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Posted by namjai at

2011年03月25日

次男の卒業式

 ご無沙汰しておりました・・・。

 遠く離れた日本の震災のことを思うと、気が滅入り、ともすると無気力に陥る日々が続き、なかなかブログの更新も出来ずにいました。


 さて、そうしている間に、今年小学校を卒業した次男の卒業式、そして中学受験・・と実生活での行事も次々と過ぎて行き、記事の更新が追いつかなくなってしまいました。

 そこで今回は、去る18日に行われた私にとっては三人目の小学校の卒業式である、次男の卒業式の様子を書きたいと思います。


 当日は、毎年恒例の卒業に当たってのタムブン・タックバーツ(托鉢をして徳を積む=僧侶に食事を寄進する)をするために、炊き立てのご飯をおひつに入れて、朝7時過ぎに学校に行きましたが、普段なら6時半過ぎには始まる托鉢がなかなか始まりません。

 仕方ないので、校長先生のお話などを聞きながら、保護者のために展示してある子供たちの学習の成果や、体験学習らしい、手作り工芸品の作品などを見て時間を潰しました。




 ひと通りタムブンが終えると、招待された近所のお寺の僧侶が舞台の舞台の上に設置された上座で食事をし、その間、食事をする僧侶の目の前の舞台の下では、前座の幼稚園児たちの舞踊となぜか園児たちのフラフープ大会が始まりました。
 みんな涼しげな顔で、砂や水を仕込んだかなりの重量のフラフープを腰だけでなく、首や二の腕に移動させて、まるでサーカスのような演技を披露していました。





 さて、それも終わったところで、いよいよ本日のメインイベント、『6年生の卒業式』の始まりです。

 気が付くといつの間にか、僧侶たちは食事を終え、舞台から降りていました。
そこに代わって、校長先生をはじめとする先生方が並び、『卒業の儀式』とでも言うべきサーイ・シン(お守りのような意味合いの「神聖な糸」)を結ぶ儀式の始まりです。

 まずは、校長先生から順番に並んだ先生方の一人ひとりに順番に座り込んで合掌し、それぞれにお祝いの言葉や、これからの人生への激励などを頂きながら、手首に用意されたサーイ・シンを結んでもらいます。
 幸い、うちの子供が通う学校は小規模なので、30分と掛からず終わりますが、これがマンモス校などだと、何時間も掛かるようです。
 そして、先生に続いて、近所のお年寄りや、卒業生の保護者が順番に並び、先生と同じように子供たちの腕にサーイ・シンを結んでいきます。

 




 あらかじめ、学校で用意されたサーイ・シンが配られ、それを5本くらいずつ撚って卒業生の人数分だけ用意します。
その場で束から抜いたのでは、絡まってしまう恐れがあるからです。




 










 いよいよ、次男の番が近づいてきました。
私は、もう3回目なのですが、やはり少しは緊張します。






 こうして、卒業の儀式を終えた子供たちの手首は、リストバンド状になったサーイ・シンが・・・・。

 この時期にこういう風にたくさんのサーイ・シンを手首につけた子供は、まず卒業生と言って間違いないでしょう。

 これも、時期が過ぎれば切ってしまう子もいますし、いつまでもつけている子もいますが、たいていは、4月のソンクラーンの時期には、水浸しで気持ちが悪いので、取ってしまうのが普通なようです。

 
 長かったようで短い、短いようで長かった次男の小学生生活も終わりを迎えました。
次に控えるのは、この二日後の中学受験です。

 まだまだ先は長い・・・。
さまざまな可能性を秘める未来が待っている次男を、ついつい羨ましく思う今日この頃です。




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Posted by バットニャオ at 02:34Comments(7)タイの学校

2011年03月10日

次男の『チョンブリー校外学習』

 先月の下旬から、長男・長女の通う、中学・高校がそれぞれ学期末テストを終えて、3月、4月、5月の猛暑期間に向けた長期休みに入った。

 普通、一部のカトリック系の学校を除けば、タイの一般的な教育機関は、この4月を中心とした2~3ヶ月に及ぶ長期休みと、10月を中心とした3週間から一ヶ月程度の短期休みが連続した休みになる。


 ところが我が家の子供は4人いるので、幼稚園と小学校に通う次男・三男の小学校はまだ長期休暇に入っていないばかりか、いったいいつから休暇に入るのかさえ、知らされていない状況である。
 実は、先週も子供の送迎時に、三男・ミックの通う幼稚園のクラス担任の先生に、

 「幼稚園はいつから、休みに入るんですか? 小学校よりも早いですよね?」
と聞いたのだが、返ってきた答えは、

 「う~ん、そうねぇ。多分来週の7日か8日頃だと思うんだけど・・。」

 そして、昨日も、今日も、ミックは学校へ行った。今日はもう9日である。

 なぜ、学校の担任がそういう予定を把握できていないのか?
さすがは、「なるようにしかならない」タイランドである。
今更、これくらいのことに気を揉んでもストレスが溜まるだけなので、もう、今の私は、

 「まあ、いいか・・。そのうち休みに入るだろうし・・。朝送って行って、誰も来なくなったら、休みに入ったということだし・・・。」

 と、これくらいのんびり構えていないと、タイ人との生活は成り立たない。


 ところが、昨日、今年卒業する次男が持ってきたお知らせのプリントにはちょっと唖然とした。

 昨日8日の夕方に持ち帰ったプリントの内容は、『チョンブリー県校外学習のお知らせ』だった。

内容は、「バーン・ノーン・ムアン小学校では、小学3年生から6年生を対象に、チョンブリー県での校外学習旅行を計画しました。行き先はルワンポー・ソートーン寺、カオ・キヤオ動物公園、水族館、バーンセーン海岸。日程は来る3月11日(・・ってもう今日は8日の夕方なんだけど)、参加予定人数は児童96人、教師12人。児童は学校集合後、バス出発時間は3月10日木曜日の24時(・・・ってさらっと書くけど、夜中の12時じゃない・・)、学校到着予定時間は3月11日金曜日の24時(・・・って帰りも真夜中のお迎えか?大体、予定時間に着くわけないのに・・)です。以上の予定で、保護者が児童の参加を承認するか否かを書面にて回答ください。」

 というものだった。

 もうすでに、参加予定に入っているのに、今更許可もなにもないだろう・・と思うのだが、一応次男に聞いてみると参加したいそうなので、「許可」に印を付ける。
本当のところ、この手のバス旅行は、大事な乗客の命を預かっているにもかかわらず、無理な運転をするバスが多いので、送り出してから帰って来るまでが気が気ではない。
 そういう理由を書いて、許可したくなかったのだが、次男の小学校最後のクラス旅行なので、参加を許可した。

 それにしても、何が驚いたかというのは、この無理な日程、集合時間のことではない。
この程度はタイ人にとってはごく当たり前の時間帯だからである。

 それよりも、もう残り数日で卒業、中学受験を控えているこの時期に、何で、こんな思いついたような校外学習が浮上したのか・・である。
 
 校長先生か誰かが、テレビのドキュメンタリーか何か見て、急にチョンブリーのお寺や水族館に行きたくなったのか?
以前の、幼稚園の遠足ではないが、相変わらず、計画性のない、行き当たりばったりの学習計画である。
この前の幼稚園の遠足では、行き先が飛び入りで追加追加され・・・結局、夕方明るいうちに学校到着予定のコラートへの日帰り遠足が、夜8時過ぎの到着になってしまった。
 
 今回の次男の日帰り旅行も、学校到着時間の夜中の12時はまず無理だろう。
車で10キロほどの距離なので、一応、その時間には行ってみるつもりだが、午前様は確実、もしかしたら明け方の到着になるかも知れないことを覚悟の上でのお迎えになるだろう。

 それでも、無事帰ってくれば、それでいいのだ。
何故なら、ここはタイなのだから・・・。



  もうすぐお別れの同級生たちと


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Posted by バットニャオ at 02:53Comments(5)タイの学校

2011年02月24日

学校の宿題 ~その2~

 前回でアップした高校2年生の長男の英語の宿題である「お絵かき」だが、その後また新たな課題が出されたらしい・・・。

 それは、今月の中旬に過ぎたバレンタインデーの前日のことだった。
いつものことであるが、学校から帰宅した長男が、背中を丸めるようにして一所懸命何か書き込んでいた・・・。
それを背後から覗き込んで見ると・・・。





      「バレンタインデーは英語圏の文化」ということで、英語の先生が出した課題。





          中身のメッセージが英語なので、英語の課題らしい・・・。




              長男の小技・・・飛び出す立体カード。


 その課題とは、バレンタインデーに因んで、英語のグリーティングカード製作。
その英語の先生宛てに、書いたカードがこれ・・。
日本生まれで、小学校入学まで日本育ちの長男は、私の血を引いたのかちょっと(いや、かなり?)オタク気味

 よく読む雑誌はタイ版アニメ雑誌・・・。
日本のアニメをネットで観るのが趣味で、フィギィアなども通販で買ったりしている・・・。
そういう長男らしいキャラクターのイラストだが、こういうのでも先生が評価するのか?


 こんな宿題、日本なら小学校でも出ないだろうな・・・と、宿題のお国柄について疑問を持つ。


 まあ、この手のカード製作の宿題は、小学校時代から、母の日、先生の日、お正月、誰かの誕生日・・・など何かにつけたイベントのたびに、書いているので、高校2年になってまで、今更のようにこんな課題はどうかと思うのだが、このメッセが英語というところにポイントがあるのだろう。



 いずれにせよ、もう3月・・・。
5月からは高校3年生になるわけで、それこそ正真正銘の受験生なのだから、お絵かき課題はいい加減に止めて、受験勉強らしきものに取り掛からなくてはいけないのでは・・・?と不安を募らせる母である。



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Posted by バットニャオ at 02:01Comments(6)タイの学校

2011年02月11日

学校の宿題

 タイの幼稚園に入園したミックは、この一年間でもう10セット近くの色鉛筆を買いなおしている。
幼稚園児なので、自分で失くしてしまうとか、友達が盗ってしまうとか、色鉛筆自体の質が悪く、すぐに折れてしまう・・などという理由は色々あるが、一番の理由は、「タイの学校には色鉛筆が必需品」だということが挙げられる。


 数年前に、日本から遊びに来た友達のお土産として、「大人のぬりえ」(決して『アダルトな塗り絵』という物ではない・・)と題した、A4判の薄いノートのような塗り絵をもらった。
 その裏表紙には「塗り絵は脳の活性化に効果がある・・・云々」という注意書きが書いてあった。

 日本でこういうことが言われているからというのが原因というわけではないだろうが、タイの学校の毎日の宿題に必ずといっていいほどあるのが、この「ぬりえ」である。

 まだ幼稚園の宿題で、「文字を書いて、それに該当する絵を塗りなさい」とか、「数字を書いて、その数だけ色を塗りなさい」とか言うのならまだわかるのだが、これが、小学校に入って5年生、6年生になっても、何かをしたあとに、「・・・にきれいに色を塗りなさい。」と続くのである。
だから、我が家は4人の子供たちがそれぞれ色鉛筆を持ち歩いて登校する。

 最初は小学校に入っても、「・・・にきれいに色を塗りなさい。」と続く宿題にあきれていたものだったが、それが長男が中学生になっても、その「ぬりえ宿題」は、相変わらず課されていた。

 何で、いい年をした中学生が家でぬりえをしなければならないのかと、疑問に思って数年・・・。

最近、高校2年になった長男が毎晩夜中の2時くらいまでかかってやっていた宿題を見て、もう言うことは何もない・・と思った。
















 これらは、なんと英語の宿題だそうである。
英語で書かれた文章を読んで、そのストーリーを絵で表現する・・・。

 英語の文章問題の理解力が試されるのか、芸術的能力が試されるのか・・・。
これを描いている時間を他の勉強に回した方が良いのでは・・・と思うのは私が日本人だからか?

