、もうこの「母の日」の行事は、8年も続けて出席していました。

 毎年、この日に舞台の上で、子供と抱擁するのを楽しみにしていて、それと同じく、その舞台に上がる前に、校長先生から発表される「最近の校外での学習競技会などの成績発表とその表彰」を密かに楽しみにしていました。

 この学校は、小さな村の学校ですが、先生方が子供たちをよく見て指導して下さるので、子供たちの意外な能力などが伸ばされたりします。

 我が家の子供たちも、長男は主に絵画の代表に、長女は最初はぱっとしなかったのですが、小4のときに英語を教えている先生から褒められたことがきっかけで、英語に対する興味が湧き、それ以後少しずつ自信が出てきたようで、他のいろいろなことにもその成果が現れてきました。そのお陰で、英語、仏法対話、作文などの代表にも選ばれるようになり、中でも英語は長女の得意科目になったくらいです。次男も算数の暗算や、仏法対話、英語などに何回も選ばれ、こういう行事のたびに、その表彰があり、子供の名前が呼ばれるのを誇らしく思ったものです。


 ところが・・・・。

 昨年、次男もこの小学校を卒業し、今年は幼稚園に通う末っ子・ミックのためだけの「母の日」でした。

 このところ、義姉とミックとの関係に悩まされている私は、その前日もミックは義姉に連れられてコラートへ出掛け、泊まって来て学校を休んでしまったので、「もう、ミックの学校の「母の日」も義姉が行けば?」と半分嫌になっていたのです。

 学校へ着いて、毎年の如く行事が進んで行ったのですが、校長先生が話をしている最中に、何とミックは前後にいた友達とふざけ始め、「格闘ごっこ」を始めてしまったのです。
 
 確かに、まだ幼稚園児なので、こんなことも「やんちゃ坊主」のうちに入るとは思うのですが、今まで、上の三人がこんな「すべきでないこと」で目立ったことはなかったので、もう私は目を吊り上げて、鬼のような形相で、ミックを連れ出しに行き、自分のところへ連れて来て、小声で「静かに先生の話を聴きなさい、何やってるの!」と怒りました。

 それでも、「あ~あ、怒られちゃった・・。」と少しバツの悪そうな顔で、戻って行くと、また一分も立たぬうちに、どちらともなく手や足が出て、また格闘が始まりました。先生も制してはくれるのですが、面白いらしく、止めても止めてもまたすぐに・・の繰り返しです。

 私は、もう例年のように、舞台の上の踊りを見る余裕もなく、ミックとその友達の動きをジッと見つめていました。
そして、私の言うことを聞かないのは、やはり私が「一番大事な母親」という感覚がないからだ、ミックは義姉や他のたくさんの愛情を受けていて、上の三人のように、私が「誰よりも自分を愛している人」だという確信みたいなものが欠けているに違いない・・・。
 やはり、ミックとの関係が他の子供たちのように行かないのは、タイで生まれ、タイ式育児で育ったからなのだ・・・などと、ぼんやりといろいろなことを考え、年中無休の商売をしていなければ・・・、隣に義姉が引っ越して来なければ・・・・、タイに来ていなければ・・・・などともう、考えても仕方がないことを、過去を後悔するように、そういう考えが頭の中をグルグル回っていました。

 と、そんなこんなで、先生の話や表彰式などが一通り終わると、最初はするつもりで用意して行った、僧侶への托鉢もせず、その後にある、この行事の最大のイベント、私が毎年楽しみにしている「舞台に上がっての母子の抱擁」を待たずに帰宅してしまいました。 


 家に帰ってこのことを、主人に話したら、ミックの行動には仕様がないな・・と言ってはいたものの、私の気持ちには「お前は考え過ぎだよ。」という反応だったので、話はそこで止め、夕方帰宅した子供たちに話を聞いてもらい、少し落ち着きました。
こういうとき、特に長男はいい聞き役になってくれるので、長男と話すと落ち着くのです。
 長女も、やはり静かに聞いていてくれましたが、長女が言うには、「仕方ないよ、ミックはタイ人なんだから。タイで生まれてタイで育って・・・。」と慰めてくれました。

 夜になってお風呂に入ろうとしたところ、私のタンスの引き出しに長女の「母の日のカード」が入っていました。
 長女は、やはり女の子。普段は口が達者で、家族の誰にも負けないほどですが、毎年、誕生日やこういう行事に付けて、カードをくれる心遣いがあります。


                  長女の「母の日」のカード


 この先、ミックがどう育って行くのか、私がどれだけ心を砕いてもその影響は限られているので、心配するしかないのですが、出来る限り、一緒にいる時間を増やしたい・・と思った、今年の「母の日」でした。


タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング

  


Posted by バットニャオ at 03:38Comments(6)タイでの子育て

2011年08月06日

ポム・カン(痒い髪の毛)

 よく、昼下りの暇つぶしなどで、家の軒先などに腰掛け、『サルの蚤取り』の如く、相手の頭に手を掛け、何かを真剣に探しているような親子や夫婦の様子を見たことがないだろうか?