 別に将来漫画家やアニメーターを目指している子供のための養成所ならこんな宿題も納得できるが、進学校の普通科の高校生がこういうものを描いている場合か・・・?

 もう、ここまで来ると、「タイ人は塗り絵とお絵かきが好き」なのだ・・と開き直るしかない。

 しかし、その割りに、芸術家はともかくとして、一般の子供たちの絵に関する描写力は、首を傾げたくなるような程度である。
日本の幼稚園児が描くような「お人形さんの絵」を、中学生になった長女が描いている。
 描き上げた絵を誇らしそうに見せに来る長女に、なんと褒めたらいいのか困ってしまう・・・。
とても、「私が幼稚園のころよく描いた絵に似ている・・」とは言えない。
とりあえず、顔を引きつらせながらも、「上手に描けたね。」と答えると、
「そうでしょ?友達も上手いって褒めてくれるんだ。」
・・・タイの子供の描写力にますます疑問を持ってしまう・・・。

 私はその昔、漫画アニメオタクだった過去があり、この長女が描く「お人形さん」や「お姫様」のデッサン力に関しては、やはり遺伝より環境の影響が強いな・・と感じてしまう。 

 幸い、小学2年の春まで日本に居た経歴がある長男は、割と絵を描くのが上手になったが、やはりそれはその年まで過ごした周囲の環境が大きいのだろう。

 この何時間かかったかわからない宿題を学校の英語の先生はどう評価するのか?
結果は、今月の末に出るだろう・・・・。


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Posted by バットニャオ at 02:12Comments(7)タイの学校

2011年01月25日

タイの保護者感覚

 私が参加している某SNSで友達が書いた記事に、放課後に起きたある事件についての記事があり、本来ならそこにコメントを書くのが正しいのだろうが、あいにくとある事情で、そこにコメントを残せないのと、この件について書き出すと長くなりそうなので、このブログに書くことにした。


 その事件とは、「その友達が子供を通わせている学校の放課後の砂場で起きた、小学生の男女の喧嘩」ということなのだが、その喧嘩がエスカレートして、周囲の大人が止めに入ろうとしたところに、脛を蹴られた女の子のお母さんがものすごい剣幕で割り込んで行き、その蹴っていた方の男の子を罵った・・・という内容であった。

 そして、友達は自身の日本の姪に起きた、「砂場でけがをさせられて、その加害者の親が申し訳なくなるくらいに謝った・・」という日本のエピソードと比較していたのが興味深かった・・・。


 そう、そういう子供同士の些細な喧嘩(いじめなら話は別だが・・)には、大人は手出し、口出ししないのが日本のルールだろう。
日本はそういう社会での建前というか「世間様に・・・」的な、まず社会との協調性などを第一に行動する傾向がある。
「事を荒立てないで、穏便に・・・」が、日本で快適に暮らすルールである。 
 
 ところが、タイではそうは行かない。
大事なのはあくまで自分の快適さ、世間様どころか、社会中を敵に回しても、自分の気持ちが第一だ・・というところがある。


 私も、感覚が日本人だった頃は、いろいろなことに遠慮して言いたいことも言わなかったのだが、タイに数年いるうちに、どうやらこういうところもタイ化してしまった気がする。

 
 もし、私がその女の子の親だったら・・・、やはり「ママゴン」になって、ドカドカと割り込んで行って、その相手の男の子に同じように言っただろう。

「あんた、うちの娘に何するの!何で蹴る必要があるの! 口があるでしょ!それとも喋れないの!・・・」 

と思いつく限りの言葉で責めまくるような気がする・・。

 
 基本的にタイでは小学生くらいまでは、「大人が絶対」的なところがある。 

 他人の親であれ、近所のおじさんであれ、大人に叱られるのは効くものである。
それは、タイの子育てが近所の大人ぐるみで行われているからで、自分の子供でなくても、「あーしなさい、あれしちゃダメ!」とか、いろいろと口を出すのが普通であり、子供たちも従うのが普通である。
 逆にこういう周囲の大人の言うことを聞かないと、「どこどこの〇〇は悪い子供だ。」と社会からつまはじきにされてしまう。

 例えば、中高校生くらいになっても、こういう大人の干渉がまかり通るのがタイの保護者感覚である。
友達の親も自分の親同様、尊敬し、大切にしなければいけない存在なのである。
実際、中高生の長男や長女のクラスメートなども、どこかで会えば、丁寧にワイ(合掌の挨拶)をし、

「メー・カップ、サワッディーカップ・・・」(お母さん、こんにちは・・)などとこれまた丁寧な挨拶をしてくれる。

タイ人の子供にとって、友達の親は見ず知らずの他人ではないのである。

 

 だから、私も学校などで子供たちが危ないことをして遊んでいれば、

「ほらほら!何やってるの!そんなことしたら危ないでしょ!」とかいうように、しゃしゃり出るのが普通になった。
 
 だから、この女の子が自分の子どもでなくても、男の子を「女の子を蹴ってどうするんだ!」とかなりの気迫で制していると思う。
 また逆に、もし、我が家の息子たちが誰かを蹴ったり叩いたりしていたら、もっと素早い行動で割り込み、息子を怒鳴っていると思う。


「タム・ヒヤ・アライ・コーン・ムン!!」(そんなことしてどーするんだよ!)=(お前、何最低なことやってるんだ?) 
と、主人の怒ったときの口癖の受け売りで、こう怒鳴っていることだろう。 
やはり、一緒にいると口の悪さまで伝染ってしまうようだ・・。。


 それはさておき、国歌に歌われているように、「タイは平和を愛するが、いざとなれば勇猛果敢に戦う・・・」という節の「平和を愛する」には、いつも「そうか・・?」と疑問に感じるが、その後の「いざとなれば勇猛果敢に・・」というところは、「いざと」じゃなくて、「『いつも』・・・・じゃない?」と常々感じている。


 結論として、「子供の喧嘩に口を出せ!」というのがタイの保護者の在り方である。

基本的に、近所の夫婦喧嘩でも、他人の交通事故でも、何でも口を突っ込みたくなるのがタイ人の性格らしい・・・。








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Posted by バットニャオ at 02:47Comments(4)タイでの子育て

2011年01月17日

今日はタラート・ナット(定期市)

 タイにしては例年になく寒さが厳しい今日この頃・・・。

 我が家の裏の畑に面したベランダを改造した子供部屋も、タイでよくある木の家のように隙間だらけなので、隙間風が身に沁みます。


 まだ夫婦&ミックの寝室が建設中なので(完成は未定・・)、我が家は男女二つの子供部屋に分かれて寝ているのですが、男部屋の次男、長男はこの寒いのに半袖Tシャツ一枚で寝ているし、主人もときどき上半身裸・・ということも。

しかも朝起こしに行くと、この寒いのに窓が開いている・・・などという事態が・・・。

 「あんたたち、バカじゃないの!この寒いのに、窓閉めて寝てよ!!!」

と、キレること数回。

 何度言っても覚えないので、今日は、ここ数ヶ月ご無沙汰していた、月に一度のタラート・ナット(大型移動定期市)に朝の8時前から出掛け、冬物をゲットすることに・・・。


 入り口付近の果物や生活用品の安売りテントなどには脇目も振らず、目指すは主に韓国、中国、日本といった海外からの古着を専門に売る古着屋のテント。
臨時に設置したブティック用のハンガー掛けがズラーっと並ぶ大型テントの中を一枚一枚チェックしながら歩き回ります。

 今回のお目当ては、長袖の寝巻き兼用の普段着。
夜の寒さを少しでもしのげれば・・という母心・・・と言うか、風邪を引いてからでは、家中が大変なことになる・・と言うのが本音。

 幸い、この季節なので、日射しが弱く、一時間くらい買い物をしていても、全然くらくらすることもなく、快適な買い物が楽しめました。
これが、4月の猛暑時期だと、5分もいないうちに、暑さで頭がくらくらするので、近くでジュースなどを買って、水分を補給しつつも30分もいないうちに、「帰ろうか・・」と退散するのが、普通。


 商品は韓国製が50%くらい、次が中国製、たまに日本のが混じっていることも。
とは言え、「日本製」ではなく、「中国製」の日本の古着だったりしますが・・・。

 末っ子のミック用にと、「〇〇レンジャー」とか「仮面ライダー〇〇」とかのヒーローものを探したのですが、今回はあいにく出会えず、アンパンマンの長袖トレーナーを2枚と、ポケモンのを1枚ゲット。

 身体がXLサイズの長男は、よく店で売っているタイの男性用製品だと、小さめのものが多いので、こういうところの方がサイズが探しやすいというのも魅力。
 それに、タイの「コットン100%」は、100%でないものが多いので、こういう日本などの古着の方が、生地の肌触りが好きなのだとか・・。

 さてさて、肝心の本日の成果は・・・・。

 目的だった、長男、次男、主人、ミックの長袖シャツとついでに見つけた長女と私の分・・つまり6人分合わせて、一枚50バーツで、13枚、金額にして600バーツ。
本当は650バーツだけど、お兄さんがいっぱい買ったので、勝手にまけてくれたのです。
(私は、自分が商売をしていて、しつこい値引き交渉にうんざりなので、自分からは絶対、値引き交渉はしないことにしています。)

 その後、帰ろうとした途中で、半袖ポロシャツが目に入り、せっかくこんな朝早くから来たのだから、ここはもう少し主人のを買って、「子供にばっかり・・」と拗ねさせないようにしなくては・・という作戦で、主人用にポロシャツを見たら、割と良い物が多くて、「あ、長男にも・・」と、次々気に入ったものが見つかり、これまた12枚も買いこんでしまいました。
 幸い、今は半袖は時期はずれなのか、質の良い物が多かったのに、一枚35バーツの半袖Tシャツと同じ値段で売っていました。
 タイでは、普通、こういう35バーツの商品は「3個で100バーツ」というのがお決まりなので、3枚ずつになるように数えて買いました。12枚買ったので、しめて400バーツ。

 これで、ちょうど1000バーツのお買い物になったので、満足して「さあ、もう帰ろう」と歩いて出口の方に戻って行くと、うちの店の馴染み客が向こうから団体で歩いてきて、私の両手にいっぱいの買い物袋に目を丸くして、何か言いたそうに見ていましたが、私は荷物も重くて肘が痛くなってきたのと、説明が面倒なので、そそくさと早足でその場を離れました。


 家に帰って、いつも買い物が遅いと文句を言い、「お前、『マオ・タラート』(マオ=買い占める・タラート=市場・の意味)して来たのか?」 と、嫌味を言う主人の先手を取って、

「ほら、見てみて! 今日は、本当に 『マオ・タラート』して来ちゃった!」

と、わざとらしく威張って見せました。


 今日は自分でもそう思えるくらい、どっさりと買い込んだ冬物ですが、主人が負けずと、
「こんなに冬物を買い込んだら、明日から暑くなったりして・・・。」と言い返していました。

 しかも、子供たちも 
「お母さん、店でも開くの?」と冷たい反応・・・。
家族にも呆れられているようです。
 まったく以って、母の心、子知らず・・・です。

 日本の冬も、今年は異常に寒いと聞いていますが、タイのこの寒気も尋常ではありません。
それでも、日本の気候には及ぶわけもないのですが、タイは防寒設備がほとんどないのと同然なので、毎年、北部やイサーンの山岳部では凍死する人がいるわけです。
 
 かく言う私も、この寒さに毎日、「ナーウ・ターイ(寒くて死んじゃう~)」と叫んで、「日本人のくせに、この程度で寒いのか? 日本はもっと寒いのに・・・」と、これまた家族に呆れられています。


 ☆ この『マオ』は、買い占める、とか占領するなどの意味があり、店の「貸切」の意味などにも使われます。☆ 



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Posted by バットニャオ at 03:48Comments(6)普段着のタイ語

2011年01月13日

タイの子供の夢

 つい先日、ナムジャイブログスタッフのブログに、『タイの子供、家族思いで「医師」希望』というニュースの調査記事を題材にした記事が載っていた。


 私はこのタイトルを見ただけで、「そりゃそうだよな・・・」という感を抱いた。

 バンコクの子供はそうでもないかも知れないが、ここイサーンなどの田舎の子供は、誰かに「将来の夢は?」などと聞かれても、答える選択肢になるほどの将来の職業に関する情報がないのである。

 周りの大人を見れば、そのほとんどが農作業者。
それ以外では、学校の先生、警察官、町役場職員などがあるが、そのほとんどは普段は接することのない大人たちである。
 せいぜい学校の先生くらいが、参考に出来る職業と言っていいところだろう・・・。

 そして、その身の回りにいる大人たちが、口を揃えて言うのは、

 「しっかり勉強しておきなさい。そうしないと、水牛飼い(学歴の要らない職業)になるしかないんだよ。しっかり勉強しておけば、将来は、医者か、警察の上官になって、金持ちになって楽が出来るよ。」

 ということである。

 これを、物心ついた頃からまるで呪文のように聞かされ続けているのだから、こういう「将来の夢は?」などという質問をされて、「冒険家になって世界中を旅する」だとか、「漫画家になりたい」だとか、「タレントになりたい」だとか、本当に『夢らしい夢』を語る子供がいるはずがない。


 そして、こういう質問をされるのは決まってまだ将来なんて想像もつかないような、小学生といった年齢の子供たち。
確かに、まだ可能性を秘めている・・というか、自分の可能性は未知数な子供たちである。

 しかし、これが中学生・高校生になってくると話は別だ。

 もう、中学生になった時点で、進学校かそうでないか決まってくるので、大抵の子供たちは、もう現実が見えてくる。

 自分に周囲の大人が言って聞かせた、「医者」や「警察の上官」などという職業に就ける可能性がないのは、明らかになっているので、そういう非現実な夢は口に出さなくなってくる・・・。
一部の子供を除いては、結局、自分も親のように畑に出て農作業をするのが現実だと悟ってくるのである・・・。


 一方の『家族思い』に関しては、これもまたすんなりとは納得できないものがある。

 確かに、日本や欧米の親子関係と比べると、何歳になっても親と一緒に外出したり、大人になれば、何かにつけて家族のことを心配したり、ちょくちょく帰省したりするのは事実である。

 こういう面を『家族思い』というのかも知れないが、これもまた、小さい頃からの社会ぐるみでの子供へのしつけの賜物のような気がしてならない。

 私の見た『タイ人の家族思い』とは、自主的なものではなく強制された『家族思い』が身についた結果だと思うからである。


 身近な例では、我が家の主人も『家族思い』を強制する大人の一人である。


 毎日毎日、事あるごとに、

「お前たちは、本当に親に対して思い遣りがない。親が忙しく仕事しているのに、手伝おうという気持ちが全くない・・。」

という愚痴をこぼしている。

 確かに、私や主人が忙しく接客をしているときに手伝ってくれたら嬉しいかも知れないが、子供たちには子供たちの都合がある・・と私は思う。

 普段はのんびりやっているくせに、急に忙しくなると勝手にパニックになり、急に子供たちが手伝わないだのと喚き立てる。
店をやっているのは私たちで、子供たちではないのだから、子供たちには宿題とか、食事だとかアイロン掛けだとか、いろいろな都合があるので、そうそう主人の思うとおりに動くはずがないのである・・・。


 私は、「思い遣り」とは強制されて「思い遣るもの」ではないと思うので、子供が気付くまでは私から言いたくないのだが、そうすると今度は、主人が、

「お前が何も言わないから、子供たちが思い遣りがなくて何も手伝わないんだ!」とキレてくれる・・。

 この辺の考え方の違いが国民性の価値観の違いと関係するとは一概には言えないが、やはりタイ人の 『家族思い』教育で育った主人と、個人の尊重という観念のもとで育った私の考え方の違いなのである。


 主人の基準からすれば、まだまだ及ばないのかも知れないが、それでもタイの『家族思い』教育で育てられた我が家の子供たちは、日本で育った私などに比べたら、爪の垢でも煎じて飲まなければ・・・と思うくらい、家族や親戚に対して、特別な思いを持っていると思う。


 タイ人の『家族思い』は、それが『習慣』になっているのだと言える。
これも、呪文のように、周囲の大人が口を揃えて、

「家族を大事にしなさい。親を大事にしなさい。親の恩を忘れてはいけません。兄弟を大事にしなさい。親に暴言を吐くのはとても思い罪業になり、地獄へ落ちることになります。」

というようなことを幼少の頃から叩き込んでくれるので、自然と脳裏に刻み込まれるのだろう。

 これがいいのか悪いのか・・・。
何事でもそうだが、このタイ人の習慣に関しても、一概に良いとも悪いとも言えない、一長一短である・・と言えるのかも知れない。





             家族思い、年長者の尊重などを叩き込まれた子供たち





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Posted by バットニャオ at 03:28Comments(7)タイでの子育て

2010年12月28日

長男とクリスマス

 実は、クリスマスに更新するはずだった記事なのですが・・・。
我が家のノートブックくんの具合が悪く、今夜になってしまいました。

 もう、25日に日付が変わった頃から、日本ではクリスマスムードが一変して、年末年始ムードに変わるのでしょうが、ここタイの田舎では、クリスマス&年末年始が全て一緒くたになっているので、まだまだショッピングセンターなどでは実物大サンタクロースの人形が踊っている・・という有様です。

 我が家のクリスマス&年末年始の飾り付けも実は数年前から貼りっ放し・・・。
糊が剥げて勝手に落ちてくるまでそのまま放置されています。
一年中、年末年始のご挨拶というわけです。


 さて、話は変わって・・・・。

 事実上、タイに戻って以来、妙にタイ人を誇張する我が家の主人の方針で、我が家には基本的にクリスマスはないのですが、このクリスマスシーズンになると、いつも思い出すエピソードがあります。

 我が家の上の3人の子供たちは日本で生まれ、保育園時代を日本人として過ごしました。
日本の保育園では毎年クリスマスになると、「体操のお兄さんの『サンタクロース』」が現われて、子供たちを喜ばせていたのですが、当時まだ5歳だった我が家の長男も、そのサンタクロースを楽しみにしている一人でした。

 しかもまだ5歳だった長男は、それを本物のサンタクロースだと信じていたのです。
そして、当時タイの義母に仕送りをするために、かなりの節約生活を送っていた我が家ですが、毎年、誕生日とクリスマスには、子供たちの欲しいものを買って上げていました。

 よく、スーパーなどに行くと、子供たちがおもちゃを欲しがったのですが、
「じゃあ、誕生日に買ってあげるね。」とか、

「クリスマスにサンタさんにお願いしよう!」と言って、年に1,2度のプレゼントで我慢できたのですから、小さい頃からわがままばかり言っていた私の子供とは思えない聞き分けのよさでした。


 でも、誕生日は親が店に連れて行って買ってあげるのですが、クリスマスには「サンタさんに手紙を書いておくね。」とあらかじめ子供の希望を聞いておいて、クリスマスの朝に枕元に置いておく・・・という習慣でした。


 それを5歳まで体験していた長男は、タイに来て最初のクリスマス、「今年もサンタさんに手紙を書こう!」と覚え始めた平仮名で書き始めたのですが、このままいつまで信じるのかな?と思った私は、思わず、

「タイは暑いからサンタさんは来ないんだよ。タイにはクリスマスはないの。」
と、残酷な宣言をしてしまいました。(ウソにウソを塗り重ねる犯罪者のような母です・・・。)
「ええ~~~!!」と長男。
その後、数日はかなりショックな様子でした。

 ところが、その年のクリスマス。
日本でお世話になったベルガーデン保育園の先生方が、日本からわざわざ子供たちにプレゼントを贈ってくださったのです。
子供たちは大喜びで、中でもサンタの来ない、クリスマスのないタイの生活にがっかりしていた長男は、それはそれは喜んでいました。

 でも、タイにプレゼントが届いたのを不思議がる長男に、私が言ったのは、
「これはね、日本の保育園に来るサンタさんが、あなたたちがいいこだから、プレゼントを持って来てくれたんだって。それを保育園の先生が郵便屋さんに持って行って、タイまで送ってくれたんだよ。」

 そしてそれを最後に、長男のところにサンタクロースは来なくなったのですが、長男は「タイは遠いし暑い国だから、サンタクロースが来られない。」という事実?に納得したようで、それ以上の追及はありませんでした。
 でも、それ以後もことあるごとに、
「このポケモンの本は、クリスマスにサンタさんにお願いして貰ったものだ。」とか思い出したように言うことがありました。

 そして時が流れて、今年のクリスマスが近づいたある日、テレビでバンコクのクリスマス準備風景が映し出されて、見ていた長男がふと・・・、

「ねえ、日本にいた頃は、うちにも本当にサンタクロースが来たよね。オレ、レゴとかポケモンの本とかもらったもん。あれ、本当のサンタクロースだったよね?」

「!?・・・・」 私は、一瞬言葉に詰まりました。

 まさか、今年高校2年になった長男が、未だに日本のクリスマスのサンタを信じ続けていたとは・・・・。
確かに、私の言い訳には納得したようだったし、それ以後夢を壊すような出来事もなかったのだが、この年齢になってサンタクロースを純粋に信じているなんて、日本にいたら有りえないことだったと思います。
 よく、西洋の童話的なアニメに出てくるサンタクロース像が、長男の想像力をさらに広げたのでしょう。

 長男の中では、トナカイの橇に乗って夜空を舞うサンタクロースがまだ生きているのでした。
ここまで、長男の純粋さが残っていたのも、日本で生活するように情報に溢れていない、タイの田舎生活のいいところかも知れません。




            身体は大きいが、まだまだ気持ちは純粋な長男 
               (右から2番目)




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Posted by バットニャオ at 04:56Comments(8)タイでの子育て

2010年12月19日

親孝行な子供の育て方

 先日のこと。

 朝から店の仕事に忙しく、食事を作る暇もないどころか、座る暇もないような一日だったので、その日の夕食は「外食にしよう!」ということになった。

 外食と言っても、家で作らずに本当に家の外で済まそうというだけなので、何度か行ったことがある市場付近のバミー(タイ風ラーメン)屋に行くことにした。

 ところが、あいにくその日は、前日まで行われていた「ガーン・ジャオ・ポー」の祭りのあとで、一週間に渡るお祭り騒ぎに疲れ果てたのか、市場の周辺は閑散としていて、お目当ての店がしまっていた。

 仕方なく、親子6人を乗せた2台のバイクは、あまり気が進まないが、背に腹は代えられず・・ということで、次の店へ・・・。
ところが、何とここも閉まっている!