 タイ人は、こうやって時間つぶしに白髪を探したり、しらみを探したりするのが好きである。
そしてその中には、この『ポム・カン(痒い髪の毛)』探しもある。


 ポム・カンというのは、普通は直毛の髪の中に、たまに混じって生えている、凸凹したり、縮れ毛のようになっている髪の異端児である。

 私は、日本に居たころは、単に変な毛が混じって生えている・・くらいにしか思わず、気にもしなかったのだが、タイに来て何年目かに、これが噂の『ポム・カン』だということを、長兄のお嫁さんから教えてもらった。

 ポム・カンの正体とは・・・・。

この髪の毛が生えているところは、何故かすごく痒くなる・・・。
そして、これを抜くことで、痒みが消え、すっきりする・・ということである。

 このことは、私が知った時点より前に、すでにうちの子供たちは知っていて、さすが、タイの地元の学校で生活しているだけのことはある・・と感心したものだった。


 さて、そのポム・カンがどうしたのか?というと・・・・。


 最近、ストレス解消のため、長かった髪の毛をバッサリ切った私だが、このショートヘアにした頭のところどころにピョンピョン・・と撥ねだしている、他の髪の毛に逆らった髪の毛が気になりだした。
 
 以前、長かったときには、まとめてしまうので、それほど気にもならなかったのである。
一本抜いてみると、その痛みが気持ちいい。・・・よく見ると、やたらに線が太くてうねっている。

 「ああ、これがポム・カンだな。」

と鏡をよく見ると、あちこちから同じような毛が飛び出している。
そして、抜いた瞬間が「快感・・・・」である。

 このところ、農閑期で店の客入りもまばら・・・一日中暇なのも手伝って、このポム・カン探しに夢中になった・・・。



 そして、3,4日経ったある朝・・・・。
 
 開店準備で店の前のシャッターを開けようと、屈んだところを、いつもは私より背が低い次男が私の頭の上から覗きこんで言った。

 「メー、何か、メーの頭の頂上、髪が薄くなってるよ!」

 「・・・・?本当?」

 言われて、滅多に見ない鏡を覗いてみると、確かに、真ん中分けの頂上付近が心なしか薄くなっている。

急いで、家の中に戻り、主人や、長女に見せたところ、やはり・・・。

 「うん、どうしたんだ?禿げてるよ。」と主人。

 「禿げてるまでは行かないけど、薄くなってる、確かに・・・。」と長女。

 私は「あ、そうだ!昨日まで一日百本くらいポム・カンを抜いていたんだ・・。」と思い出した。


 「お前、小さいことでもすぐに考えるから、ストレスで禿げたんだろう。」と言う主人。

 いや、単に暇つぶしだったんだけど・・・。
でも、それを快感と感じて止められないのは、確かにストレス溜まってるからなのかも・・・。


 「でも、メーは、髪の毛がやたら多いから、大丈夫だよ。他の部分も均等に抜いて見れば?」
と冷静な長女。

 その二日後くらいには、薄くなった頭の頂上から、いがぐり頭のような毛先が生えてきて、触るとチクチクしていた。
普通に髪の毛が生えている部分は、触ってもこの生え始めの毛先が分からないので、やはりこの部分がすっかり薄くなってしまっている証拠だろう。

 私は、何となく、分け目を変えて、髪を横分けにしていた。
よく漫画に出てくるような、額が後退して、横の髪で額部分を覆っている、「バーコードヘア」などと言われる中年男性の気持ちが分かった気がした。
 
 ここしばらくは、この髪型が続きそうである・・・・。



             (フラッシュ使用のため、余計に薄く見えます・・)


タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング


    


Posted by バットニャオ at 02:51Comments(8)普段着のタイ語

2011年07月31日

長女の宿題=父親の宿題?

 何度かこのブログにも取り上げているが、タイの学校の宿題は、日本人の常識では「???」というようなものがかなりある。

 まず、幼稚園時代から高校になっても続く、何かと言うと「~してから、そこに色を塗りなさい。」という塗り絵付きの宿題。
別にカラーテレビではないのだから、無理に色を塗らなくても、白黒のままでもいいと思うのだが、こういうところから、タイ人の色彩感覚が育っていくのだろうか?