 このままでは、親子6人の夕食が・・・。
閑散とした市場を見ながら呆然とする私たち・・・。
これから、ご飯を炊いて、冷蔵庫の残り物を漁っての夕食か・・・、でも子供はもうお腹を空かせているし・・。

 と、途方に暮れながらもうひと回りぐるっと回ったところで、前に一度だけ行ったことがあるバミー屋さんが開いているのが見つかった。


 そこは、私たちより年上らしい夫婦と、娘らしい女の子が手伝っている店だった。
私たちは、早速それぞれの注文をし、しばらくすると頼んだ品が運ばれてきた。

 その日は、他の店がみんな休みと言うこともあってか、いつもより混んでいるらしかった。

 手際よくバミーを茹でるのは父親、運んだりするのは母親と娘。
その娘は小学校4年生くらいの感じだったが、いつも手伝っているらしい様子がその手際に見て取れた。

 こういうとき、我が家の父親はの口からは必ず、
「ほら、お前たちより小さいのに、よく家の仕事を手伝っているだろう!」とか、
「お前たちも見習え!」などというお小言が出るのだが、その日も例に漏れず、その手の愚痴が出た。

 私は、父親の愚痴は気にも留めず、別のことを考えていた。

 それは、その娘に対する父母の声の掛け方である。

「〇〇、ラーン・チャーン・ハイ・メー・ノイ」(直訳;「お母さんのためにお皿を洗って」)
「〇〇、タム・ニー・ハイ・ポー・ノイ」(直訳;「お父さんのためにこれをして」)
 これがタイ語の特有の言い方・・というわけではないが、日本語では普通使わない表現である。

 そして、タイ人が全てこういう言い方をするわけではないことは、私もよく知っている。
何故なら、我が家の父親は、子供たちに対してこういう言い方をすることが滅多にないからである。
我が家の父親がこういう言い方をするとすれば、酒気でも帯びてよほど機嫌が良いときくらいのものだろう。

 普段の我が家の言い方は、
「〇〇!家の前を掃け!」とか、
「〇〇!あれを持って来い!」など、完全な命令口調なのである。

 まあ、タイの年功序列制や、タイ人の「親は子供より偉い」という勘違い的な思い込みから考えれば、こういう命令口調でも構わないのだろうが、私はその日のバミー屋の親子の会話に「タイ語なら、こういう言い方をすればいいんだ。」と目からウロコだった。

 
 よく、我が家の子供に愚痴る父親は、タイ人の常識の「親は子供を使って当然だ。子供は親に従うべきだ。」という概念の中で育ってきたらしく、普段から私に、
 「どうして、子供を使わないんだ!だから子供が何もやらない、怠け者になる。」と文句を言うが、私的には、この「使う」という言い方が気に入らない。
「子供は道具じゃないんだから、そういう言い方をするな!」と、心の中で叫んでしまう。

 私は、こういう子供に対する気持ちの持ち方が、子供の行動を左右するように思える。

 それが証明されたように思えたのが、このバミー屋の親子の会話だった。

 人間誰でも、自我が芽生えてくると、人に命令されることに反感を持つ。
逆に言えば、それが自我があるからこそ、その後の学校や社会で自己判断をしたり、いずれは自立することになる。
本で読んだのだが、9歳過ぎる頃から、今までの経験から自分の価値観で物事を判断し始める、という。
 
 それが人間の本能なら、「××しろ!」と命令されれば反抗したくなるが、「××してくれる?」と頼まれるように聞かれたら、「うん、いいよ。」と自然に答えられるだろう。

 今、思春期真っ盛りで、反抗期の長女にも、こういう言い方をすればいいのだろうな・・と心の中で思った。

 このバミー屋の娘はこういう言葉掛けの中で育ってきたから、親を手伝うことが出来る親孝行な子供に育ったのだろう。

 日本語でなら、子育ての勉強をしたりしているが、それをタイという日本と違った環境の中で活用するのに、いい表現がなかなか見つからないでいた。

 これからは、私もこの言い方を真似してみようと思った。


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Posted by バットニャオ at 03:23Comments(7)タイでの子育て

2010年12月07日

今週末の我が家の子供たち

 


                稲刈りの終わった田んぼ

 今週の週末、我が家の子供たちは、顔を真っ黒にして農作業に精を出しました。
 
 我が家の長男は高1、長女は中2、次男は小6になりました。

 いつもなら、土日は塾通いの長男も、今週は父親の命令で、塾を休んでの田んぼの整備です。
普段は反抗的な口を利く、思春期真っ盛りの長女も、この父親の命令には絶対です。
毎日美白クリームをネットで検索したり、タマリンドの果肉で洗顔したり・・と年頃の女の子らしく顔の白さには人一倍気を遣っているのですが、その甲斐虚しく、昨日今日と二日の炎天下での農作業で、日焼けして、顔は真っ赤・・直に浅黒くなるでしょう・・。
 次男もゲーム大好きで、一日中でも飽きないのですが、この父親の命令に、今週末はゲームを手にする時間もなく、働き続けました。


 一人残った末っ子のミックも、一人で店の商売に精を出す母の立派な?助手として、ちょこちょこ働きました。

 
 この週末、バンコク辺りなら、国王の誕生日の記念式典やイベントが各地で催され、学校が休みの子供たちもお出かけ・・・などということも多いことでしょう。

 それに引き換え、我が家の子供達は・・・・。
そう考えると、炎天下での農作業をしている子供たちが不憫でなりませんでした。
確かに、もともとタイの田舎の農家の生まれの子供たちにすれば当たり前の事かも知れませんが、我が家は農家でもないし、もし、今頃日本で生活していれば、こういうことはなかっただろうと思ってしまうのでした。



 今から、十年以上前、長男が小学校に上がるときに、国際結婚した家庭ではよくあることですが、子供をどちらで育てるか・・を含めて、家族の進路を決断するときがありました。

 その当時、日本で十年ほど生活してきた主人は、ことあるごとに、

「日本の子供は良くない。イジメも多いし、暴走族とかもある。大体親を大事にしない。それに比べて、タイの子供は良い子だ。だから、子供は絶対タイで育てる!」

という、一応立派な理由がある主人に押されて、我が家はタイの、しかもバンコクではなく、主人の田舎で生活する道を選んだのです。
 私自身も、よくあるボランティア団体の「アジアのかわいそうな子供たち」の写真に出てくる、純粋な瞳をキラキラさせた、タイの子供像をイメージしていたので、日本の大人びた純粋さが抜けた子供に比べて、「そうかも知れない」とうかつにも同意してしまったのです。


 しかし、実際来てみると、主人の言っていた「タイの良い子」像は、主人の子供時代に、いつも棒を手にした先生たちに、バシバシ叩かれて育った世代のことで、今の子供たちは、主人が言う「良い子」像とはだいぶかけ離れていました。
あまり叩かなくなった先生には、昔の権威はなく、子供もだいぶ日本の子供たちのように自由奔放になっています。
 
 確かにあまり陰湿なイジメはないけれど、遊び半分、からかい半分で、命に関わるようなイタズラをする子供も多くいます。
大学生などは、「新入生歓迎」と称して、殺人にも繋がりかねない行為をして喜んでいる人もいます。
 バンコクなどでは、暴走族もいるし、田舎では暴走族と特別に呼ばれないだけで、夜中に外出して集まっている若者は、普通の村の若者なのに、やっていることは暴走族と変わりません。


 このような現代のタイの子供たちの中で、主人の命令によってではあるけれど、こんな田畑仕事を一所懸命手伝う子供たちに、母親ながら感動を覚えました。
 「あ~あ、疲れた~!」と小声で文句を言いながらも、この三日間頑張った子供たちに頭が下がります。

 
 そして、もう一つ・・・。

 普段、思春期で、しかも女の子と言うこともあり、父親が口を利くと事あるごとに反抗的な口を利く長女ですが、今朝、洗濯物を片付けていて主人の衣装ケースの引き出しを開けたところ、その中にある主人のTシャツに挟むようにして、

「ワンポー」(父の日)のお手製のグリーティングカードが入っていたのです。

中には・・・、
「お父さんの健康と長寿を願って・・・。お父さんの病気が早く治りますように、血小板値が沢山増えますように。それから、ずっと長生きしますように。それと、お母さんのこといっぱい愛してね。」
と、書いてありました。

 今、思い出してもつい目頭が熱くなってしまいます。
普段、反抗期の長女なので、尚更、この文面に感動するものがありました。
あんなに口が悪くても、こんなこと思ってるんだな・・・と。

 願わくば、主人がそのカードを読んで、普段の反抗的な長女への見方が変わりますように・・。

 こうして考えてみると、あの時主人が選んだ我が家の道も失敗ではなかったかな?と思います。
タイの子供たちの今も変わらぬ良いところ、それは「親思い」だと思うのですが、それだけはきちんと身についているような気がします。





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Posted by バットニャオ at 03:04Comments(5)タイでの子育て

2010年11月28日

クウ・ムン



             普段は口が上手いが、実は口の悪いミック

 4歳になった末っ子のミックは、最近、口では上の兄姉にも負けてはいない。
テレビや周囲の大人から仕入れた言葉を巧みに操り、外国人の母などはるか昔に追い抜いた大人顔負けの会話をする。

 さて、今日の午後も、いつものように、ミックと歳の離れた上の兄弟たちとの口喧嘩が始まった・・・。


何かを取り合って喧嘩が始まったらしい。
大声で「コーン(グ)クウ!」(オレのだ!)と主張するミック。

 ちょうどそのとき、稲刈りのために、日雇いで雇った村人を連れて来ていた義母が入ってきた。

「あれあれ、『クウ』なんて・・・。ミック口が悪いよ!」と注意した義母。


 「???」
これって、義母が言うセリフか?
いつも、「クウ・ムン」(オレ・オマエ)で会話してるのは義母でしょう。
だから、義母の子供たちも、男も女もすぐに「クウ・ムン」で呼び合う。

 普段は、一応年上の旦那と結婚した主人の上の姉二人だって、普段は「ピー」(あなた)とか呼んでいるのに、一度喧嘩が始まると、年上の旦那に向かって「ムン!ムン!」と、形相も変わる。
兄弟同士では、年下にはもちろん「ムン」。喧嘩になれば年上にも「ムン」。

 その親兄弟の中で育った主人ももちろん、「クウ・ムン」を使う。
だから、私の愛情が冷め切ってしまったのはどうでもいいとして、子供たちが喧嘩になれば「クウ・ムン」で呼び合うのは当然の結果と言えるでしょう。

 それを、「口が悪いよ」と言いきった義母は・・・?