 それから、年中行事の度に描かされる「グリーティングカード作成」。
「年末年始」「バレンタイン」「ソンクラーン」母の日」「先生の日」「子供の日」「父の日」・・・・。
何かのイベントの度に、「カード、カード・・・」と必死で仕上げて行かなければならない。

 そういうわけで、タイの学校生活に、色鉛筆、クレヨン、絵の具等は必要不可欠である。

 ところで、長女が通っている中学は、「先生は、いったい何を考えているのか?」 と疑問になるほど、無茶苦茶な宿題が多い。
 まず、長女が中1のときの「技術・家庭科」の宿題では、「竹を細く切って棒を作り、それを材料にして家の模型を作成する・・」というもの。

 大体、中国の山中ではないのだから、この辺で竹を探す事自体大変なのに、それを斧で切ってきて、細く裂いて、それから肝心の家の模型の作成となる。
これが、中学1年生の女の子に出来るものか?どう考えても、誰か、大人の男性に手伝って貰わなければ、出来るはずがない・・・と思うのは私だけではないはずだ。
 まあ、百歩譲ってクラスの中に、子供の頃から巻き割りをしていたというような自立した、しかも手先も異常に器用な女の子がいたとしても、まず一人いればいいほうだろう。
 

 いったい、この技術科の先生は、なぜこんな無茶苦茶な宿題を出すのか?
しかも、この家の模型だけではない、この手の宿題が学期ごとに毎回出るらしい。

 中学1年の後期は、ベッドサイドに置くようなライトを、身の回りの材料で作るという宿題だったが、これも電球を買って、その配線をして・・とやはり何もやったことがない女の子に出来るものか?いや、中学生の男の子だって、簡単に出来るものではないだろう・・と思った。


 中学2年では、「角材を使った低めの作業椅子」の作成。
こうなると、もう「だ~か~ら~・・・。」と先生の顔を見たくなった。

 その辺の中学生の女の子がいきなり、4センチ角くらいの材木をのこぎりで切って、4つの足を同じ長さに切りそろえ、その上あわせて板を切り、それらを組み立てて、きちんと座れる椅子を作る・・・。
思わず、「出来るか!そんなの!」と言いたくなった。

 タイに来て、いろいろな作業を覚えた私にだって、そう簡単に出来るとは思えない。
それを、普段釘一つ持ったことがないような中学生の長女にやれと言うのだから、無理なことである。

 
 それでも、宿題は宿題。
提出しなければ、減点の対象になるだけである。点数が足りなければ、落第である。

 そこで、登場するのが我が家の大黒柱。
普段は文句ばかり言ううるさい父親でも、こういうときには、娘にとって、まさに救世主である。
数学などの学科の宿題は、私の担当だが、こういう実技科目は主人の出番である。

 娘はあくまで監督で、実際の製作は全て父親の担当という、「父親の宿題」が完成するのである。
よく、作りながら、主人も、「これじゃ、まるで『ポーの宿題』だな。」と冗談を言う。


 そして、中3になった今年・・・。
またしても、「無理な」技術科の宿題が出た。



 


 今年は、何と半田ゴテ(・・というのだろうか?日本語に自信なし・・)。
ノートに書き写された、先生からの指令で、「板に釘を4本打ちつけ、それを使って、銅線同士を巻きつけながら、網目を作成し、その接点の全てに半田ゴテで、溶接して行く。」

 という、素人が読んでもわからないような説明が書き写されて来て、今回は読むのが苦手な主人が、「電気の専門家の「隣の伯父さん」(義兄)に聞いて来い。」と言い出し、その網目の作成は義兄、それからその義兄の半田ゴテを借りてきて、主人が溶接して完成した。
娘はいつも通り、その横で声援を送る・・監督である。


 今回も何とか完成して、無事に提出できたが、作成しているときに、見ていた私はふと思った。

 こんな道具、誰でも持っているわけはない。
そういう特殊な道具を使う宿題を出すのは、先生にはやはり子供たちが出来るという期待は全くないのではないか?

 私が主人に、「普通、こんなの持ってないでしょ?もし、隣の義兄がいなかったら、宿題どうやってやるの? 実際、持ってない子はどうするんだろう?」 と言ったら、主人は、「どっかのチャン(職人)に持って行って、お金払ってやってもらうんだよ。」と言う。

 私は、またもや、「だ~か~ら~!!」と言いたくなった。

 いったい、何のための宿題なんだろう?子供に出来ないことがわかっているような宿題とは・・・。

 先生は、もう少し頭を使って、子供のためになるような宿題を考えて欲しいものである。
 





 タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  
タグ :宿題父親


Posted by バットニャオ at 02:57Comments(9)タイの学校

2011年07月17日

「マー・ラーイ・バーン(หมาหลายบ้าน)」

このところ、私はかなり拗ねている・・・・。

 年齢的に考え込み易い歳になったのか、もともとの考え込み易い性格がひどくなったのか、小さなことでもすぐに抱え込んでしまうことが多い。

 最近の一番の原因は、末っ子・ミックの自由気ままな生活と、その原因である義姉の育児介入である。

 義姉には19歳になる一人息子がいるが、この子は、確かに自分で産んだものの、生後すぐからお祖母ちゃんに預けて、またバンコクでの仕事に戻って以来、たまに会いに来て、あとはわずかな生活費を送金するだけ・・・という、タイでは一般的な田舎の祖父母に預けた「お祖母ちゃんっ子」なのである。
 よく、「産みの親より育ての親」と言うが、義姉たちが小金を貯めて田舎に戻って来て一緒に暮らすようになっても、親子関係はギクシャクして、その結果、一年も暮らさずに元のお祖母ちゃんの家(つまり義母の家)の戻ってしまった・・という経緯がある。