 孫の振り見て我が振り直して欲しいけど、もう治らないでしょうね・・・。
うちの主人も、子供の言葉使いが気になるらしいけど、自分の事を棚に上げるのはどうかと思うのですが。

 親や周囲の大人が見本になっているべきなのに・・と思う今日この頃です。



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Posted by バットニャオ at 01:23Comments(5)罵詈雑言

2010年11月20日

これが流行ってます。

 最近、我が家の周囲で流行っているもの・・・。それは、フラフープです。



                 ちょっと写りが悪いですが・・。

 タイの田舎の子供たちの遊びと言えば、映画『フェーン・チャン』の中でも、ヒロインノイナーが遊んでいた、「ゴム飛び」。
実は、私はゴム飛びをしたことがないのです。
 世代的なものなのか、それとも地域的なものなのか・・・。
でも、我が家の娘がゴム飛びをしている様子を見ていた母(日本から遊びに来ていた)は、「私も子供の頃よく遊んだよ。」とのこと。
 やはり、日本ではお手玉や、おはじきなどのように、遠い昔の遊びだったのか・・・。


 と、その話は置いておいて・・・。
 ゴム飛びは代表的な「タイの田舎の永遠の遊び」のようですが、最近子供大人を問わず見かけるのがこれ。
たしか数年前、長女が小学生だったころにも、一度流行って、タラートなどで売っている何色ものプラスティックのパイプをつなげるものがありましたが、あれは子供のおもちゃなので、軽い軽い。
 
 今回のブームは大人も巻き込んだ「エアロビクス体操」に代わる健康色の濃いもので、大人用なのか、直径1.5メートルもあるものが売れ筋です。
主人が言うには、水道用のPVCパイプを熱で曲げて、中に水を入れて繋げれば出来上がりだということ。(本当か?)
 そんなに上手く曲げられるはずもないので、既製品を買うことに・・・。

 大きいのは、長女、パパが夕方になるとテレビの前でグルグル回してます。
紫の小さいのは、末っ子・ミック用なのですが、思ったとおり、買っただけでちょっとやってみておしまい。
そのまま放置されてます。
 幼稚園児でも回せる子は一日中でもグルグルやっているので、うちのミックは単に努力が足りないようです。

 これが、うちだけのブームならここには書かないのですが、小学校の朝礼の後の朝の体操時間も、フラフープ。
夕食の買い物に、タラートに行けば、そこでも、肉やや八百屋のおばちゃんたちが、ほとんど境目が分からないウエストでグルグル・・・・。商売そっちのけで、フラフープに専念してます。

 隣の美人妻もやることがないと、家の中でグルグル・・・。
近所の家の前でも、みんな申し合わせたかのように、グルグルグルグル・・・・・。

 このフラフープ健康ブームはいつまで続くのか?
ちなみに我が家の主人は、少しお腹が引っ込んできた?と言って喜んでます。
しかし、私は、フラフープ回したまま接客するほど、店が広くないので、やる暇はありません。


 それにしても、このフラフープ、主人の言った通り、大した材料も使っていないので、これで大もうけをした業者がいるのは間違いないでしょう。
 
 しかし、数年後、このフラフープも、廃品回収業者のゴミの山に山積みされているような気がしてなりません・・・・。



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Posted by バットニャオ at 17:57Comments(1)周りの人々

2010年11月07日

カム ターム サノーン(グ)=「因果応報」

 先月末、我が家の並びにある建物の一つに住んでいる次男と同じ歳の男の子が、日が暮れてからオートバイで市内の商店街に出掛け、前を走っていたオートバイに突っ込み、片足が貫通するほどの大怪我をした・・・という話を聞いた。

 我が家の次男と同じ歳なのだから、まだ小学6年生なのだが、その子は小3くらいからオートバイに乗っていたので、別に運転の操作を誤ったというわけでもない。
ちょうど、現場に居合わせた近所の人の話によると、我が家の前の交差点から市場まで行く数百メートルの直線道路で、いつものように調子に乗って出せるだけのスピードを出して加速していたところ、前を走っていたオートバイの速度を見誤って、突っ込んだらしい。
そして、転倒して自分のオートバイに挟まれる形となって、片足が貫通するような大怪我をしたそうである・・・・。
 

 この事故の話はやはり、近所の井戸端会議の話題に上ったが、普通こういう場合は、みんなで連れ立ってお見舞いに行くのが普通だが、今回に限っては、誰一人としてお見舞いに行こうと言い出す人はいなかった。


 私はこの事故の話を聞いて、何よりもまず、「カム ターム サノーン(グ)」=「因果応報」というタイ語のことわざが頭に浮かんだ・・。


 その子の父親は、我が家の主人と同じで、日本に出稼ぎに行った経験があった。
我が家が引っ越してきた頃、その同じ経験からか、割と親しく話をしていた。
 そして、その後、その子の兄、つまりその家の長男が中学に入学するから、大金が必要だと、その子のお母さんが主人に借金を申し入れてきた。
 その金額は10万バーツ。
その長男が入った学校は、今、我が家の長男が通っている県内の進学校だが、そこの長男くんは、入試ではとても入れなかったらしく、その借りた金額の中から数万を出して、「寄付金入学」を果たしたらしかった。

近所でも人付き合いが良く、外面の良い主人は、ちょうど我が家だけでは足りなかったので、長兄に借りてまでして、金額を用意してあげた。

 そのときの約束では、貸し借りの明細を書いた証書を作製して、月に1%、つまり3千バーツの利息を払うということになっていたのだが、実際に払ったのは、最初の2~3ヶ月だけ。
その後、借主だった奥さんは体調が悪くなり、主人もそれに遠慮して、払わない利息の催促もせず、今に至るまで、その元金もそれ以後の利息も1バーツたりとも返って来ない・・・・。

 我が家は、長兄に半分出してもらっていたので、利息だけでも払ってあげられないことを心苦しく思い、我が家の貯金から長兄に借りた分を返すことになり、今はその返って来ない借金を全額負担している。


 奥さんを使って謝金の申し入れをしたその旦那は、最初は日本で稼いできたお金で大型バスを買い、この市からチャイヤプム市内まで走る、路線バスを運行していた。
しかし、計画性がないのか、それもうまく行かず、我が家が来てすぐにそのバスも売ってしまった。

 その後、その借金の口実であった長男くんも中学から入ったのに、高校を卒業してしまったが、まだ何の音沙汰もない。
その間にも、裏の他人の土地に工場を建てて、プラスティック製品を製造するとか言っていたが、工場の屋根と外壁だけで終わってしまった。
 それから、コンビニもどきの商店もやってみたが、この性格からか客が入らなかったらしく、今は閉店状態である。

 最近は、どこから仕入れてきたのか、ダットサントラックなどの古~い日本車を家の前に並べて中古車を販売し始めた。

 そういうお金があるのに、我が家の返済は一向にお構いなしである。
我が家の主人が家の前を通ると、家に逃げ込むように避けているらしい。


 こういう話は、ただの愚痴で終わってしまうのだが、私が今回 「カム ターム サノーン(グ)」=「因果応報」を思い浮かべたのは、実はこの借金だけではなく、この一家に関係して、他の思いがあるからなのである。


 我が家はタイに来てすぐに、雑種の犬をもらって飼い始めた。
ラッキーを名づけられたその犬は、あまり利巧とは言えなかったが、犬らしく買い主に忠実な犬だった。
 その後、テリアの雑種をもらい、それも一緒に飼っていた。
名前はモモ。いつも仕事机の下で寝ている犬だった。

 そのモモがある日、フラッとどこかに行って帰ってくると、フラフラしながらいつものように仕事机の下に寝始めたが、しばらくして咳込み、大量に嘔吐していた。
私はびっくりして主人を呼び、主人は保健所の獣医のところに連れて行ったが、家に戻ってくる前にトラックの荷台に横たわったまま逝ってしまった・・・・。
 獣医の診断では、毒物を盛られたということだった。

 それから数日後・・・。
割と大型でオスのラッキーが3日ほど帰って来なかったのだが、最初は発情期で雌犬でも追いかけているのだろうと話していた。
ところが、先日モモが毒殺されたと言うこともあり、何となくかすかに異臭が漂っていたことから、不審に思った主人が、家の周囲を探していると、裏庭の草むらの中に四肢をピンと伸ばしたまま硬直したラッキーの遺体が見つかった・・・。

 この事件に関して、実は我が家以外にも、近所の犬が次々に毒殺されていたということから、近所で鶏を飼っているその子の家の祖父が、犬が鶏を追い回したと騒いでいたという話になった。
噂では、その子の祖父が市場で毒殺に使うネズミ捕り用の毒物を買っていたという話も流れた。

 そのとき、私は悔しくて、やりきれなくて一人で思い悩み、「カム ターム サノーン(グ)」と書いた紙をその子の家の前に貼ってやろうか・・・などと妄想に耽ったものだった。


 今回のその家の不幸が、本当に「カム ターム サノーン(グ)」=「因果応報」かどうかは分からないが、タイに生活するうちに、信仰心のなかった私も、「因果応報」というこの世の法則のようなものを知らず知らずのうちに信じるようになってしまった気がする。
 だから、何をするにもなるべく良い行いをした方がいいかな・・・という自分の中の圧力のようなものに押されて、最近の私の心の中は、「良い自分」が「悪い自分」を抑えることに成功している・・・のかも知れない。



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Posted by バットニャオ at 02:35Comments(8)周りの人々

2010年10月08日

タイの子供たち

 今日は、タイ語関連ではないのですが・・・。


 期末テストも無事終わり、十月になって、多くの学校は中間休みに入っています。
都市部の私立学校などは、一ヶ月前後休みになるところも多いようですが、我が家の子供たちはそれぞれ地元の公立に通っているので、ごく普通の休み期間です。

 さて、この休み中に、ここイサーンの田舎の村から、バンコクの大学の期末試験を受けるために上京している子供がいます。
彼は長男のクラスメートで、長男と同じ高校2年生なのですが、年齢制限なしの教育を推進しているバンコクのラームカムヘーン大学で、通信大学のような、土日の通学と、長期休み中の試験で大学の授業を受け、高校卒業までに大学卒業資格を取ってしまおうという計画を立てている、実に計画性のある子なのです。


 その彼が、そこまで計画的になったのは、もちろん持って生まれた性格もあるでしょうが、その育った環境も大きいようです。

 長男と彼の通っている高校は、ここイサーンの地方都市のチャイヤプムでは中心部にある進学校なのですが、長男もその友達も、そこから何十キロと離れた田舎からその学校に通っています。
うちはまだ片道30キロの距離なのですが、彼の家はここから更に20キロほど離れた、田舎の小さな村にあります。
 
 彼が通った小学校というのは、よくある田舎の村立学校で、男の子たちは学校にナイフ持参で登校(決して、果物を剥くためではありません・・。)、タバコや飲酒(小学生ですが・・・)も日常茶飯事、小学生の女の子が妊娠したという話も珍しくない学校だったそうです。
 同級生たちの多くは、小学校も卒業しないうちに遊び歩き始め、出席日数が足りないので年齢に達しても卒業も出来ず、そのままフラフラ遊んでいるうちに、彼女が出来た、彼氏が出来たとなるそうです。
そして気がついたら16歳くらいで子供が出来てしまい、そのままどちらかの親の元で同棲。親も仕方が無いので、一台10万バーツほどのロット・イテーン(タイの農業用トラック)を買って与え、それで自分たちの生計を立てるように言い、若すぎる夫婦には自分たちの親と同様の、厳しい農業で生活をすることになる・・・というのが一般的なパターンだそうです。 
 
 そんな環境で、彼は一人「このままではいけない」と将来の計画に目覚めました。
彼は、この6年以内に大学卒業資格を取得し、高校卒業後は博士課程に進み、数学の教師になるのが希望だそうです。
そして、この年頃の多くの少年が関心のある「女の子」に関しても、「まず、将来のための勉強が最優先、彼女は就職が決まってから、みつければいい。」と、まるで、青少年の鏡のようなことを言うのです。
 
 タイの全ての子供たちが、皆、この彼のように計画的だったら、タイの将来は明るい希望が持てることでしょう。
それに、わざわざつまらないデモ騒ぎを起こして、観光収入に大幅に頼っている自国の経済を、さらに悪化させるような人もいなくなることでしょう。 
 しかし、バンコク周辺にいる一部の教育熱心な家庭の子供たちを除いて、かなりの割合で、タイの子供たちの中には、彼の通っていた小学校にいたような、義務教育も終了しない子供たちがいることも事実です。

 バンコクやその周辺には、インタースクールや名門校もたくさんあり、タイの教育水準はだいぶ上がったようにも見えますが、それは、タイの富裕層と貧困層の格差と同じで、高学歴な人は驚くほど高い教育を受けており、逆に学歴のない人は、自国語でさえ、まともに読み書き出来ない・・・という格差があります。

 多分このブログを読まれる日本人の皆さんの多くは、タイ人の中でも高学歴者との交流が多いと思われますが、タイの田舎では、イサーンに限らず、南部の漁業生活を送る人たちなどにも、こうした義務教育を卒業せず、親の手伝いで学校を中退する子供たちは少なくないようです。




                  タイの将来を担う少年、man君



 私が彼くらいの頃は、日本では「モラトリアム人間」などと言う言葉が流行り、大学に入学しても特に目的も持たずフラフラしている人が多くいました。
私も例にもれず、「タイに関係する仕事がいいな・・」などとフラフラしていたら、こうなってしまいました。
 もし、彼のようにはっきりとした目的を持っていたら、今、私はこのイサーンにはいなかったかも知れません。


  
  


Posted by バットニャオ at 01:21Comments(7)タイの社会

2010年09月19日

น้ำท่วม(ナム・トゥワム=洪水)~その後~

 しばらく、家の事情でいろいろあり(「イサーンに埋没中『油断禁物・・・。』 http://mic.namjai.cc/e37114.html)」参照)、更新がすっかり停滞していました。
 が、今週に入ってようやく日常が戻りつつある我が家です。

 
 さて、そんな事情があった我が家ですが、何故か毎年、カオ・パンサーの時期に合わせるように、寝込んだり、入院したり・・・となる主人。




                  雨期の合間の空模様



 まあ、カオ・パンサーは雨期なので、農業従事者の農閑期でもあって、我が家の商売も閑古鳥が鳴きそうなくらい、ひっそりとする季節です。
それでも、一日に数人の客はあるわけで、何らかの商品が売れ、在庫の整理やチェック、注文と言った、店の裏の私の仕事は休みになるわけではありませんが、主人は寝ていようが、どこかに出かけていようが、大した必要性はないので、退院後ということで、ゴロゴロもとい静養を取っていようが、まあ、構わない・・もっと言えば、店に出てきてもらわないほうが、余計な愚痴を聞かないで済むので気軽でいいのですが・・・。


 こんな我が家の事情はさておき、今年の雨期も例年にも増して、激しい豪雨が続きます。

 先日などは、バンコクでニュースを聞いた、我が家に出入りする自動車部品のセールスマンが、いきなり朝から電話してきて、

「今、ニュースでチャイヤプムは大洪水で、しかも『ノンブアラウェー』も危険区域に入っていると聞いたのですが、ジェー(私のこと)の店は大丈夫ですか?」

と、聞いたのですが、我が家の周りは洪水どころか、その日は雨も降っておらず、私は「何のこと?」という感じでした。


 このセールスマンは多分、私の住む『ノンブアラウェー』と他県の『ノンブアラムプー』を聞き間違えたのだろうと思います。
チャイヤプムが洪水になっても、この小さい市である『ノンブアラウェー』がわざわざニュースに出ることはまずないと思ったのでした。

 ところで、今年も各県で洪水の被害のニュースが流れていますが、今年のチャイヤプムは少し違います。

 まず、毎年恒例の「洪水による学校閉鎖」が、今年は何故か一度もないのです。


 例えば、前夜から大雨が降っていれば、その翌朝は確実にチャイヤプムの街中は膝近くまでの洪水になり、学校に行ってもとんぼ返りで帰ってくる・・・というのが長男の学校だったのですが、今年は、前夜が大雨で、朝一番で連絡を取り合っても、チャイヤプムの街中に住む友達からの情報では、「いや、洪水してないよ。」という返事が続きます。


 以前、チャイヤプム在住の日本人ブロガーの方の情報で、消防団のような人たちが、雨水を吸い上げているということをお聞きしたのですが、それこそがこの「チャイヤプムに洪水が起こらない原因」だったわけです。


 今年のチャイヤプムの行政は何を思って意を決したのか分かりませんが、「洪水で街に溢れる雨水を、タイの農業でよく使われるKUBOTAのエンジンを使った吸水ポンプで吸い上げて、街の外に流してしまおう」という、なんとも泥縄的な方針を打ち出して、それを実行しているのです。

 私がチャイヤプムに来た当初は、この洪水を行政が何とかする日が来るのかしら・・と思ったりしましたが、毎年の洪水に何も手を打たない行政機関を見て、「タイ人はこういうものなのだ・・、『喉元過ぎれば熱さ忘れる』というが、タイ人は困っても一時的なものに、余計な時間や労力は使わない人種なのだ。ましてや長期的な計画で洪水対策を・・・なんて、タイ人に限ってありえない。」・・・とすっかり期待するのは諦めて、自分も洪水は毎年の恒例行事という感覚になっていました。


 でも、今年のチャイヤプムは少し変わりました。
洪水が続かないので、学校の休校がありません。
なので、授業時間が増えて、先生が困り、教えるネタがない先生の授業は自習が増えたようです
 毎日履いて擦り切れ、靴底の穴から浸水する長男の靴も、今年は乾いている日が多くなりました。

 
 でも、やはり思うのは、頑張ってもこの『泥縄式吸水作戦』しか思いつかないという、県の行政の仕事ぶりです。
今回に限りませんが、タイの公務員は仕事をする気があるのか・・・?
何故、根本的な排水設備を整備しないで、とりあえず・・の方法を取るのか?
県の予算でこういうことに使えるお金が余っているはずなのに、しなくてもいいような「少しだけ道幅を広げた、アスファルト敷き直しただけの道路工事」で、余計な予算を使い込むのか・・?
 
 もっとも、道路工事に関しては、どこの国でも、業者と行政の裏金の取引なのでしょうが、この予算があれば、来年の洪水は根本的に解決できるのに・・という気がしてなりません。

 とは言っても、実際のところ予算だけでは解決できる問題ではないのかも知れません。
それを有効に使う頭がなければ・・・・。



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Posted by バットニャオ at 02:30Comments(4)タイの社会

2010年08月29日

前歯のなくなった少年。

 先日24日に、日本で生活している主人の幼馴染が、久しぶりに日本から帰国した。
こういうときは、決まってうちの主人が夜通しの飲み会に行くことになっている。

 いつもなら、その幼馴染の配偶者である、日本人女性が来て、私も子供を連れてつかの間の交友を深めたりするのだが、今回は事情があって、ダンナさまである、主人の友人だけの来タイだったので、私たちは遠慮して家で過ごしていた。


 翌朝、帰って来た主人は、相変わらず、久しぶりの再会がよほど嬉しかったのか、調子に乗って飲みすぎてしまったらしく、朝帰りの車から降りて、「気持ち悪~~い」と顔色が冴えなかった・・。


 ところが、帰宅してから話を聞くと、その晩は肝心の帰国したばかりの友人は、用事でチェンマイに行くので深酒出来ず、挨拶もそこそこに・・・、同じくその友人に会いに来ていた、別の友人を誘って飲んできたらしい。

 そこで昨夜、その友人から聞いた話をした。

 その内容は・・・。
 
 実は、先日、義母の自宅の村で、17人の少年たちが、一人の少女を暴行・レイプしたという事件があったそうで、この事件はテレビのニュースでも放送されたらしく、主人は知っていたらしいが、私はニュースもドラマも観ないので知らなかった・・。  

 すると、昨夜一緒に飲んでいたときに、その友人が、

「あの事件、オレの息子も一緒に加わっていたんだ。」
とこともなげに、言いだしたという。


 その友人というのは、主人同様、高校卒業後日本に出稼ぎに行ったうちの一人で、向こうで同じ出稼ぎのために来た、数歳年上の歌舞伎町で夜の仕事をしていた女性と内縁の仲になっていて、その間に長男が出来た。

 でも、女性の職業柄、父親の確定は出来なかったのだが、その友人がタイ人によくあるパターンで面倒を見ていた。
実際は、その子供の父親は日本人だという話だったが、その友人が不法滞在で捕まった後に、その母親である女性が面倒を見るか心配なので、子供をタイに引き取りたいという話になり、私も新大久保だったかの支援団体の事務所に何度か足を運び、戸籍どころか、出生届けも出していなかった、その子供をどうやってタイに連れて行くか・・・という大問題に足を突っ込んだことがあった。

 その後、大勢の人たちの努力で、何とかタイの父親ということになっているその友人の実家に引き取られ、今日まで大きくなった。
小学校入学時には、出生証明書がない、国籍の証明が出来ない・・と様々な問題が起きた。それでも、その友人の家族の努力や、学校の先生などの協力で、何とか小学校は卒業したらしい。

 その彼が、今回の事件に加わっていたということに、私は少し動揺した。

 しかも、そういう重大な話を、酒の席で酒の肴に話してしまうその友人に、正直、呆れた。

 確かに、その子供の母親である女性と激しい喧嘩の末別れた友人は、その後も再婚・離婚・また再婚を繰り返しており、その度、新しい子供が出来るので、その子供は実質的には友人の母が面倒を見て、友人の事は「兄」と呼べなどと教えられていたらしい。