 その結果、義姉の生活に余裕が出た頃にちょうど産まれた、我が家の末っ子にその行き場のない母性愛が向けられた・・と言ってもいいだろう。
私とミックが退院して来た途端、朝シャッターを開けると、すぐに乗り込んで来て、抱いて連れて行ってしまう・・という日々が続いた。
そして、授乳の必要があるとき以外は、ほとんど義姉の家か、我が家の庭に置かれたハンモックで義姉が見ていた。


 話は変わるが、我が家がここに引っ越してきたときに、隣に住んでいた子供たちがいた。
その末っ子の女の子が、よく自分の母親はもちろん、母親の妹(つまり叔母)も、「メー・ビー(ビーお母さん)」などと呼んでいて、「いったい、この子の本当のお母さんは誰なんだろう・・?」と不思議に思ったことがあった。
 
 今のミックがこの状態で、私のことは「メー・プン」、義姉のことは「メー・チャー」というのは日常だが、隣の美人妻のジヤップまで「メー・ジヤップ」と呼ぶことがある。
つまり、母親格の女性がいっぱいいるのである。

 しかし、我が家の上の3人は、私を「メー」と呼び、名前を付けることもないし、もちろん他の誰かに「メー・○○」と呼ぶ必要もない。彼らの中で、母親は私以外にいないからである。

 しかし、完全にタイ式育児環境で育ったミックは違う。
私は産みの母親だが、義姉も何となく母親と言える存在であるようだ。
よく、主人が、慰め程度に、「大きくなれば誰がお母さんだとかわかるよ。」などと言っていたが、
もう、5歳のミックは、私が母親だと言うことは知っていても、義姉もミックを特別に愛してくれている存在だとわかっている。
なので、産んだ母親も捨てがたいが、義姉の存在も捨てがたい・・・そういう環境の中で行ったり来たりしているのである。

 こうなると、いつも私が子供に言っている、「みんな同じに愛している。みんな大切な存在なんだ。」という基本姿勢が揺らいで来る。
 頭ではわかっていても、ミックに対して、上の3人と同じ感情が持てない・・・という矛盾に自分自身でイライラするのである。
 
 そして、その原因は義姉が介入するからだ・・・ということになって、義姉の存在にまたイライラする。
それを、「小さいことですぐくよくよ悩むな、タイ式育児はこうなんだから、仕方ないだろ。それくらい理解しろよ。」という主人の言葉が油を注いで、私の思考回路は、余計深みにはまって行く・・。

 以前、ブログにも書いたが、義姉が勝手にミックを連れ出すのは毎度のことで、例の高僧のお葬式への遠出に反対してから、義姉は、遠出する際には私たちに行き先を告げず、ミックを連れて逃げるようにして出発するようになった。
バンコクあたりに連れ出すのはしょっちゅうで、先日はフアヒンの方にある、「ワット・ルアンポー・トゥワット」という階段の上に大きな僧の像が作られているお寺まで2日も連絡なしで行って来た。
 今夜も、夕方、市場に行ってミックが欲しがるおかずとカオニャオ(蒸しもち米)を買ってあげたら、家に着くなり、
「これとこれ・・。」と自分の分だけ持って行こうとするので、
「どこに持ってくの?」と聞くと、
「メー・チャーの家で食べる。」
と言って行ってしまった・・・。
 心の中に「ヒュー・・・」と北風が吹いた気がした。

 前述の隣に住んでいた子供も、よくその兄にからかわれていたが、ミックのこういう状態を、
「マー・ラーイ・バーン(หมาหลายบ้าน)」「マー・マイミー・バーン(หมาไม่มีบ้าน)」などと比喩してからかうことが多い。

「マー・ラーイ・バーン(หมาหลายบ้าน)」とは、書いた通り、「いくつもの家を行き来する犬」という意味で、「一人の主人に忠実ではなく、食べるためならいろんな家で食いつなぐ」ということを指す。
よく、何人もの女性のヒモになっている甲斐性なしの男にも使われる。

「マー・マイミー・バーン(หมาไม่มีบ้าน)」とは、「家のない犬」つまり「野良犬」のことである。

 あまりにも、こういう状況が続くと、義姉の前でこうした嫌味の一つでも言いたくなるものである。 



 タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  


Posted by バットニャオ at 04:39Comments(8)タイでの子育て

2011年07月08日

ミックの寝言

 


                  よく寝言を言う、次男とミック


 我が家の次男は夜中によく、一人芝居をしている・・・つまり、寝言をよく言う癖がある。

ときどき、夜中にこの記事を書いていたりすると、寝静まったはずの隣の部屋から、叫び声や笑い声が突如として聞こえることがある。

 まあ、これは次男の癖だと思っていたので、最近は大して気にもならなくなったのだが・・・・・。

 先日、ビザの更新申請にコンケーンの入管に行くために、夜中の3時に家を出発したときのことだった。

 上の3人はもう中学・高校生なので、出掛ける前に朝ごはんの支度だけしておいて、あとは戸締りだけ頼んで学校に行かせたのだが、末っ子のミックは、幼稚園の送り迎えがあるため、学校を休ませて一緒に連れて行くことにした。

 夜中の3時に寝ているミックを抱いて車の後部座席に乗せて寝かせ、2時間近く走ってそろそろコンケーンに着くと思った頃だった。


 背後の座席で寝ているはずのミックが、いきなり

「アイ・サット!!」

 と大声で叫んだ。

 何事かと驚いて後ろを振り返ったが、起きている様子もなく、それきりまたいびきをかいて寝ている。


 「アイ・サット」と言うのは、「アイ=~野郎」、「サット=動物・畜生」という意味で、「こん畜生!」のような罵倒語である。

 どんな夢を見ていたのか知る由もないが、何か気に入らない状況だったのだろう。

 兄弟げんかでもしていたのか、学校で友達とふざけて遊んでいる夢か・・・というのはともかく、夢でもこういう言葉が出てくるとは、さすがに血筋。
父親の家系が色濃く出ている。

 普段、子供の悪いところは全部母親似で、良いところは全て自分に似ている・・と都合よく話を持っていく主人だが、この言葉遣いに関しては、普段、日本語を全く使わないのだから、私のせいになるはずがない。
 
 それに、父親の家系譲りの口の悪さであることは、義母、義姉を始めとした主人の兄弟で証明されている。


 同じ日本人とタイ人との子供でも、バンコク辺りで、ハイソーな環境の中で、お行儀よく育っている子もいるだろうが、現地に根付いてしまった我が家の子供たちは、こうしてすっかりタイ人になっている。


 まあ、この手の言葉は、年齢を重ねて行くにしたがって、自然と滅多に口にしなくなるものだが・・・・。
そうして、我が家の義姉たちの例を見ていると、こういう語彙は概ね夫婦喧嘩のときにこそ発揮されるのである。


タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング



   


Posted by バットニャオ at 01:25Comments(4)罵詈雑言

2011年06月07日

幼稚園児・ミックの『カーン・バーン』

 さて、幼稚園生活も2年目に入り、すっかり余裕のミックだったが、このところ、この5歳児の頭を悩ませていることがある。


 それは・・・・。

 「カーン・バーン(学校の宿題)」である。


 幼稚園年少の昨年からも、この「カーン・バーン」はあったのだが、大体が線を引く、関係する絵と絵をつなぐ、色を塗る・・などの初歩的なもので、あまり出来た出来ないより、やったやらない・・のレベルだったので、5分もすれば終わる事が多かったり、ちょっと難しいものは、面倒を見ている兄や姉にやらせてしまう・・という技も身に着けていた。


 しかし、こうしてズルを続けていたサボり癖が、ここに来て自分を窮地に陥れることになった。

 さすがに、幼稚園も2年目になると来年の小学校入学に向けて、まともなことを始める。
まず、2年目の基本中の基本は、「自分の名前を書ける」というのが課題である。

 とはいえ、同じ2年目の子供でも、4月生まれで一番月齢が低いミックに比べて、半年から一年くらい月齢の早い子供たちは、もうすっかり自分の名前をきれいに書けるようになっている。

 まあ、日本の「お受験」などと言っている、早期教育で育てられた子供たちから見れば、こんなこと比べるレベルの問題ではないのかも知れないが、ここはタイのド田舎である。

 半数くらいの子供たちは、自分の名前を見本を見ず、誰にでも読めるくらいの字で書けるのだが、ミックはそうは行かない。
もう、新学期が始まってから3週間になるが、毎日毎日のカーン・バーンがこの「自分の名前を書く練習」なのである。


 可哀想なことに、ミックの名前はなかなか長い。
名前だけで、6文字プラス上下に記号が並ぶのに、名字などは、9文字にまたまた上下に記号がつくつく・・・。
覚えるのも大変だろうな・・と同情するが、父親の姓なので仕方がない。
せめて、名前だけでも二文字くらいにしてやればよかったな・・と変なところで後悔している。


 しかし、ミックの問題は、まず、それ以前に始まる。

 タイは正式には、名前の前に性別や既婚未婚を表す英語の「MrやMrs、Miss」などに当たる言葉がつくが、タイの子供も同じように、名前の前に、男女・年齢の区別を表す「ด.ช」「ด.ญ」(「男の子」・「女の子」)を付ける。この「ด.ช」「ด.ญ」を付けるのは、IDカードが発行される15歳までで、それ以降は「นาย」「น.ส=นางสาว」(「男性」・「未婚女性」)に代わる。中学3年生は、ちょうどこの時期なので、誕生日の早い遅いによって、同じクラスでも「ด.ช」「ด.ญ」を使っている子もいれば、もう「นาย」「น.ส=นางสาว」に代わっている子供もいる。たまに、高校生で結婚したなどという話も聞くが、さすがに「นาง」(「既婚女性」)と堂々と名前の前に付けている女子高生はいないだろう。
 