 そんな環境が、その子供の今回の事件を引き起こしたのかはわからないが、数年前に会ったときのその子供の前歯を見れば、その子がどれくらい放って置かれているかが見て取れた。
前回の記事にも書いたように、日常生活の世話を焼く大人のいない子供の歯は永久歯に生えかわる前に、すでにボロボロで、前歯はまず見あたらなくなっているのが普通である。

 しかし、それがその子の運命なので、同情したからと言って、必要以上に援助する大人もいない。 
周囲のみんなは無関心ではないが、深入りもしない。
遠巻きに状況を見ていて、何か気がつけば、出来る範囲で援助する程度・・。
気がつかなければ、そのまま素通りする。

 これが、タイ人のナムジャイというものである。

 それにしても、この少年が、昨年大ブレイクした、「ケイゴ君」のように、本当の父親を探しに行かなくて、助かった日本人もいるのだなぁ・・・・と思ったりもした。



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Posted by バットニャオ at 01:47Comments(6)タイの社会

2010年08月22日

「ฟันน้ำนม」(乳歯) と 「ฟันหลอ」(歯欠け)

 タイ生まれタイ育ち、チャキチャキのタイっ子のミックが虫歯になった・・・・。

 タイでも、一応、二ヶ月検診とか、4ヶ月検診とかから始まって、地元の病院で乳児検診を受けることになっている。
その6ヶ月検診辺りから、ฟันน้ำนม=乳歯の検診も加わり、歯科担当の保健師さんが、歯磨きの指導をしてくれる。

 私は、すでに3人の子を育ててきたので、今更・・という感じもあったが、黙って聞いていた。

 しかし、いくら3人の子育てを経験したと言っても、このタイ産の末っ子・ミックに関しては、正直全く自信が持てなかった・・・。

 上の3人は、みんな乳児期は日本で暮らしていたので、日本式の孤独な育児だったが、その分責任感もあって、
「私がやらなくちゃ!」と、虫歯にならないように、それなりに頑張って育ててきた。
 それでも、子供の手も、母の手も完璧ではないので、3人とも小学校入学前に、多かれ少なかれ、歯医者の洗礼は経験していた。

 しかし、このミックに関しては、日本時代の子育ては通用しなかった。

 第一に、私が育児に専念する時間がない。
朝の6時過ぎから、夜の8時近くまで営業している店の仕事で精一杯で、生きていくために最小限の家事(炊事・洗濯程度・・・掃除は毎日やらなくても死なないので・・。)をするくらいで、ミックの世話をする時間もないような日々・・・。
 それに加えて、ここがタイ式なのだが、近所に住むようになった義姉(主人の姉)が、病院から退院した生後4日くらいから、朝一番から乗り込んで来て、朝の沐浴だと言って、生後数日のミックを丸裸にし、外に連れ出す日々・・・。
それが終われば、私が授乳を済ませると、またやってきて、もう寝かせるという、私はおっぱいを飲ませるだけの母でしかない、そんな毎日が続いた。


 これは、タイ育児の良い点でもあるのだが、赤ちゃんを見ると、周囲の人間が放って置かない。
日本人の私にはうるさいくらいに、まとわり着いてくる。
みんな、子供が大好きだし、子供はみんなで育てる・・・という暗黙の了解がある。

 しかし、今回のミックの虫歯に関しては、これがネックとなったのは事実である。

 みんな、本当に好意で子供の面倒を見てくれる。
しかし、やはり本当の親が見るべき、細かな部分まで見るわけではない・・というか、誰が責任を持つのか、その責任の所在がどこへ行ったか分からなくなってしまうのである。

 本来なら、子育ての手伝いはしてもらっても、こういう肝心な部分は実の母である私が責任を持つべきなのは分かっている。
しかし、肝心の子供は、誰か(義姉や隣の家の奥さん、その姑さんなど・・)に連れて行かれて、夜になっても帰って来なかったりする。
すでにおっぱいを必要としなくなった時点で、幼児時代から、外泊の嵐なのである。

「ねえ、ミックどこにいるの?」
「・・・お姉さんのとこじゃない?」
「ふ~ん。今夜帰ってくるの?」
「・・ん、わかんない・・・・。」

こんな会話が日常茶飯事である。

 そして、外泊時は、大抵歯磨きしていなかった・・・ということになっていて、結局、今のミックの虫歯問題が発生したのである。

 歯医者に行けば、「お母さんが、ちゃんと歯磨きしてあげないとダメですよ!」
などと歯医者さんに注意されてしまうのだが、私はここで、

「だって、みんな子供をどこかに連れて行ってしまうから!」とか、
「店の仕事、もっとダンナが協力してくれたら、子供と接する時間が出来るのに!」

という不満をぶつけたいのをグッとこらえて、「はいはい・・・」と黙って聞いている。


 タイ式育児と我が家の仕事のせいで、こうなってしまったのだと思うのは、上の三人のときと、この環境が全く違っているからである。
 日本では、子供を預けて昼間は仕事をしていても、仕事が終われば子育ての時間があった。
自分の時間がないのは、子供が出来て以来、今も昔も同じだが、今は子供と向き合う時間すらもほとんどない。
 自営業で、自分の時間が取れると思うのは全くの誤算だった・・・と今は思う。

 
 何はともあれ、肝心のミックの虫歯の治療に行くのが最優先なのだが、すでに3本の虫歯治療を経験したミックは、
歯医者は、「オートバイの音(キ~~ンという機械音)がするから、痛い、行かない!」と断固拒否してしまっている。

 
 しかし、幼稚園に通うようになって、クラスの半分くらいの子が、「ฟันหลอ」(歯欠け)だという事実に気がついた。

上には上がいるものだ。

 あれだけ、検診時にうるさくいわれても、全く聞く耳持たない保護者がいるのである。
 
 その顔ぶれを見て気がついたのだが、その前歯は欠けた子供たちのほとんどは、お祖母ちゃんや、伯母さんが面倒を見ている子供たちらしい。

 やはり、こういう子供たちは周囲が協力して世話をする、村社会の子育てで育っている。

 我が家のミック以上に、子育ての責任の所在がはっきりしないのである。

 だから、誰も子供の歯磨きにまで目が届かないし、子供が欲しがるし、あげないとうるさいので、お菓子を与え、その結果、一日中、飴を舐めている子供や、コーラなどの炭酸飲料で歯が溶けてしまっている子供が多い。

 みんな、お歯黒美人を思わせるように、上の前歯がきれいになくなっている。
これで、永久歯が生えるまで食事をするのだから、不思議なものである。
 噛み切ったりするのに、前歯無しでは不便ではないのだろうか・・・と他人事ながら心配してしまう。
 

 こういう前歯の欠けた子供たちを、大人がからかって、
ฟันหลอ (歯欠け)と呼ぶ。

 我が家のミックも前歯の間に少し虫歯が出来て、虫食い跡のように欠けているので、やはり「ฟันหลอ」(歯欠け)と呼ばれている。




           「ฟันหลอ」と呼ばないで!  

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Posted by バットニャオ at 01:10Comments(5)タイでの子育て

2010年08月12日

今日は「ワン・メー・ヘン・チャート」

 毎年のことながら、本日8月12日はタイ国内の重要な年中行事である 「ワン・メー・ヘン・チャート」です。

 「ワン・メー」はその名の通り 「母の日」ですが、この日が「母の日」になっているのは、現・王妃の誕生日だからなので、普遍的なものではありません。(不敬罪に当たりそうなので、大きな声では言えませんが、数十年後には別の日になっていることも考えられます。)

 タイの「母の日」は、王妃の誕生日なので、国内の祝典行事でまず、国王・王妃賛歌が歌われますが、基本的にはそれぞれ自分の「母」を敬い感謝する日です。

 しかし、12月5日の 「ワン・ポー・ヘン・チャート」は国王の誕生日ですが、こちらは、もう100%国王のみを敬い崇める日で、一般の「父」に対する感謝は、微塵もありません

 毎年、この違いは何だろう・・・?と思うのですが、これは、「タイの国王がそれほど国民の崇拝を受けているから・・・」ということもありますが、「タイは基本的に女系社会なので、タイの父親の尊厳が、母親に比べてほとんどない?」と言うことだと思っています。


 理由はともあれ、「ワン・メー」は毎年、学校行事があり、今年も相変わらず出かけてきました。
(本来は12日が「ワン・メー」なのですが、当日は休みになるので、前日に行われます。)

 
 まず、朝の8時半前には、ほとんどの児童のお母さんまたは、伯母さん、お祖母ちゃんが学校に集まりました。
本来なら、どの子もお母さんが来るのが理想なのですが、現実には本当のお母さんと暮らしている子供は、半数以下です。

 親がバンコクや外国に出稼ぎに行ったり、すでに亡くなっていたり、両親が離婚して、お祖母ちゃんに預けられている・・・などという子供が半分以上います。

 でも、皆、本当のお母さんのように暮らしているので、お祖母ちゃんだろうが、伯母さんだろうが、「母」として感謝しています。
私自身は、我が子ほど大事なものはないと思っていますが、最近の日本の事件や、タイでも多い、育児放棄するような親の元にいるよりは、親戚はもちろん、たとえ赤の他人だとしても、愛情を持って育ててくれる方がいいのかも知れません。



 まず、行事が始まる前に、ワン・メーに関する作品で、賞を取った児童たちの展示物を見て回ります。



 今回は、次男も王妃の絵を描いて、2位をもらいました。
他にも、母に関する感謝や、母の偉大さを表現した絵が並びます。

 
 校長先生の挨拶で、行事が始まると、まずは、「国王・王妃賛歌」の合唱です。(「コーデチャー・・・」と言う出だしのテンポの良い曲です。)
日本では、教師が「君が代」を歌うとか歌わないとかよく問題になりますが、ここタイではそういうレベルではありません。

 国歌や国王賛歌を歌うのはタイ人として当然のこと。
疑問に思うどころか、皆が競って喉が嗄れるのでは?とこちらが心配したくなるくらいの大声で、大人も子供も大合唱です。
特に、低学年の子などは、「わかったから、叫ぶなー!!」とこちらが叫びたくなるような調子です。
 
 そして、ワン・メーと言えば、「プレーン・カー・ナム・ノム」(「ありがたき母乳の歌」?)。
ちょっと変な訳ですが、内容は、「お母さんが、自分を産んで、母乳を与えて育ててくれた・・・」と、育児するのは当然のことなのですが、それに対する深い感謝の歌です。
これを、幼稚園児から覚えます。
こうして、タイの子供たちの頭の中には、ごく当たり前に母への感謝や敬愛が深く刷り込まれていくのです。(洗脳?)