 話がだいぶ逸れたが、ミックは名前の前に付く、この「ด.ช」の時点ですでに力尽きてしまうのである・・・。


 まあ、私の子育ての信条は「強制しない」「なるようになる」「子供には自分で育つ力がある」なのだが、この名前書きに関しては、そうも言っていられない。

 何しろ、タイの識字率は、だいぶ向上して来たとはいえ、まだまだ他国の比ではない。
銀行などでも、よく「あんた、ちょっと代わりに書いてくれない?」などというおばあさんに声を掛けられるし(私は外国人なのに・・と見えないのか・・)、店で売っている商品の保証書などに名前や住所を記入してもらおうと思っても、「俺、字書けないから、あんた代わりに書いてくれよ。」などとよく言われる。

 実際、平日の昼間に親と一緒に農作業の途中で買い物に来る子供もいる。
よく、主人が冗談で「あれ、平日なのに学校行かないのか?」などとからかうと、その親が「いや~、行きたがらないんだよ。困ったもんだ、ハハハ・・・。」などと大笑いしている・・・・ので、笑っている場合か?と、突っ込みたくなる。


 バンコク周辺の子供たちは、やれカトリック系だの、インターだの・・と教育熱心な親も多いが、タイ全土で見れば、それはごく一部に過ぎないだろう。
地方では、まだまだ中学まで卒業しない子供も大勢いる。


 うちのミックがこうなるとは思ってないが、やはり少しでも苦手感を克服して、進んで学校に行くようになって欲しいと思うので、何とか、この最初の関門 「名前書き」に興味が持てるように、工夫しなければ・・と頭を悩ませる今日この頃である。



                幼稚園のタイ装を来たミック
 
タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング




  


Posted by バットニャオ at 02:43Comments(14)タイの学校

2011年05月28日

バック・ハー


 少し、遅れてしまったが、新学期が始まった・・・。

 今年は、次男も中学一年生になったので、上の二人と一緒に路線バスでチャイヤプムの市内にある学校に通学することになった。

 そして、残されたのは、地元の学校に通う末っ子のミック一人きり・・・。

 昨年は、初めての学校生活に慣れるまで大変だったが、今年は「アヌバーン2」(幼稚園2年=つまり日本で言う「年長さん」)。
タイの幼稚園は、私立や一部のマンモス校などでは、幼稚園も3年制になっていて、「アヌバーン1・2・3」と分かれているが、我が家の通う学校は、田舎の村立小学校なので、学年一クラス、幼稚園も2年制である。


 さすがは、2年目の貫禄で、友達との付き合いも深くなり、朝、通園するなり、さっさと友達のところに走って行ってしまい、送ってきた母には「バイバ~イ、もう帰っていいよ!」とつれないものである。


 こうして、学校生活に慣れ、友達に慣れ・・というのは、昼間フルで働く母には、安心できていいのだが、最近、気になることが少しある。


 まず、当然ながら、小さいうちから地元の学校に入ったので、友達につられて、話す言葉が増えたこと。
それが、ほとんど『パサー・ラーオ(ラオ語と呼ばれる、イサーン方言)』である。

 
 我が家の上の三人は、もともと日本から来たせいか、家の中でも、外でも「標準タイ語(もどき)」で話していて、子供たち同士で話すときは、多少、方言が混じることもあったが、基本的には地元方言は使わないようだった。


 ところが、最近迎えに行くと、うちの方面に帰る子供が二人便乗してくるのだが、その二人とおしゃべりしているのを聞くと、一所懸命に地元方言を使っているのがわかる。

 「○○○、バック・ハー!」と、すぐに言葉の語尾に、「バック・ハー!」を連発する。
普通、「バック」はイサーン語で、「~のヤツ、~野郎」のような、男性名の前につける言い方である。
標準タイ語では、「アイ~」に相当する、「バック・ハー」は標準タイ語の「アイ・ハー」と同じである。

 ミックたちの使っているのは、「何言ってんだよ。コノヤロー!とかいう感じで親しみを込めた言い方なのだが、
車に乗っている10分くらいの間、何度も何度も連発するので、こちらが可笑しくなる。
こういう会話を友達としながら楽しんで、ろくに先生の話も聞かずに、先生に細い木の棒などで「パシッ!」と叩かれるのが想像できる。


 昨日も、ミックが自慢そうに私に話した。

「ピー(「お兄さん」ミックは自分のことをこう呼ぶ)は、学校で全然先生に怒られないんだよ。」

「へ~? じゃあ、ピーはいい子なんだね。」

「うん、そうじゃなくて、叩かれるんだ。」

「・・・・。それじゃ、もっと悪いんじゃない。」


 ミックのように、人の話を聞かず、話しても分からない子には、すかさず先生の愛の鞭が炸裂する!

 昨日叩かれたのは、学校の木に「蜂の巣」があるのを見つけ、友達と取ろうとしても届かず(当たり前だ!)、ミックはその辺に転がっていた石を投げて、蜂の巣に当てて落とそうと思ったらしい・・・・。

「それでね、ピーが石ころを投げたら、デーン先生の車に当たって、ガラスにキズがついたの。」
「それで、ルーン先生がピーを叩いたの。」

 それは叩かれて当然でしょう・・・・。


 確かに、ミックは先生の車を狙ったわけではないが、結果的には「ガラスにヒビが入った」とは大変なことである。
我が家の隣の義姉のところで、自動車ガラスの交換をしているが、一枚2~3千バーツはする。
デーン先生の車は、古い型の乗用車だから、もっと高いかも知れない・・・。  

 でも、ミックにとっては叩かれたことより、先生の車のガラスのことより、大好物の甘~い蜂蜜がたくさん入っていたであろう、「蜂の巣」をゲット出来なかったことの方が残念だったようである。(まるで「くまのプーさん」だ。)

 まったく、普段から、ポー(うちの主人)が蜂の巣取りになんて連れて行って、取りたての蜂の巣の味を教えたりするから、こういうことになる・・・。
蜂の巣を舐めたり、ガブリをかじるのが大好きなミックなのだから、友達と一緒にこういうイタズラをするのも、仕方がない。

 多分、こういう子供たちを怒るとき、先生も思わず口走っているのだろう・・・・「バック・ハー!」と。



タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング

  


Posted by バットニャオ at 07:40Comments(9)イサーン語

2011年05月06日

シアノーイ・シアヤーク、シアマーク・シアガーイ

 先日、店を閉めて久々にチャイヤプムの街中に買出しに行った時のことだ。

 我が家は、普段は夜7時くらいまで営業するのだが、この日は、作業中に主人の目に切削屑が入ったらしく違和感を訴えるので、目医者に行く予定で少し早めに店を閉めて出掛けた。

 早目と言っても、夕方6時を回っていたので、そろそろ陽も完全に落ちようとしている頃で、家を出て10分もしないうちに辺りはすっかり暗くなっていた。

 バンコク周辺ではそうでもないと思うが、この辺りの田舎道では、交差点周辺を過ぎると街灯はまったく無いのが普通である。
我が家の周囲も同じで、家から50メートルも離れると、すっかり暗くなって、頼りになるのは自分の車と対向車のヘッドライトのみである。

 私は、目が悪い方で、運転には眼鏡を必要とするので、そんな夜間の運転はなるべく避けたい。
何しろ、こういう両側が林に囲まれた田舎道では、昼間でも何が飛び出すかわからないし、夜の暗闇では、猫だろうが犬だろうが飛び出した瞬間にそれを避けるのは自殺行為になるからである。轢きたくはないが、夜の暗闇に勝手に目の前に飛び出されれば「車は急に止まれない」のである。


 そういうわけで、夜間の運転は普通主人の担当である。
この日も、目に異物が入っているにも関わらず、私の目の悪さに信用できない主人が、目医者で治療後、眼帯で片目になった帰り道は私に運転してもらうから・・ということで、行きは主人が運転して行った。

 
 大体、夕方から夜になるこの時間帯には、農作業帰りの農夫が多い。
そして、彼らの乗っている耕運機を改造したタイ特産車の「ロット・イテーン」や、同じくクボタの耕運機に荷台を接続した「ロット・タイナー・ドゥーンターム」が我が物顔で公道を走る時間帯である。



 最近は、農民にも余裕が出来て、小金を持っている人が多く、日本の「トラック野郎」のように、電飾に凝ってお金を掛けたりする人も出てきたが、大抵の農民は、大変な作業の割りに収入が少ないので、なるべく出費を減らしたいのか、余計な出費をことごとく節約するらしい。

 そして、車は動いて物を運べればいいので、パンクやエンジンの故障などのどうしようもない事態以外には中々修理をしない。

 実は、ここに大きな落とし穴があるのだ。
確かにブレーキが壊れても、パンクでも事故にはつながるが、この夜間の無灯運転が実はかなり危険度が高い。

 
 そして、その日もそうだった。
チャイヤプムまで行く30キロの道で、5台も無灯で運転している農業用車両にぶつかりそうになった。
まあ、主人は目がいいので、私が気が付く10秒以上前に気が付いて気をつけているが、私だったら、もう急ブレーキが効かないくらいの距離に入らなければ、見えないかも知れない。
まるで、目の前に飛び出した動物か、ゲームセンターのゲームの中の障害物のように、急に目の前に現れる感じである。

 テールランプも点灯しなければ、ヘッドライトも付かないのである。
もちろん、最初から付いていないわけではない。車を買ったときには点灯していたはずだが、電球が切れても、取り替えないのである。

 我が家の商品なので詳しいのだが、ヘッドライトは一個100バーツ程度、テールランプの電球は、一個5バーツからある。
それでも、取り替えるのお金が「もったいない」のである。


 こんなとき、よくうちの主人が言う。

「シアノーイ・シアヤーク、シアマーク・シアガーイ」(少しの出費は払い難い、大きな出費は簡単に払う)