 
 その次は、児童の代表による「タイ舞踊」を王妃に捧げます。(正確には、「王妃の肖像画」に・・・ですが。)



 それから、先生方が自身のお母さんを招待しており、その先生のお母さん(もうかなりのご高齢、でも毎年参加されているので、毎年何だか安心します。)先生方とそのお母さん方が舞台に上がって、感謝の意を込めて、タイでは普通、下につけない頭を、お母さんの足の甲に付けて深い感謝を表し、その後、マリ(=ジャスミン)の花を捧げ、お母さんが子供の頭を撫でたり、抱擁し合います。

 それが終わると、今度は、幼稚園児のお母さんから順番に、舞台に上って行き、先ほどの先生とそのお母さんたちと同じ行動を繰り返します。







 我が家の子供4人のうち、3人が小学生だった数年前は、上がっては降り、また上がって・・・とそれぞれの学年で3回繰り返したものですが、今年は2人なので、2回舞台に上りました。



 我が家の次男(中央)も今年は六年生、この学校で最後の「ワン・メー」でした。
この舞台の上で、母に捧げるジャスミンを用意するのですが、今年は、次男は奮発して、自分の小遣いから20バーツのジャスミンのプワンマーライ(花輪)を買って母に捧げてくれました。

 一方、三男は初めての「ワン・メー」で、何が何だか分からない様子でしたが、皆が会場脇で売っている造花のジャスミンのブローチを買っているので、何だか自分も欲しくなり、母にねだって、これも、これも・・と2個も買って満足していました。
そして、本来は舞台上で母につけて上げるはずのに、自分で付けて喜んでいました。

 舞台から降りた先生方とそのお母さんは、たくさんの子供から敬愛のしるしに、このジャスミンのブローチを贈られるので、もう胸中がジャスミンのブローチでいっぱいになっていました。




 これが、三男が欲しがったジャスミンのブローチです。



 このシンプルなもので、一個5バーツ、もう少し飾りが多いと、6バーツ、12バーツ程度なのですが、我が家は子供が4人なので、これが毎年、増える一方で、値段的には大したことはないのですが、貧乏性の私には何だか勿体無くて、「去年の使ってもいいのに・・・」とか、「兄弟で使い回せばいいのに・・」と思ってしまうのです。
 でも、まあ、結局は来年まで取って置こうと思っても、いつの間にかなくなっていたりするのですが・・。

 こうして、今年のワン・メーは無事終わりました。
さて、明日は、主人の実家に行って、義母を囲んで親戚で食事をする・・・「ワン・ヤー」(お祖母ちゃんの日)です。
・・・というのは、私が勝手に言っているだけですが・・・。
 やはり、タイの社会では女性が、しかも年を取れば取るほどゆるぎない存在になります。

 学校行事以外では、我が家にとって「ワン・メー」と言えば、「(主人の)母の日」つまり、子供たちにとっても、「お祖母ちゃん」の日に他ならないのです。



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Posted by バットニャオ at 04:03Comments(6)タイの行事

2010年08月09日

น้ำท่วม(ナム・トゥワム=洪水)

 カオパンサー(安居節)に入り、本格的な雨期に突入した。

 毎年、カオパンサーの時期は、毎日ある程度の時間に、激しいスコールに見舞われる。
この雨で、ひび割れていたイサーンの赤土の田畑も潤い、何とか耕作に入れるというわけである。

 そのため、まだ本格的な農耕機械を使わない時期なので、我が家の売り上げがガタっと落ちるのが、この時期になる。

 ところで、店の売り上げ不振期を除いて、カオパンサーというと決まって訪れるのが、

น้ำท่วม(ナム・トゥワム=洪水) である。

 先ほども書いたように、この時期の大雨は、日本の梅雨とは違い、しとしと・・・と一日中降っているわけではないが、空に大穴が開いたかのように、一時的にだが目の前が見えないくらいの土砂降りとなる。

 
 毎年、こうしたバンコクをはじめ、各地での洪水の話題は朝夕のニュースを賑わせるが、ここチャイヤプムでもある場所で、毎年、毎年洪水の被害が繰り返される。

 それが、県の中央に位置する「ジャオ・ポー・パヤレー」(建県の父・パヤレー)の銅像前である。

 ちょうど、我が家の長男が通学する高校はその目の前なので、毎年、毎年、この時期になると、チャイヤプムが大雨になった日やその翌日には、学校が休校になることが多い。

 日本なら、授業のカリキュラムが詰まっていそうなので、この洪水くらいでは、休校になど出来ないだろうが、昔の「南の島のカメハメハ大王」の歌詞ではないが、

「風が吹いたら遅刻して・・雨が降ったらお休みで・・」
という、状況である。

 まあ、日本なら、これだけ毎年洪水が起こる前に、行政が何らかの手を打つはずであるが、タイの役所はなるがまま~~なので、こうして、多いときは週に3回くらいの休校が、毎年続いているのである。

 もっとも、タイの学校の授業のカリキュラム自体が、そう綿密なものではないらしいので、先生の個人的な用事で自習を繰り返すことも多いらしい。
だから、年に数回の休校は、大して問題にならないのかも知れない。

 私も、子供が家にいる方が好きなので、大きな声では言えないが、密かにこの休校を楽しみにしていたりする。




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Posted by バットニャオ at 00:16Comments(4)タイの学校

2010年08月01日

幼稚園のทัศนศึกษา(校外学習)~その2

昨日の続きです・・・・。 


 もう、すでに予定時間から遅れているのに、何で・・・?と思ったものの、反対するわけにもいかず、そのまま成り行きにまかせることになりました。
 「せっかくここまで来たんだから、見学しよう」という思いつきだったと思うのですが、この「予定は未定」のタイ的性格は今に始まったことではないにしても、「こんな学校の公的行事にそれはないでしょう・・・」と泣きたくなりました。

 しかも、会場では、降りたい人は降りて見学して、残りたい人はバスに残っていてもいいと言っていたのに、結局全員が降り、しかもそこでの見学予定は一時間だと・・・。

 私は、今までの予定でも5時半頃に到着するかという予定なのに、これ以上遅れたら真っ暗になってしまう・・と本気で焦ってきました。

 とにかくもう帰れないものは仕方がない、そう諦めて会場を見学すると、そこは大学の農学部の展示場のようでした。
蘭の展示会があったり、牛や馬、豚やイノシシの飼育状態の展示があったり、農作物では、珍しい巨大瓢箪や変わった形のウリ科の野菜の展示がありました。




                 巨大瓜のドーム



 もう開き直ってみれば、いろいろ興味深い展示物もありました。
子供たちが見たいと言ったので入った蝶のドームでは、周囲に子供の頃の夏休みの課題で集めたような、昆虫採集の標本が飾られていて、お決まりの珍しいカブトムシや巨大蛾などもいましたが、よく家の前に朝方落ちている通称「メーン・ウッチャキー」(糞ころがし)なども飾られていて、こんな物をわざわざ飾るなんて・・という反応でみんな大笑いでした。

 そして、その蝶のドーム内で生きた蝶が飛び交っているのですが、そこに孫を連れて入ったミックの友達のおばあちゃんが、何とそこにいる蝶を手づかみで捕まえようとしたのには、ビックリでした。

 普通、常識的に考えれば、そういう場所では生き物に危害を加えないのはもちろん、なるべく静かに行動するものだという私の常識は、見事に崩れ去りました・・・。

 そのおばあちゃんの行為はもちろんのこと、他の子供たちも園内の狭い通路をバタバタ走り回って蝶を追い掛け回しているのです。

 先生も、「静かにして・・」くらいしか言わず、大して気にも留めていない様子でベンチに座って休憩中です。
しかも係員も誰もいません。

 蝶のドーム内は一瞬にして、嵐の幼稚園へと変わっていました。


 さて、激動の蝶のドームを出た私たちは、今度こそバスに向かうのかと思ったら、今度はトヨタ自動車と王室の共同企画であるらしい、子供向けタイの交通安全館のようなところに連れて行かれました。




           左側にトヨタのマーク、髪の長いお姉さんが司会者


 ここでは、子供向けにDVDの交通アニメが上映され、司会のお姉さんがいろいろ話してくれます。
朝から来れば、一人100バーツで昼食つきの交通安全講習が受けられるそうです。
 子供がDVDを見たりお姉さんと遊んでいる間、大人たちは、エアコンの効いた館内の床で、寝転がったりしてそれぞれ休憩していました。


 さて、ようやく一通りの見学が終わった頃には、すでに4時半を回っていました。
当初の予定なら、もう帰路に着いている時間です。


 私は、もう「ワット・パー・ラックローイ」に寄るのは中止にして、このまま帰りましょう・・・という先生の言葉を待っていましたが、信仰熱心なタイ人は、ここで止めたりしないようです。

 昼間から行ってもオドロオドロしいお寺の様子が、この夕暮れ時の西陽でさらにオドロオドロしさを増していました。



             お坊様がお経を上げてくれる入り口

 



     この閻魔様の目が扉になっていて、タムブンすると使者がお金を上に運ぶからくり






              「皆でタイで有名なケチ僧侶にタムブンをしましょう」
            (「ケチ」というのは名前です、日本語のケチではない・・・と思います)

 このお寺は、お坊さんの話し方からして、すごく商業的だなあ・・と感じてしまうのですが、ここまでやるともう、完璧な商売でしょう。
お金を入れると、お化けの人形が鳴いたり、お坊さんの人形がクルクル回転したり・・・。
子供は面白がっていますが、大人も喜んでいました。
こうして、この資金でこのお寺のオドロオドロしい建造物(罪業人形)たちが増え続けて行くのです。

 実は、私はここに初めてチャイヤプムに来た頃、連れて行かれたのですが、その頃は、その人形たちが物珍しくて写真を一杯撮ったりしたものです。
しかし、もうここに住んで、タイの宗教観や生き方に慣れた今、私はその人形たちをカメラで取る気にはなれませんでした。

 子供ではないのですが、「ピー(お化け)」が怖くなったのかも知れません。
 その人形たちが表現する、現世の罪業に起因するあの世での罰が、人事ではなくなったと感じるのかも知れません。

 その人形たちには、いちいち説明が書いてあって、殴り合って殺しあう男女に「いつも罵りあうとこうなる」とか、片手に包丁を持って、男性の性器を切とす男女に、「浮気をするとこうなる」とか、亀が血を流して泣いているのには「前世で亀を殺した男」などと書かれています。


 でも、子供たちの反応は至って無邪気なもので、腕白盛りのこどもたちは、その人形たちの伸びきった舌を引っ張ってみたり、目玉をむき出して死んでいる人形の目玉を突いてみたり・・と先生たちに怒られていました。

 以前、長男が幼稚園くらいのころに、日本から来た長男の友達をここに案内したことがあるのですが、そのときその友達はあまりのオドロオドロしさに気分が悪くなったらしく、泣き出してすぐに出て行ってしまいました。

 今回のタイの子供たちの反応を見て、改めて、日本人とタイ人の子供の感覚の違いを感じました。


 
 さて、この「ワット・パー・ラックローイ」を後にして、私たちはもうすっかり薄暗くなった帰路に着きました。

 帰りも行きと同じく、先生のカラオケのオンステージ。
ですが、夕闇にライトが映える分、車内の照明設備はさらに効果を増し、車内はすっかりカラオケパブ状態・・・。

 一日の疲れが溜まっているはずなのに、さらにテンションが上がっている子供たちは、カラオケの曲に合わせてノリノリで踊りまくっていました。
もともと、シートベルトなどのないタイのバス、子供たちもおばあちゃんも総立ちで踊り続け、学校に着きました。

 





 そんなこんなで学校に着いたのは、予定時間を全く無視した、午後7時半近くでした。




   



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Posted by バットニャオ at 04:12Comments(5)タイでの子育て