 つまり、車なら「故障が少ないうちに修理すれば、修理代も安く済むのに、少しの出費を惜しんでいるから、故障箇所が大きくなり、大変な出費となるが、もう直さないとどうしようもないので、仕方ないので大きな出費をすることになる。」
という意味である。

 まあ、これは車に限らず、どんなことにも通じるかも知れない。

 しかも、今回のように、「たかが電気が切れただけ、車は走れればいいんだ」などと簡単に考えていると、タイの田舎道を100キロくらいで普通に飛ばすピックアップトラックに衝突され、大事故に繋がるかも知れないし、運が悪ければ命を落とすかも知れない。
 「注意一秒、怪我一生」という標語があったが、電球5バーツで命を落としたのではしゃれにならない。

 
 ドライバーがみんな主人のように目がよければいいが、私のような目も悪い、反応も鈍い者もいるのだから・・・・。
こういう安全に対する認識が村の議会などで議題に上って、各自の認識が高まるといいのだが・・・。
でも、タイ人の性格からして、こういう場合は、警察が毎日取り締まって、罰金制にしないと浸透していかないのが現実である。


 しかし、本当の問題点は、タイ人の「安全対策などの出費は惜しむが、酒やタバコには惜しまない・・・」という、「今が良ければそれでいい」という本来の性格かも知れない。 



タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング
  


Posted by バットニャオ at 02:08Comments(6)タイのことわざ

2011年04月13日

カン・ディー・クワー・ケー(กันดีกว่าแก้)

 遠く離れた日本の震災の影響が、この私にも現れて、この一ヶ月というもの、何かにつけて気分が落ち込む日が続いています。

 そのため、このブログの更新も滞り気味になりましたが、メッセージ等で応援してくださる皆さんの好意に少しでも報いるように・・と気を取り直して、久々の更新です。




                8年続いた店内の様子


 さて、1月の終わりに開腹する大手術をした主人が、この2ヶ月ですっかり良くなって、退院時の弱々しい姿もどこへやら・・と思い始めた頃から、いつもの元気な主人に戻った証拠に、家を空けることが多くなりました。

 私は文句を言う人がいないので、気楽でいいのですが、その分、普段なら私の負担になるはずの店の力仕事は、学校が休みのため、もう高校2年生になる長男の仕事になります。

 もう体格は、とっくに親を追い越している長男なのですが、最近はやはり大人びた発言も多く、母の私が教えられることもしばしば・・・。


 つい最近も、我が家の稼業の一部である、「ハイドリックホースの製作」というのをしているときのことでした。
長男はもう、客が持ってきたボロボロの見本(使用済み)から、先端の接続部を探し、長さを計り、新しいホースを切断し・・・という大体の作業は出来るのですが、最後の圧絞作業は、自信がないため私に任せています。

 その作業中に、私が横着をして、一方の先端圧絞部を合わせた目盛りで、もう一方の先端も、合わせなおさずに圧絞してしまおうとしたら、

 「お母さん、ダメだよ。『カン・ディー・クワー・ケー(กันดีกว่าแก้)』(=修正するより予防するほうがいい=「転ばぬ先の杖」?)だよ。」

と、叱られて?しまいました。

 これは、もし、圧絞の強度に失敗すると、弱すぎれば、機械に接続してハイドリック・オイルを注いで使用した時点で、すぽっと抜けてしまって、中のオイルが一気に噴出してしまい、使用出来ない上、オイルの損失になる・・ということになり、逆に圧絞が強すぎると、ホースの内部が破損して、使用した時点で、漏れが出る・・・という、かなり微妙なものなのです。

 それを専門家どころか、機械を見たこともない私たちがこの8年で「チャン(職人)」と呼ばれ、専門家面をしているのですから、さすがはタイの「職人」、いい加減なものです。

 それでも、これで家計を立てている我が家なので、長男がいい加減な母を叱るのももっともなこと。

 この「カン・ディー・クワー・ケー(กันดีกว่าแก้)」は、日頃、家の増築だとか、店の改装だとか、いろいろな作業を自分でやってしまう主人が子供たちを手伝わせるときに、よく口にするので、主人からの受け売りであることは間違いありません。

 でも、私が知っている限り、この「カン・ディー・クワー・ケー(กันดีกว่าแก้)」どころか、「ケー・ディー・クワー・カン(予防するより修正するほうがいい)」とでもいうように、先のことは考えず、「今、楽できればそれが一番」・・という人が多いように感じます。

 と言っている私も、だんだんタイ流になってきて、「いいよ、後で考えれば・・・。」ということが増えているようで、長男を見習って、少し自分に厳しくしなければ・・・と思う今日この頃です。



タイ田舎生活の日常を描いた、姉妹ブログイサーンに埋没中も併せてお楽しみください

より深い日常タイ語への理解のために・・・ランキングに参加しています。
タイ・ブログランキング  


Posted by バットニャオ at 03:40Comments(6)タイのことわざ